MOTOKA 第10章




 夏の夜空高くに花開く花火は想像以上に迫力があって素晴らしかった。

 ズドーンという大きな音はそこら中の空気を思いっきり震わして、夜空いっぱいに広がる花火は今までに体験したことのない世界だった。
 目の前で繰り広げられる壮大な光のマジックに素香は釘付けだった。あまりの迫力に背筋がゾクゾクしてしまう。
「すごーい迫力!きれーい!ねえ、ほんとにすごいねえ!」
 と思わず優里に向かって興奮気味に大きな声を出してしまった。
 お母さんが言ってた事は、本当だったんだ。日本の花火って、ほんとにすごいんだ。
 目の前で次々と華麗な夜空の天空ショーが展開されてゆく。欧州で暮らしている時にも、夏の海辺のリゾート地では何度か花火大会を見たことがあったけれど、今日の花火はその規模も花火自体の美しさも比べ物にならないくらいだ。
 もちろん今まで見た花火も綺麗だったけど、今、目の前で繰り広げられている花火は思いもよらない程の様々なバリエーションを夜空いっぱいに繰り広げている。
 まあるく弾けるもの、くるくるとバネのように四方八方に弾けるもの、しだれ柳のように優雅に舞い降りるもの、まるでバレエの群舞のように一斉に夜空に舞うもの、、、
 この花火を見るために、これだけたくさんの人が集まるのもわかる気がする。

(ああ、でもおトイレ行きたくなってきちゃったなあ、、、)
 素香は腕の時計に目をやった。花火が始まってから30分あまりが過ぎていた。
 プールを出る前にトイレ行ってから、まだ4時間ちょっとしか経ってない。確かに少しはトイレに行きたくなってもおかしくはない時間だけど、ふだんの素香ならこれくらいの時間は、まだ全然トイレに行かなくても大丈夫な筈だ。
 けれどもさっきから急にトイレに行きたくなってきている気がする。何でだろう。
 昼間のプールでは、とてもいい天気で暑かったせいだろう、3時過ぎになってプールを出る時にも、それほどトイレに行きたいわけではなかった。
 更衣室に入って着替える前に、優里が「ちょっとおトイレ行ってくるね」と言うので、これから優里の家に行って優里のお母さんの前でおトイレを借りるのもなんだな、、と思い、優里と一緒に更衣室の中のトイレに入ったのだった。

 外が夏の強い日ざしで明るかったせいか、更衣室のトイレはとっても薄暗く感じられた。トイレの中には誰もいなくて、4つ並んでいる個室も全部空いていた。
 水着のままトイレ用の下駄をはくと、優里はもうカラコロと下駄を鳴らしながら手前から2つ目の個室に入って行った。
 こんな木製のサンダルを履くのは初めてだった素香は、やっぱりカラコロと音を立てながら一番奥の個室に入った。
 ガチャンと音をたてて扉を閉めてカギを掛けると、一つ隔てた後ろの個室から勢いのいい優里のおしっこの音が聞こえてきた。
「あー、カミがないよー」
 という優里の声がする。あわてて自分の前のペーパーのホルダーを見ると、自分の入っている個室にはちゃんとペーパーがあった。
「いっかー、これからシャワー浴びるんだしー、はは、、」
 という優里の声が聞こえたので、
「そーだよ、そーだよ」
 と、自分もおしっこをしながら、ハハハ、と笑った。下を見ると、白い和式便器に注がれるおしっこは確かに濃い色をしていた。

 夜空には青と白と赤のトリコロールの鮮やかな3色の花火が舞っている。こんなに鮮やかな色をいったいどうやって出すのだろう。
 空高く同時にはじけた3つの花火は、それぞれがまるでくす玉を割ったように、きらびやかな色の星屑を川面に落としていった。
(すごーいきれい!、、、ああ、でも結構おしっこしたいなあ、、)
 今日はずっと汗をかいていたから、そんなにおしっこは出ないと思ってたんだけど、なんでさっきから急にしたくなってきたんだろう、、、
 昼間プールではジュースを2杯飲んだけど、プールを出る時に行った更衣室のトイレではおしっこは少ししか出なかった。たぶんプールサイドで飲んだジュースは汗で全部出ちゃってたのだろう。そういえばプールを出てから売店で500mlのミネラルウォーターを買って、喉がけっこうかわいてたから優里の家に着く前に全部飲んでしまった。そのあと優里の家でケーキと一緒に紅茶をごちそうになって、あとはさっきお弁当の時に飲んだカップ2杯の麦茶か、、、なんだかんだとプールを出てからいろいろ飲んだんだ、、、まあ、しょうがないか。
 さっき優里が行ったおトイレに行ってこようかな、、、そう思って仮設トイレの方に目をやると、もうあたりはまっ暗で仮設トイレは見えなかった。
 おしっこしたいけど、あの仮設トイレまで、座って見物している人達の前を通り抜けて行く勇気はとってもない。とにかく花火が終わるまでなんとか我慢しなければ、、、

 ズドーン、ズドーン、ズドーンと立て続けに花火があがった。ウォー、というあたり一面からの観客の声。空一面が一瞬パーっと明るくなる。続けざまにズドーン、ズドーン、ズドーンという大きな音とともに連続して花火があがる。
(すごーい、すごく綺麗!、、、でも、なんかこの音でおトイレに行きたくなっちゃうよ、、、)
 連続する花火の大きな音が、すでにほぼ満タンの素香の下腹部に響く。思わず背筋がブルっと震えて、足を組み替えて座り直した。
(どーしよう、、花火が終わるまで我慢できるかなあ、、、)
 素香は無意識のうちに、さっき優里が行った仮設トイレの方向に目をやっていた。
 もうあたりは真っ暗で、仮設トイレまでは見えなかったけれど、花火が一度に上がって夜空を照らした瞬間、ぼんやりと遠くの方にそれらしき物が見えた気がした。
 下腹部からジンジンと伝わってくる要求は、確かに素香の心の中に大きな不安を芽生えさせているが、とにかく自分はその要求にまだしばらくは耐えられるはずだと自分自身に強く言い聞かせて、別の事を考えるようにしようと思った。
 すぐ後ろにすわっている家族連れの中の小さな女の子が、おねえちゃんたちどーぞ、と可愛い声で言っておせんべいをくれた。
「あっ、どうもありがとうー!」とその子に言って、お礼を言おうと思い後ろを振り返ると、たぶんその子のおばあちゃんであろう、品のよさそうな中年の女性がおせんべいの袋を開けて、よかったらもっとどうぞ、とにこにこしながら差し出してくれた。
 優里が「あっ、どうもありがとうございます」と言って一枚ずつパッケージされたおせんべいを4つ手にとった。
 バリッとパッケージを破って、中身を取り出してひと口かじると、サクっとした食感と共に何ともいえないほのかな甘さと優しい`醤油の香りが口の中に広がった。
「おいしいー」
 パッケージの袋を見ると『歌舞伎揚げ』と書いてある。
「素香、おいしいー?わたしもこれ子供の頃から大好物なのよー」
 と言って、優里は水筒からカップに麦茶を注いだ。
「素香も麦茶飲む」
 おせんべいを食べながら素香も麦茶を飲みたかったけれど、今の状態で体内に新たな水分を補給するのは避けなければ、と思った。下腹部からのジンジンとした強い要求は、さっきから相変わらず休むことなく続いている。
 いや、続いているどころか、少しずつ、少しずつ、そして確実にその要求は強くなっている。
「ううん、、わたしはいいや、、それよりおトイレ行きたくなってきちゃった」
「えっ、ほんとに」
「うん」
「あっちに仮設のトイレがあるから行ってきなよ、けっこうきれいだったよ」
「うん、、、でも花火の最中に人の前を通って行くのもなんだから終わってから行くよ」
「そーいえば素香プール出てから行ってないんじゃない、、、だいじょうぶ?」
「うん、あとどれくらいで終わるかなあ」
 優里は腕の時計を見た。
「うーん、たぶん終わるのは9時くらいだと思うよ。あと30分くらいかな、我慢できる?」
「うん、、、何とか、、」
(花火、結構長い時間やってるんだなあ、、あと30分も我慢できるかなあ、、、)

 ズドーン、ズドーンと相変わらず花火は夏の夜空を幻想的なファンタジーの世界に彩ってゆく。
 花火の上がる音が相変わらず素香の満タンの貯水地に響く。その度に素香は小さなおしっこの出口をギュっと力を込めて締めつけなければならなかった。全身の毛穴から冷たい汗がにじみ出てきた。
 素香の予想よりもずいぶん早く、貯水地はもう許容量の限界状態になってしまっているようだった。
 さっきから正座をして、踵でおしっこの出る場所をギュっと押さえつけているけれど、もうどうしてもじっとしていられなくなっていた。腕の時計を見ると、終わるまであと10分くらいある。ああ、どうしよう、、。
 視線は花火の舞っている夜空ではなく、仮設トイレの方に向いてしまう。思いきって行ってこようか、もうそろそろ我慢の限界だ。こんなところで漏らしたら大変だ。
 自分は今までに何度も、いや何十回もおしっこ我慢の修羅場を経験してきた。でも、幸い今まで一度も人前で粗相をしたことはない。だから今日も大丈夫だ、と自分に言い聞かせて、今にも溢れそうなおしっこの出口に力を込めて締めつけた。しかし膨れ上がった貯水地の中のおしっこは、さらに凄い勢いで小さな出口をこじ開けようとしている。
(ああーーー、、もうホントおしっこ限界だ、、、どーしよー、、でも絶対に我慢しなきゃ、、こんなとこでお漏らししちゃったら大変、、それに優里に借りた浴衣もよごれちゃう、、、頑張れば絶対にまだ我慢できるはずだ、、、、だってさっき優里が言ってたもん、、、、、私は『貴婦人の膀胱』だって、、、、、、、、、、)

「ねえ、素香、だいじょうぶー?」
 突然優里が声をかけてきた。
「えっ、、」
 素香は今にも泣きそうな顔で優里を見た。
「さっきからもじもじしてて、、、おトイレ行きたいんでしょ」
「あっ、、うん、、」
 優里は自分の腕の時計を見ると、
「ねえ、もうすぐ終わると思うから、ここ片付けてトイレのとこまで行こう。花火はどこからでも見えるからさあ、それに終わってからだとトイレ混むかもしれないし」
 と言ってくれた。
「あっ、うん、ごめんね、、、」
 二人はシートの上にあった水筒やお弁当箱を片付けて、後ろに座っている家族に「ごちそうさまでした」と会釈をして、女の子にバイバイーと手を振ると「スイマセン、、」と言いながら座っている人達の間をぬって、腰を屈めながら土手の方に向かった。

 後方でズドーン、ズドーン、ズドーンと花火が連続して上がり始めた。
 前を行く優里が振り返って夜空を見上げる。
「いよいよクライマックスだわ」
 ズドーン、ズドーン、ズドーン、ズドーンと続けざまに花火が上がる。
 素香は浴衣の裾をはだけないように押さえて、前屈みになって優里の後を歩きながら、花火を打ち上げる大きな音がするたびに思いっきりおしっこの出口を締めなければならなかった。幸いにも優里が歩いてゆく方向は、仮設トイレがある方ではなく後ろの土手の方だったので花火を見ている人たちに『あの娘はトイレが我慢出来なくなちゃったんだ』と思われないですんでいるかもしれない。優里もさすがに座っている見物客の目の前を、仮設トイレに向かって最短距離で横切って行く事には気がひけたのだろう。
 河川敷を土手まで何とか戻って土手の上の小道に出ると、仮設トイレのある方に向かって歩き出した。クライマックスを迎えた花火は、今までにない勢いで目まぐるしく色鮮やかに夜空を照らし出している。
 土手に出るまでは、なるべく見物客の視界の邪魔にならないように優里といっしょに中腰で歩いて来たが、土手の小道に出てからも素香は前屈みのままだった。
(ああ、早くしないとホントにおしっこ出ちゃうよ)
 少し歩いたところで優里が振り返った。
「素香、トイレけっこう並んでるよ、ほら、、、」
 仮設トイレの方を見ると、たしかに行列が出来ているようだった。
 優里のあとをついてもうすこし歩くと、仮設トイレが見えてきた。どの個室の前も20人弱の人が並んでいる。
「ねえ、どうする、、、これ、ひとり1分だとしても20分くらい並ぶ事になるよ」
「うん、そーだねえ、、、」
 素香は前屈みのまま答えた。目の前が真っ暗になった。今の状態であと20分なんて、とても我慢できるはずがない。
「素香、我慢できる?」
「もうダメかもしれない、、、」
「うちまで急いで帰ろう。その方がはやいよ」
「、、うん、、そーする、ごめんね優里」
 もう一刻の猶予もなかった。
 それに、いずれにせよ我慢しなければならないのなら、目の前にあるトイレの前でじっと順番を待って我慢するより、歩きながら我慢したほうがまだ気が紛れると思った。
 優里のあとをついて土手の上の道を早足に戻ってゆく。前屈みになってなるべく下腹部に振動が伝わらないように摺り足で歩く。
 ズドーンという音と共に最後の花火が終わったのだろう。河川敷の見物客から大きな拍手とざわめきが聞こえてきた。
 同時に見物していた人達が荷物を片付けて、ザワザワと一斉に土手の上の小道に上がってきた。あっという間に素香たちが歩いていた細い道は人でいっぱいになり、歩くスピードも急にノロノロになってしまった。河川敷の方から人が次々と上がってくる。
「素香、はぐれたらたいへんよ」
と言って優里の右手が素香の左手をつかんで引き寄せた。
「素香だいじょうぶ?」
「うん、、」
 もう前も横も後ろも人でいっぱいだ。下腹部の貯水地はすでに警戒水域を超えてしまっている。一瞬、ビニールの手提げを持った右手で股間を押さえずにはいられなかった。中指に力を込めて、浴衣の上からあそこを強く押さえる。
 前も後ろも右も左も、こんなに人で密集しているので、あそこを押さえても誰にもわからないはずだと思った。 行列はノロノロとしか進まない。人いきれと必死のおしっこ我慢のためか、急に体中が汗ばんできた。
(ああ、どーしよう、、、こんなところで、、おしっこ限界だ、、、)
 小さな水門を必死に締めつけようと全身の力を集中すると、思わず繋いでいる優里の右手もギュッと握りしめてしまう。優里がふり返る。
「素香、がんばって、、もうすこしで道路まで降りる道だから」
 しかし素香の焦った気持ちとはうらはらに、行列は牛歩の歩みのまま遅々として進まない。
 素香たちの少し先の方で、小さな女の子が「おかあさん、おしっこもうがまんできないー」と叫んでいるのが聞こえた。その数秒後に、母親があわてて子供の手をつかんで土手の道からはずれて、わきの草むらに入って行くのが見えた。
(いいなあ〜、、、小さい子は、、、、わたしだってもう漏れそうなのに、、)
 素香は何だか泣きたくなってきた。また力を入れて右手で股間を押さえる。同時につま先立ちで、おしっこの出口を思いきりギューっと締めたけど、おへその下の貯水地がパンパンで悲鳴をあげている状態に変わりはなかった。
(ああ、、おねがい、、何とかして、、、)
 優里とつないでいる左手に力が入る。手のひらが汗ばんできた。
 バッグを持ったまま股間を押さえている素香を見た優里が、
「素香、だいじょうぶ、、それ持ってあげるよ」
 と言ってバッグを持ってくれた。
「ありがとう、、、」
「ねえ、ここから降りちゃおうか」
 優里が土手から下の道路に続く草むらを見て言った。そこはちゃんとした道ではなかったけれど、土手の中で少しだけ草が踏まれて薄くなっていて、さっきから何人かの小学生達がそこを駆けおりて下の道路に抜けて行っていた。
 素香はとにかく1秒でもはやくこのノロノロの行進を抜けたかったので、勇気を出して草むらの中の近道を下りる事にした。
 暗くて足元はでこぼこだった。生い茂った草をかき分けて、慎重に足場の悪い土手を降りて行く。
 一歩づつ足を進めるたびに、今まで平らな道を歩いている時とは比べ物にならない位の振動がパンパンの下腹部に伝わって来る。両腕に鳥肌が立ってきた。優里の手を握りしめる。
 素香は昔読んだ本に書いてあった『火事場のばか力』という言葉を思いだした。もうこうなったら自分の『火事場のばか力』を信じるしかない。『火事場のばか力』でおしっこの出口をふさぐしかない、、、、ああ、神様お願い、、、、、
 優里の手をギュッと握りながら、ありったけの力を振り絞って、おしっこの出口をギューっと締め続けながらようやく下の道路まで出ることが出来た。
 全神経を下腹部に集中させて土手を降りきるまでは、おそらく、たかだか数十秒の間だったけれど、素香にはとてつもなく長い時間に感じられた。
「やっと出れたね、、急ごう」
「うん」
 素香は前屈みのまま小さな声でやっと答えた。
 早足で進んで行く優里と手をつなぎながら、内股で前屈みのままついてゆく。ところが優里の歩くスピードについていこうとすると、振動で貯水量を超えたダムが決壊しそうになる。あわてて股間を押さえながら、
「ねえ、優里、、そんなに早く歩いたら漏れちゃう、、」
「あっ、ごめん、だいじょうぶ、、」
「うん、、、」

(ああー、どうしよう、、、、もうだめかもしれない、、)


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