いつきちゃん (初デート)前編




 長谷部樹(はせべいつき) 当時17歳、東京都台東区

 都内の私立高校2年のいつきは、バレーボール部に所属していた。 身長は158センチと高くはなかったが、それでもセッターの座を争うほどの実力を持っており、その穏和な性格から、卒業を控えて退部していく3年生の推薦を受けて、次期キャプテンに選ばれていた。
 他校と練習試合をしていた秋のある日曜日、
「いつき、先輩たちも応援に来てるよ。」
 チームメイトに言われてそちらを見ると、数人の男女がコート脇に立ってこちらを見ているのがわかった。
(あ、宮下先輩だ!!)
 その中に、いつきの心を高める人物、宮下圭(みやしたけい)がいた。
彼はいつきの2級先輩で、昨年卒業した大学生である。
さほどイケメンではない風貌だが、180センチの身長を生かし、クラブで汗を流すその姿に、いつきは入学当時から惹かれるものを感じていた。
しかし直接話をする事はなく、いつも遠くから眺めているだけの1年が過ぎて彼は卒業し、第2ボタンをもらう事もできなかった。
 それから1年、宮下ほど心を惹かれる人物は現れていなかった。
(なんか先輩・・前よりカッコよくなってる!!)
 現役当時は学校の制服かユニフォーム姿しか見たことがなく、目にした私服姿にいつきは新鮮な感情を抱いていた。
「キャプテンあぶないっ!」
 ボコッ!
つい宮下に見とれていたいつきの顔面に、レシーブ失敗のボールが直撃した。
驚いてのけぞるいつき。
痛さよりも、宮下に見られてしまったのではという恥ずかしさが先に立った。
「こら長谷部、なにボーッと突っ立てるんだ!!」
 宮下の声である。
(え゛、先輩が私のこと覚えてる!!)
 その瞬間、いつきはうれしさと、倍増した恥ずかしさが入り交じって、うろたえてしまった。
(やっばぁい・・もう立ち直れない!!)

 試合はいつきが舞い上がってしまった事が逆に功を奏したのか、圧倒的な勝利に終わった。
「長谷部、よくがんばった。さすがはキャプテンだ!」
 いつの間にかすぐ後ろに宮下が立っていて、そう言いながらにこやかにほほえんだ。
いつきは驚いて
「あ・・あの・・」
 お礼を言おうとしたが声にならない。
「次もがんばれよ。じゃあな!」
 いつきの肩をポンとたたくと、宮下は後ろ手を振りながら歩いていった。
その先には先輩たち男女数人が立っている。
宮下はその連中と談笑しながら体育館を出て行った。
(先輩・・、あの中に彼女とかいるのかなあ・・?)
 褒められて肩をたたかれたうれしさの反面、女性たちと親しそうに話す姿を見ていると、嫉妬心に近い複雑な感情が高ぶってくるのを押さえることが出来なくなってしまったいつき。
(先輩・・・)

 いつきは宮下の事をほとんど知らない。
どこに住んでいるのか、大学では何を専攻しているのか、今現在バレーボールをしているのか、そして、つきあっている彼女が存在するのかどうか・・。
彼が卒業して以来、その後の消息を聞いたこともなく、いつしかその存在も薄れかかっていたが、偶然再会した事と、彼がいつきのことを覚えていてくれた事がうれしくて、いつきは1年前に抱いていた感情よりも、もっと強い思いを巡らせ るようになってしまった。
かといって友人やほかの先輩たちに、彼のことを聞き出す勇気など持ち合わせていない。
もう一度会いたい。会って、せめてもう少し話をしてみたい。
そんな願いを持ちながら、いつきは冬休みを迎えていた。
 正月を挟んでいくつかの練習試合がある。
宮下はそれらの試合に時々顔を出してくれた。
時にはひとりで来てくれることもあった。
いつきは顔を合わせるたびに思いが募る。
そう、ここに来ていつきは、これが恋している感情だと自覚した。
(もっと話したい!!)
彼女がいるかもしれない、そんな不安な気持ちもあったが、いつきの感情は膨らんでいく一方であった。

 2月14日、バレンタインの土曜日、この日も午後に練習試合があった。
体育館に宮下の姿を探すいつき。
(いない・・)
 今日は来てくれないのだろうか?いつきは落胆する。
そのせいか、試合は一方的な負けになってしまった。
トボトボと体育館を後にしてバス停に向かういつきたちに、車のクラクションがなった。
宮下である。
「わるい、もう終わっちまったか?」
 応援に来るつもりであったが、間に合わなかったと言う。
いつきは思わず車に駆け寄った。
「あ、あの・・先輩・・」
 焦りながらバッグをゴソゴソとかき回し、
「あ、あの・・これ・・」
 きれいに包装された小さな包みを差し出すいつき。
この日のためにと、慣れない手つきで作り上げた手作りチョコであった。
「お、サンキュー、こりゃ来月はお返ししないとな!」
「あ、いえそんな・・」
期待しながらも遠慮してみせるいつき。
「はは、じゃ、また連絡するよ!」
 宮下はそう言って車を走らせた。
(先輩・・、期待しちゃいますよー!!)
 いつきは走り去る車を見送りながらそう叫びたかった。
チームメイトが冷やかす。
いつきはそれさえも気にならず、ずっと車を見送っていた。
(けど・・連絡って・・どうやって?)
 お互いの電話番号すら知らないのに、どこにどうやって連絡をくれるというのか、いつきは不安になっていた。
(そう言えば先輩って、なんでいつも試合の日を知ってるんだろう?)

 それからしばらくの間、クラブ活動に大きな行事はなく、単調な練習を繰り返し行う日が続いて、やがて学年末試験を迎えた。
その間も宮下からは何の連絡もない。
あれは社交辞令だったんだと自分に言い聞かせ、いつきは気持ちを切り替えて勉強していた。
しかし胸の奥にはズーンとしたおもりがはびこり、息苦しさを感じる毎日が続いて、いつきは落ち着きがなくなっていた。
(なんか・・胸が痛いよぉ・・・)
 片思いの切なさを初めて実感するいつきであった。

 学年末試験も無事に終わり、都内では遅いほうである卒業式を明日に控えた3月13日、体育館が使えないために、バレー部はミーティングだけを済ませて下校し、いつきは数人と水道橋駅前のマックに立ち寄っていた。
ホワイトデーは明日だというのに、宮下からは何のアクセスもない。
もうその事はあきらめていたいつきであったので、チームメイトとの談笑に華を咲かせていた。
当然のように話は彼氏やボーイフレンドの事になる。
みなそれなりに悩んだりぶつかったりしているようであるが、いつきに対しては気を遣っているのか、それとも関心を持たれていないのか、宮下との事を聞く者はいなかった。
(どうせわたしは・・)
 確かにこれまで異性との浮いた話もなかったいつきである。
そう言った話題に無縁の存在であったので当然なのかもしれないが、それはそれで少し寂しい思いも感じていた。
あきらめているはずの感情が、皆の話によって再燃してしまい、いつきはだんだんと落ち込んでいく自分が悲しくなっていた。
もし誰かが聞いてくれたら、少しは抱いている不安などをぶつけられるかもしれないのにと・・。
 マックを出てそれぞれの方角へと解散し、ひとりになったいつきはトボトボと改札に向かって歩き出した。
足取りは重い。
そこへ後方から
「キャプテーン!!」
 1年生の紺野みゆきが追いかけてきた。
「キャプテン、大事なこと伝えるの忘れてましたー!!」
 ハァハァと息を切らせながら駆け寄るみゆき。
「どうしたの?クラブのこと?」
「いえ、けい兄ちゃんからの伝言です。」
「けい兄ちゃん?」
「はい、あしたの卒業式のあと学校で待つようにって。」
「はぁ?」
「あ、けい兄ちゃん・・いとこの宮下圭ですよぉ!」
「いとこっ!?」
 まさか紺野が宮下といとこであったとは。
いつきはキツネにつままれたような心境になり、しばらく言葉が出なかった。
「えっと・・いとこだったのぉ・・!」
 練習試合の日を知っていたのは、みゆきから聞いていたからなのか、連絡するというのは、みゆきを通じての事だったのかと、そのナゾが説けていく反面、宮下は私のことをみゆきにどう伝えているのかと不安にもなる。
「あ・・、宮下先輩が私に・・?」
「はい、バレンタインのお返しするんだって言ってました!」
「え゛!!」
「キャプテン、けい兄ちゃん、きっとキャプテンのことが好きなんですよぉ!!」
「あ、え・・あ、ちょっとぉ、変なこと言わないでよぉ!」
「だってそうじゃなきゃ、わざわざ私に伝言なんか頼まないでしょ!」
 言われればその通りである。
1年生の前でうろたえる自分の姿に恥ずかしさを覚えるいつき。
「じゃ、しっかり伝えましたからねー。失礼しまーす!」
 紺野みゆきはそう言うと、スカートをひるがえして走っていった。
「あ・・ありがと・・う・・」
 みゆきに聞こえたかどうか、いつきはかすれた声でそう言った。
そのみゆきの姿が見えなくなっても、いつきはその場から動けない。
あまりにも唐突すぎて、まだ現実の話として受け止められないでいる。
胸の奥にズーンと固まっていたおもりが解き放たれ、一気に気持ちが軽くなったのは事実であるが、それとは別に、明日、どういった顔で会えばいいのか、何を話したらいいのかと、また新たな不安がよぎって、いつきの心は張り裂けそうに なり、それまでとは違った胸の痛みがわき上がってきていた。

 3月中旬にしては少し肌寒く、うす曇りのこの日、いつきは在校生代表のひとりとして卒業式に列席していた。
何か役があるわけではなく、ただ単にバレーボールクラブの代表というだけの、数会わせ的な存在であった。
 いつきは夕べ、なかなか寝付けなかった。
今朝は今朝で早くから目が覚めていた。
今日このあと宮下と会う。そのことで頭がいっぱいになり、淡々と進む式の進行が遅く感じられるいつきであった。
 ただ単に会うだけだ、会ってお話をするだけだ。それ以上は絶対と言っていいくらいあり得ない・・・、そんなことは充分にわかっているいつきであったが、それでも制服の下には、初めて自分で買った真新しい下着を着けていた。
肌寒い体育館の中で式は単調に進み、卒業生が退場した後、いつきたち在校生も体育館を後にした。
 日差しがないために風が冷たい。
その風が通り抜ける校庭に出ると、卒業生や父兄、在校生が入り交じり、いくつものグループが出来てにぎやかになっていた。
いつきも卒業するクラブの先輩たちの元へ駆け寄り、これまでのお礼を言って握手を交わし、一緒に記念写真に収まったりしていた。
と、その時、いつきは通用門に宮下の姿を捉えた。
(来たっ!)
 淡いクレーのジャケットを羽織った宮下は、卒業生や教職員たちと会釈を交わしながら、徐々にいつきの方へ近づいてくる。
いつきの鼓動が早くなり出した。
すぐそばまで来ると、宮下はクラブの男子卒業生たちに囲まれた。
それを一歩下がって見ているいつき。
やがて話が一段落し、みながそれぞれ散らばり出すと、
「教員室に用事があるから行ってくる。もう少ししたら通用門で待ってくれ!」
 宮下はかなりはっきりした口調でいつきにそう伝え、校舎の方へ歩き出した。
それを見送りながら時計を見るいつき。
11時半であった。
 一通り卒業生たちと挨拶を交わしたいつきは、手提げバッグを置いている教室に戻り、なにげに校庭を見下ろしてみた。
先ほどまでのにぎわいがウソのように静かになり、そこに見える人数はまばらになっていた。
それがなにかすごく寂しく感じるいつきであった。
「あ!」
 感傷に浸っていると、宮下が通用門に向かって歩いて行く姿が見えた。
いつきはあわてて教室を飛び出し、手提げバッグを振り回しながら、スカートが広がるのも気にすることなく階段を駆け下りていった。
「すみませーん。遅れましたー!」
 門を出たところに立つ宮下に向かって、いつきは息を切らせながら駆け寄って行く。
宮下はニッコリと笑いながら、
「今日、時間は大丈夫?」
 と聞いてきた。
今日の予定を全く知らされていなかったいつきであったが、ひょっとしたら初めてのデートになるのでは!?という願望もあって、少しぐらい遅くなってもいいように、「夕食までには帰る。」と親に告げていた。
「あ、はい夕方までなら・・」
 少し恥ずかしそうに応えるいつき。
「そうか・・じゃあちょっとドライブでもしようか!」
「え?」
 まさかドライブまでは想定していなかったので、いつきは驚きを隠せない。
高鳴る鼓動を必死で押さえながら、半歩前を行く宮下を追うように歩いていった。
少し歩いた先のコインパーキングに宮下の車があった。
「さ、乗って!」
 いつきは今から宮下とドライブデートだと思うと、もうそれだけで舞い上がったしまい、そそくさと助手席に回り込んで座席に座ると、ずり上がったスカートの上に手提げバッグを置いて足を隠した。
「どこか行きたいところある?」
「え、ううん、どこでもいいです!」
「そうか・・、じゃあお台場あたりへ行ってみようか?」
「はい。」
 お台場まではかなり距離があることはわかったが、前から行ってみたいと思っていた場所でもあり、宮下と一緒に行けるという嬉しさで、いつきは喜んで返事をしていた。
 土曜日のお昼という割には渋滞もなく、しばらく走って西神田から首都高池袋線に入り、深川線、湾岸線と走ってお台場の有明出口まで、およそ1時間少しで走れた。
薄曇りの空が晴れ、まるで初デートを祝福してくれるかのような穏やかな日差しに変わり、車の中でいつきは、高校へ入学した当時の事から現在に至るまでの、いろんんな出来事や感じていたこと、悩んでいたことなどをまくし立てるように 話しかけていた。
宮下はそれに対してにこやかに応えてくれ、それがうれしくてたまらないいつきにとっては、あっという間の1時間であった。
「あっ、フジテレビーっ!!」
 番組などでは何度も見ているその実物を遠くに見て、歓喜の声を上げてはしゃぐいつきを乗せた車は、潮風公園をゆっくりと回って、レインボーブリッジが目の前にある海浜公園へとやってきた。
 人気スポットとあってお台場の駐車場は混んでおり、やっとフロンティアビルの駐車場に停めることが出来て、ふたりは連れだって海岸へと歩いていった。
日差しはあるものの、吹き付ける海風はまだ寒い。
いつきは薄い水色のカーディガンの上に制服のブレザーを着ていたが、下はナマ足にハイソックスである。
さすがに寒く感じた事と、おしゃれをした若いカップルたちが行き交う中で、制服姿の自分の存在が場違いな感じを受けて、いつきは宮下の後ろに隠れるようにして、下を向いて歩いていた。
そんないつきの仕草を察してか、半歩前を歩く宮下の左手が、そっといつきの右手を握ってきた。
恥ずかしさとうれしさが一気に高まるいつき。
手を握られたことで宮下との一体感を感じ、やっと前を向くことが出来るようになった。
歩いていると、時々宮下の腕がCカップの胸に当たる。その時ツンと鈍い痛みのような感覚が全身に伝わり、それがまた恥ずかしくもあった。
「さきに食事しよう。」
 宮下に連れられて行ったのは、デックス東京5階にあるインド料理店であった。
ランチバイキングである。
初めてのインド料理でとまどっていると、宮下は優しくアドバイスしながら皿に取り分けてくれて、食べ方などを教えてくれた。
あいにくレインボーブリッジがよく見える席ではなかったが、いつきは宮下と食事することがうれしくて、またその反面恥ずかしくて、遠慮がちに手を進めていった。
 いつきはゆっくりと宮下の話を聞くことが出来た。
大学のこと、今はもうバレーをやっていない事。いとこの紺野みゆきは成田の子で、高校に通うために同居させている事、そして一番気になっていた彼女の存在。
それについて宮下は、特につきあっている女性はいないと言明した。
(わたし・・彼女になれるのかなあ?)
 いつきは聞いてみたかった。
しかし大学生の宮下からすれば、高校2年の自分はまだ幼くて、彼女としては見てくれないかもしれない。
けど・・、じゃあなぜ今日はデートを!!?
心の中で葛藤を繰り返したが、いつきは最後までそのことを口に出すことが出来ず、甘辛く残っているカレーの余韻と共に、アイスコーヒーで喉の奥へ流し込んでいた。

 1時間ほどしてふたりは外に出た。
海風に吹かれながら手をつないで歩くふたり。
「レインボーブリッジ・・夜景を見てみたいなあ・・」
 なにげに言ういつきに、
「いいよ、今度また連れてきてあげる!」
 宮下はあっさりとそう言った。
「ほんとですかぁ、うれしい!」
 現実的に夜景を見る時間帯にここへ来ることは、あるいは難しいかもしれない。
それは充分わかっていても、いつきはうれしかった。
つきあっていこうとか、彼氏彼女の関係になろうとか、そういった約束を交わした訳ではないけれど、今こうしてふたりで歩いているという事実を大事にしているいつきは、つないでいた手を宮下の腕に回し、その腕を自分の胸に押しつける ようにして抱きかかえ、頭は宮下の肩に預けていた。
端から見れば完全な恋人同士を思わせるそぶり・・、いつきは半分その雰囲気に自分自身を酔わせていたようであった。


後編へつづく

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