MOTOKA 第1章




「女の子は人前でお手洗いなんか行ってはいけないのよ」

 素香は幼い頃から母親にそう躾けられてきた。
 実際に家族や母親と一緒に外出していて、母親がトイレに行くのを見た記憶がない。
 だから素香は小学校に入る頃には、いつもトイレを我慢する習慣がついていた。
 素香は父親の仕事の都合で幼少時から中学2年までマドリードやニースなど欧州の比較的温暖な地域で暮らしてきた。
 週末には家族で地元の社交界の小さなパーティーに招待される事が多かったが、その時も素香の母親はパーティーの間中トイレに立つ事はなかった。
 まだ幼かった素香は、ふだんあまり飲まないジュースをたくさん飲でトイレ行きたくなり、パーティーの途中で母親に、
「おトイレに行きたい」
と告げる事がしばしばあった。
 そんな時決まって母親は
「もう、ジュースの飲み過ぎじゃあないの。女の子なんだから我慢しなさい」
と言って、素香をすんなりとトイレに連れていってはくれなかった。
 美しくて、普段はとても優しい母親であったが、ことトイレの躾にかんしては厳しかった。
 それでもどうしても我慢ができなくなって、
「お母様、おトイレ、、、」
とすがると、
「もう、しょうがないわねえ、素香さんは」
と言って、素香をトイレまで連れていくのであった。
 トイレに着くと、きまって、
「素香は女の子なんだからなるべく人前でお手洗いなんか行っちゃだめよ、わかった」
と言って素香の頭をやさしくなでるのであった。

 中3になった年に素香は東京に戻ってきて私立の中学に、いわゆる帰国子女として編入した。
 幼少時の躾のせいか、素香はそれまで欧州で生活していた時は、朝家を出てから帰宅するまで学校のトイレをなるべく使わないようにするという習慣ができていた。
 4月の始業式にこの学校に編入してから何日間かは午前中で授業が終わりだったので、学校のトイレには行かずにすんだ。
 ところが平常の6時間授業になると事情が違ってきた。
 まず、素香の家から学校までは電車を使って通学に1時間弱かかる。
 朝の7時すぎには家を出なくてはならない。
 今までの欧州の学校は家から歩いて10分ほどだった。
 そして、学校の制服である。
 欧州にいる間は制服などなかったのでほとんど毎日ジーンズで通学していた。
 今度の素香の学校の制服はいわゆるセーラー服なのだが、スカートを穿きなれていない素香には下半身がスースーしすぎる感じがした。
 そして欧州の温暖な地域で育った素香には、4月といえども日によっては日本の気候はとても肌寒く感じる時があった。

 平常の6時間日程になって3日目の事を素香は憶えている。
 その日は曇り空で少し肌寒く、4時間目の途中で尿意が強くなって来たのだった。
 おまけに慣れないスカートを穿いているせいで下半身がスースーする。
(ああ、まだ午前中なのに結構お手洗いに行きたくなって来ちゃった)
 トイレを我慢しているせいで下腹部のあたりがジンジンしている。
 昨日と一昨日は5時間目くらいから尿意を感じていたけれど、何とか家に着くまで我慢出来た。
 素香は欧州にいた時も午後の授業から尿意を我慢して帰宅することは日常茶飯事だったので、そんなに気にはしていなかったが、帰りの電車が結構つらかった。
 よく考えたら朝から今までより通学時間のぶん2時間近く長く我慢しなければならないのである。
 それでも昨日と一昨日は、幼少時から少しづつ鍛えられていた素香の貯水池は何とか耐え忍んだのであった。
 その日は4時間目が終わった時点で素香の貯水池は警戒水域に達していた。
(今日は家までおトイレ我慢出来ないかな、、)
 お昼のお弁当を食べながら素香は思った。
 昼食時に学校から支給されるお茶は口にする事なく、とりあえずトイレは我慢して5時間目の授業に挑んだ。
 しかし5時間目の後半になると、素香の貯水池は悲鳴をあげていた。
(もうだめだ、この時間が終わったらお手洗いに行こう)
 授業終了のチャイムが鳴ると、素香は教室を出て足早にトイレに向った。
 日本に戻って来てから自分の家以外のトイレを使うのは初めてだった。
 初めて入る学校のトイレの中は薄暗く、ひんやりとしていた。素香が通っていた欧州の学校のトイレはもっと明るくて開放的な雰囲気だったのである。
 個室のドアを開けると素香は驚いた。
「えっ、何これ!」
 素香の目の前に現れたのはごく普通の白い和式便器であったが、素香はそれを目にするのが初めてだ。
「やだっ、床が汚れてる」
 便器の回りの床は濡れて汚れていた。おそらく他人の尿であろう。素香はその個室を出て隣の個室に移ろうと思ったが、すでに両隣りの個室には他の生徒が入った音がしており、さらにトイレの中には何人もの生徒がガヤガヤと入って来て個室の前に並んでいる様子だったので、あきらめてその床の汚れた個室で用を足すことにした。
 とりあえずペーパーを多めに使って床の汚れている部分を拭き取り、汚いのでつまさき立ちで便器をまたごうとしたが、はたしてどちら向きにまたげばいいのかわからない。しょうがないので素香は洋式便器のように金隠しと水洗レバーのある方を背にして、屈んで用を足す事にした。
 つま先立ちで便器に屈むと朝から溜りに溜っていたものを排出するために素香は下半身の力をゆるめた。
『シュッ』
という音と共に噴出したそれは金隠しのないその便器から大きく前方にはみだしてしまった。
「やだっ、大変!!」
 慌てて噴出の勢いを押さえたが、便器の回りを随分汚してしまった。
 今までしゃがんで用を足した事のなかった素香は、自分の小水がこんなに前方に向って飛ぶという事をこの時初めて知ったのであった。
 やがて長い放水が終わるとペーパーで汚してしまった便器の回りをきれいに拭き取り、素香はトイレを後にした。

 そんなわけで素香の和式便器初体験は、薄暗いし汚いし勝手がわからないしで、さんざんであった。
 そして次の日から素香の小さな戦いが始まったのである。
 第一印象がよくなかったせいもあって、素香はとにかく学校のトイレだけは使わずにいたいと思った。
 とはいっても朝の7時から夕方帰宅するまでトイレに行かずにいるのは容易な事ではい。
 翌朝、素香は家を出る前にはなるべく水分をとりたくなかったが、素香の家ではヨーロピアンスタイルの朝食時にコップ1杯のミネラルウオーターとアールグレイティーを飲むという習わしがあった。
 素香の母親は昔ファッションモデルの仕事をしていたという事もあって、女性の美容と健康管理には特に気を使っている。娘の素香に対してもその点に関しては一緒であった。
 とにかく朝起きたらコップ1杯のミネラルウオーターを飲み、パンと新鮮なサラダと卵料理と紅茶、というのが素香の家の朝食時の習慣であった。
 学校の和式トイレを使った次の朝、素香は母親に、
「お母さん、今朝は何だかお水飲みたくないな〜」
と言ったが、
「駄目ですよ。朝起きたらちゃんと夜中に失われている水分を補給しなければ。おかあさんは素香の体ためを思って言ってるんですからね」
 と言われてしまった。
 素香の母親は美しく、とても優しかったので、素香は母親の事が大好きだったし、今までいつも素直に母親の言う事を素直にきいてきた。
「は〜い」
 と言ってグラスのミネラルウオーターを飲みほして、紅茶を飲みながらいつものように朝食を終えると素香は家を出た。
 その日は前日よりは気温も少し暖かかったせいもあって、素香は何とか学校のトイレは使わずにすんだ。
 しかし、やはり穿きなれないスカートは相変わらずスースーしたし、6時間目が終わる頃には素香の貯水池は満タン状態で危険信号を発していた。
 その日の授業が終わると素香は急ぎ足で校門を出た。
 学校から駅までは10分弱であったが、朝からトイレに行かずに極限まで我慢している素香にとってはとてつもなく長い時間に感じられた。
(ああ、もう我慢できないよ、あそこの駅ビルのお手洗いに入ろう)
 もう今の状態で電車に乗るのは不可能だった。

 5月になり、いわゆる日本の「ゴールデンウイーク」が終わる頃になると気候も随分暖かくなっきたせいもあってか、素香は何とか学校のトイレを使わずに過ごすことが出来るようになっていた。
 4月中は毎日が本当に戦いであった。
 とにかく学校にいる間は常に『おトイレ』の事が頭の中にあった。
 男子はもとより、女子の友達にも自分がトイレに入ったり出てきたりするのを見られるのがとても恥ずかしい事のような気がした。
 それでも、どうしても学校のトイレを使わなくてはならない状況になった時は、人に見られないよう上の階にある音楽室の隣のトイレへ行くようにしていた。その階のトイレは生徒の出入りがほとんどなかったし、そのせいもあってか比較的清潔な感じがしたのである。
 素香は結局4月は生理中にしかたなくもう一度だけ学校のトイレを使用した。
 あとは何とか我慢したがそれでも2度ほど帰宅途中で限界を感じて、クラスメイトに見られないようにこっそりと途中の駅の駅ビルのトイレに駆けこんで用を足したのであった。


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