海 (マリン)




 私が彼女と出会ったのは今年の3月、交通事故で入院していた千葉県柏市内にある病院のリハビリ室であった。
彼女は私と同じぐらいの年であろうか、ショートカットの髪がよく似合い、身長は・・、そう160センチほどの、紺のジャージ姿がサマになった活発そうな女の子であった。
 私が初めてリハビリの部屋に連れて行かれたとき、彼女はちょうど病室に戻るところのようで、
「先生ありがとうねー!」
そう言って車いすに座り込むと、介助しようとしていた理学療法士の手をさえぎって、軽やかに廊下へと滑り出していった。
私は初めてのリハビリで、これからどんなことをされるのかと緊張していたから、彼女のことをそれ以上気にとめることはなかった。
 それから1週間ほどの間、彼女とはいつもリハビリ室ですれ違った。
きっと予約時間がそうなっていたのであろう。
すれ違うとき、彼女はニコっと私にVサインを送る。
私はそれを目で追うだけで、何も返さずにいた。
両手を使って車いすを走らせていく姿を、うらやましいとは思ったが、その時もまだそれ以上は何も思っていなかった。

 あの日、私はいつものようにマットの上で膝や足首の屈伸運動の訓練を受けていた。
創外固定をされていた間に、私の筋肉はすっかり固まってしまって、足首はまったく動かせなくなっていた。
それを動かそうとするのだからすごく痛い。
足首はもちろんだが、まだ骨折箇所が完全な状態ではなかったので、その部分にまで激痛が走る。
「いた〜い!、やめて〜もういやだ〜っ!!」
半泣きで言う私に
「由衣ちゃん、わがまま言わないの!がんばって!!」
と、聞き慣れない声。
涙目で入り口の方を見ると、その声の主は彼女であった。
「へ!?」
彼女はなぜ私の名前を知っているのだろう?
怪訝な顔をしていると、松葉杖をつきながら彼女が近寄ってきた。
「私もさ、がんばったんだよ。大丈夫だからね!」
まるでお姉さん口調で諭すように言う彼女に、私は思わず
「はい・・」
なんて言ってしまっていた。
私がどんな訓練を受けるのか、彼女はそれに興味があって、病室に帰らずに見ていたという。

 彼女の名前は 高垣 海 (たかがき まりん)
海と書いて(マリン)と呼ぶそうだ。
両親がサーフィン仲間であった事から、必然的な名前といえる。
 第2腰椎圧迫骨折と下腿の複雑骨折で、昨年の10月から入院しているという。
ジャージの下には固そうなコルセットが巻かれていたが、まもなく退院できるとも言っていた。
 まりんはいつも、元気がない私のことが気になって、理学療法士にいろいろ聞いたそうだが、個人情報云々で、名前しか教えてもらえなかったと言っていた。
 その時のことがきっかけとなって、私たちは親しくなっていった。
私は会社の計らいで個室に入院していて、リハビリ以外で病室から出ることが滅多になかったために、同じ整形外科フロアーに入院しているにもかかわらず、まりんとはリハビリでしか顔を合わせなかったようだ。
 私よりも動きがスムーズな彼女は、それ以来毎朝私の部屋に来てくれて、点滴している私の話し相手になってくれたり、リハビリが終わると、ふたりして車いすで院内を走り回り、私の行動範囲を広げてくれたりもした。
 私は左手にも骨折があって動かせなかったので、右手だけで操作できる電動車いすを使っていたが、まりんの教授のおかげで、その運転法もすぐに上達していった。
 事故以来、あまり人と会おうとしなくなり、いつもふさぎ込んでいた私が、日に日に明るくなっていったのは、みんなまりんのおかげだと私の母は喜んでいた。
 彼女は22歳。
都内の会社に勤めていたが、沖縄へダイビングに行った時に事故に遭い、向こうで治療を受けて、車いすに座れるようになったところで、地元に転院してきたそうだ。
私とそっくりなパターンであったが、彼女は私よりもかなり重傷だったようで、下腿はこちらで再手術を受け、今でもキュンチャーと呼ばれる、直径3センチほどの金属が、膝下から足首まで骨の中に入っていると言う。
近い将来、それを抜く手術があるそうだ。
 まりんははじめ、私のことを年下だと思っていた。
だから励ますときもお姉さん口調になっていたのであろう。
私が彼女よりも3歳年上で、しかも結婚していることを知った時、まりんは本当に目を丸くしていた。

 そのまりんが退院する日が近づいてきたある日、彼女はその日も私の点滴につきあってくれていた。
3月の終わりとは思えない陽気の日で、点滴が終わるやいなや、
「外に出てみようよ!」
まりんははしゃぎながらそう言った。
まだ外に出たことがなかった私は、はじめ少し躊躇していたが、まりんの勢いに乗せられて、すぐに電動車いすに座り込んだ。
ふたり連れだってエレベータに乗り、通用口から裏庭に出て建物の周りをグルリと1週したあと、付属の看護学校あたりまで、およそ20分ぐらい走り回り、本館中庭の花壇のそばまで来ると、まりんは車いすから降りて松葉杖を使って私の周りを歩きだした。
 およそ半年も入院していたまりん。
腰のコルセットも外され、退院が決まった事を知らせに来た日、彼女はまるで楽しみにしていたおみやげをもらった子供のように、顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。
今、私の周りを歩き回っている彼女は、きっとうれしさと希望で胸がいっぱいなのであろう。
 そんなまりんとは正反対に、私は少し前から落ち着きがなくなっていた。
普段なら点滴が終わればまずトイレだが、この時はまりんのはしゃぎぶりに乗ってしまって、500ccの抗生剤入り点滴をした後だという認識が飛んでしまって、私はトイレに行かずに出てきていたのだ。
点滴が終わって30分近くになる。
まりんには悪いが、いったん帰ってトイレに行きたい。
「由衣ちゃん寒いの?」
まりんが元気のない私を見てそう言った。
ジャージの上にカーディガンだけの姿でも、この日は決して寒くなかったが、点滴の後におそってくる爆発的な尿意に、確かに私は寒気を感じていた。
「あのさ、まりん・・」
楽しそうなまりんの顔を見ると、トイレに行きたいことを告げるのをためらう。
「んと・・、帰らない?」
「えー、もう戻るのー!?」
「ん・・、ちょっとさ・・、」
「わかった、由衣ちゃんおしっこしたいんだ!!」
ズバリと言い当てられて私はちょっとたじろいだが、まりんも点滴の経験者だから、その威力は十分知っているわけで、時間的な経過を考えれば察しがついて当然だ。
「そういえば点滴した後だもんね。」
「・・うん、まりんに乗せられてさ、トイレ行くの忘れてたよ。」
「あれえ、私のせいにするのぉ?」
「うんまあね!」
「許せないなあ、自分の事じゃん!」
まりんは笑いながら私の左側に近寄ってきて
「どれどれ!」
そう言いながら腰をかがめ、松葉杖ごしにその左手を私のおなかに当てて軽く押した。
「ひっ!」
すっとんきょうな声を出す私。
左手がまだ自由に動かせないので払いのけられず、右手でまりんの手をつかんで引きはがそうとしたが、その瞬間にもう一度まりんがおなかを軽く押さえてしまった。
「や〜っ!もうぉお!」
私が少し怒ったような声を出したので、まりんはすぐに手を引っ込めてくれたが
「まだ余裕ありそうじゃん!」
笑いながらそう言った。
「うん・・、けどトイレまでけっこう(距離が)あるじゃん・・」
私は言いながら電動車いすの電源を入れ、向きを変えようと操作した。
「だめだなあ。少しは我慢する習慣つけないと!」
「え?」
「私なんかさ、死ぬほど我慢した事あるんだよ。」
「・・?」
「あのときはさあ、」
まりんが遠くの方を眺めながら思い出話をしようとしている。
その内容がおしがま話だけに、私には興味深いものがあったが、今はそれをゆっくりと聞いている訳にはいかない。
おしがまに慣れている私でも、500ccの点滴をしたあとの尿意にはとても勝てないのだ。
「あ・・、あのさ、ちょっと待って。今は・・」
私はそう振り切って、車いすを走らせた。
「あ、こらー、逃げるなーっ!」
後ろでまりんが自分の車いすに腰掛ける動作音が聞こえる。
「こらー由衣ー!」
それはすぐに私に追いついてきた。
電動車いすは速度が20キロも出せないようになっている。
まりんは両手を使って車いすを操作しているので、速度はもっと速くなるのであろう。
「こら由衣、お姉さんに断りなしに行くなー!」
「おねえさん!?」
すぐ横に並んだまりんの顔を私は見入った。
「おねえさんって・・、どっちが年上だよ!?」
「入院では私の方がお姉さんだもん!」
「そういうのは入院の先輩って言うの!!」
「どっちでもいいじゃん。」
「よくない!、序列は守れ〜!」
などとくだらない言い合いをしながら、私はまりんに邪魔されつつ本館までもどり、ホールにある車いす用トイレに滑り込むことができた。
が、まりんもその中に入り込んできた。
「ちょっとぉ、なんでついてくるのよ〜!?」
「由衣ちゃんは左手が使えないから大変でしょ。手伝ってあげる!」
「いいよぉ。自分で出来るんだから!」
「恥ずかしい?」
「そういう問題じゃないよぉ。」
たしかに私は、左足と左手が自由ではなかったので、車イスから便座に体を移動させるのも、片足立ちしながら、しかも片手でジャージを脱ぐのも苦労していた。
500ccの点滴の後遺症(?)で、パンパンになった膀胱がうずいている私は、いまからそれらに要する時間を考えると、早くまりんに出て行ってもらわないと大変なことになると思って、にらみつけるようにして出て行くように訴えていた。
まりんは「冗談冗談!」と言いながら、狭いトイレの中で方向転換をして出て行ったが、あれは果たして本当に冗談のつもりだったのだろうか?
 その後ふたりして病室に戻ると母親が来ていて、私たちの帰りを待っていた。
着替えと一緒に、大好きなアイスクリームも持ってきてくれたので、母親には早々に帰ってもらって、まりんと一緒にそれを食べながら、徐々に話の内容を例の「まりんのおしがま」に持って行った私。
興味深いそれは、確かに驚くべき内容であって、やはり「マリン」という名前にふさわしく、海に関係するものであった。

 両親に教えられて、まりんは小さな頃からサーフィンをしていたが、高校生の時に父親の友人からダイビングを教えられ、興味本位で始めたことがきっかけとなり、以来まりんはその虜になってしまって、まるでダイビングをするために生まれてきたかのような、そんな上達ぶりを見せていき、インストラクターの資格を取るように勧められるまでになっていた。
しかしそのためにはひとつ、まりんがどうしても克服しなければならない問題があった。
それがために、彼女はインストラクターになることをためらっていたのである。
その問題とは、潜水中のおしっこであった。
長時間潜水していると、さすがに体は冷えてくる。
冷えると体力を消耗して危険でもあるために、ふつうスーツの中に放尿して、それで体温を保持することがある。
女の友人などから水中での放尿方法など、何度かアドバイスを受けていたが、
(できないぃ!!)
なぜか彼女はそれが出来ずにいた。
 思い知らされたのは3年前、初めての沖縄の海に胸膨らませて潜った時、まりんはその途中から尿意を感じ出し、しばらくは無視して楽しんでいたが、やがて意識が尿意に集中するようになってしまい、仕方なくフィン(足ひれ)の動きを止め、体を制止して放尿しようと試みた。
しかし思うようにする事が出来ず、体制の関係かと思って、岩陰や珊瑚の陰に回り込み、しゃがんで精神統一してみたが、それでもやはりおしっこは出てこなかった。
真夏の沖縄の海水温はおよそ30度近い。
それでも水中深く潜ると水温はかなり低くなり、時間とともに体は冷えてしまう。
周りにいるのは仲間だし、みんなやっている事だからと、何度も気を落ち着かせてみたものの、やはり放尿することは出来なかった。
どうすることも出来ないまま潜水時間いっぱいまで我慢し、浮上の指示でようやくボートに戻ったものの、ほかのメンバーが揃うまで陸には帰れない。
(みんなぁ、早く戻ってきてー!)
心の中でまりんは叫んでいた。
ボートにも簡易トイレは備えてあるが、囲いがあるだけの簡素な物で、ほかの人の目や耳が気になって利用する気にはなれず、ましてやウェットスーツを脱ぐだけでも大変な動作であるために、まりんはさらに我慢を強いられ、ようやくたどり着いた宿のシャワー室で、スーツを脱ぐときに限界が訪れて、あろうことかそこでお漏らしをしてしまった。
 それ以来、彼女は水中で尿意を感じると、早々にボートに引き上げて、それ以上体が冷えるのを抑えるようになってしまっていった。
それでもダイビングの魅力はすばらしいもので、尿意との戦い以外で、まりんは思う存分その楽しさを満喫していた。

 2006年8月、まりんは1週間の休暇を取って、ダイビング仲間数名と沖縄県慶良間(けらま)諸島にある座間味(ざまみ)島に渡っていた。
座間味島へは、那覇泊港から高速船で1時間である。
いくつかの小さな島々からなる慶良間の中で、まりんたちはいつも座間味を選んでいた。
毎年お世話になっているペンションに泊まり、そこからビーチまでは小型バスで移動し、チャーターしてある小型船に乗ってダイビングスポットまで行く。
毎回ちがうスポットに出かけるが、大自然のそれは、わずか1週間で制覇できるほどのちっぽけな規模ではなく、潜るたびに毎回新しい発見をさせてくれた。
 最終日、この日は朝から座間味島そばの小さな無人島へ向かった。
ダイビング機材や、宿で用意してもらった昼食などを持ち込み、そこを拠点として潜るのである。
楽しめるのは今日限りと、まりんも張り切っていた。
この無人島周辺は、見た目よりも潮の流れがきつく、それだけに違ったスリル感があって、午前中の潜水は楽しいものであった。
 正午過ぎ、みんなは浜に集まって昼食を兼ねた休憩に入った。
まりんはその頃から軽い尿意を感じていたが、ここが水中ではなく陸地だという安心感があって、あまり深くそのことを考えていなかった。
しかしここは自然の中の小さな無人島で、トイレの設備など全くない。
あるのはただ目の前に広がる海と、木立が連なる小高い山だけである。
午後からまた潜るために、まりんは今のうちに膀胱をスッキリさせておかなければならない。
(どうしよっかなあ・・おしっこしたいの・・私だけだろうなあ・・?)
おそらくほかのメンバーたちは、それなりに水中で済ませているに違いない。
そう思うと、まりんはこのときになって初めて、実は今の状況がかなり切実な問題になっていると認識した。
周辺を見回しても、浜には身を隠せるような場所はなく、用を足そうとするには、水遊びをするかのようにして浅瀬の海に入るか、小高い山につながる林あたりまで行かなければならないが、まさかスーツを着たままで水に入るのは、いかにも!という感じがするし、みんなの視線を感じてしまう。
ここはやはり林の方に行くしかないようだ。
(けど・・恥ずかしいなあ・・。)
女性だけならまだしも、メンバーの半分は男性で、その中にはまりんが密かにあこがれを抱いているインストラクターの沢村までいる。
一人離れて用を足しに行くという行為が、どうしても恥ずかしく思え、まりんはしばらく葛藤していたが、やはり午後の潜水を楽しむためにも、思い切って済ませてしまおうと、すぐ横にいる女性に、
「あの、私ちょっと・・トイレしてきます。」
そっとそう告げた。
「え、トイレって?・・、ああそうね!」
その女性は、はじめ少し驚いていたが、まりんが水中では出来ないことを知っていたので、すぐに納得してくれたようである。
出来るだけ目立たないようにそっと席を立ち、後ずさりするような感じでみんなから離れ、まりんはゆっくりと林の方へ向かって歩き出した。
「マリン、どこ行くの?」
仲良しの彩乃がまりんに気づいて声をかけてくる。
(もうお、彩乃のバカ!!)
まりんはその声に振り向く事が出来ない。
「いいのよ、マリンはね・・」
先ほどの女性が彩乃に説明しているようで、それ以降の声はまりんには聞こえなかった。
(もうぉお、バレちゃったじゃない!!)
まりんは恥ずかしさがこみ上げてきて、少し足早になっていた。
 みんなが休憩している浜から20メートルほどで、林にたどり着く。
小石や草を踏み分けながら、まりんは用が足せそうな場所を探した。
しかしそのあたりの木立はまばらで、ウェットスーツを脱いだりする動作が丸見えになってしまいそうで、
(もう少し奥の方に行かないと・・・)
まりんはそう思ってさらに奥の方へと進み、動きにくいスーツをフルに動かして木枝に捕まりながら、腰の高さほどの岩によじ登った。
(あ、いい場所みっけーっ!)
そこから先も岩がゴツゴツと続き、まばらな木立が広がっていたが、その一角に人が立てるほどの平らな窪地がある。
そこなら浜にいるメンバーの視界から外れると、まりんはうれしくなってその窪地へ滑り降りようと、ダイバーブーツを岩に沿って伸びている小枝に乗せて足場を確保しようとした。
バキッ!
しかしそれはまりんの体重を支えきれずに折れてしまい、捕まるのもが何もないまりんは、およそ背丈ほどある高さから岩を滑り落ちてしまった。
「いたっ!」
思い切りおしりと背中を下の岩に打ち付けたまりん。
あろう事か、勢いがついてしまっているまりんの体は、そのまま岩の上でバウンドし、転がるようにして更に下の岩場へと落ちかかったが、右足のブーツが岩と木の枝に挟まれて、その勢いを弱めてくれたが、逆に言えば足だけでぶら下がったような感じになり、体がねじれた次の瞬間、
「グキッ!!!」
という鈍い音が聞こえて足に異常な痛みが走り、ブーツが枝からすっぽ抜けるようにしてはずれると、安定しない岩の上からまた1メートルほど下の岩場に、転がるようにして滑り落ちてしまった。
「あっあ・・っ!」
背中を思い切り打ち付けたことで、息が出来ないまりん。
右足には激痛が走る。
枝に挟まれた右足は、回転の勢いについて行けずに、ねじれるようにして折れてしまったようである。
「く・・ぅ・・」
遠くなりかける意識の中、まりんはなんとか助けを呼ぼうと口を開けたが、声すら出せない状態になっていた。
「た・・す・・け・・て・・」
出来るかぎりゆっくりと息を吸い、出来るかぎりゆっくりと息を吐く、かろうじて残っている意識の中で、まりんはそれを繰り返していた。
「た・・す・・け・・て・・」

 どれぐらいの時間そうしていたのかわからないが、やがて
「マリンちゃーん!!」
「マリーン、大丈夫ー?」
と、女性メンバーの声が耳に入ってきた。
どうやら帰りがあまりにも遅いので、心配になって様子を見に来てくれたようである。
(ここよー!)
そう叫びたいまりんだが、声を出せない。
しかし小さな無人島であることが幸いし、
「いたーっ!」
まりんはすぐに発見された。
男性メンバーもやってきて、まりんを抱きかかえようとしたが、背中と足の激痛がひどく、とても体を起こすことが出来ないまりん。
まりん自信は気づいていないが、右足は膝から下が異様に変形していた。
「腰と下腿の骨がやばそうだ。」
沢村がそう言って、とにかく寝かせたままの状態で運びだそうと、メンバーが向かい合った横一列になり、男性陣は腰から上、女性陣は膝から下を支えるようにしてまりんを抱きかかえ、その場を離れることになった。
折れている足を動かされ、強打している背中に手が回ることの激痛で、まりんの顔はゆがんでいた。
その場所は浜から見える岩場を回り込んだすぐのところにあり、まりんはわざわざ険しい木立の方から入ってしまっていたのであった。
 できるだけ振動を与えないように、ゆっくりと運び出されたまりんは、浜の平らな場所に寝かせらた。
「携帯通じるかな?、すぐに船の迎えを頼もう。」
沢村がテキパキ指示を出していた。
「ご・・ごめんなさい・・」
まりんは急に悲しくなり、それだけ言うとシクシクと泣き出した。
「大丈夫だから。気にしなくていい!」
沢村はにっこりと白い歯を見せてそう言い、
「船が着いたらすぐに診療所に行くから、もう少し辛抱しろよ。」
まりんを励ますように、少し大きめの声でそう言った。
「それと・・、傷の具合とか気になるから、スーツを切るぞ!」
沢村はそう言って、彩乃に手伝わせてまりんのスーツにはさみを入れていった。
この状態でスーツを脱ぐのは不可能だとわかっていたまりんだが、下にセパレートの水着を着ているとはいっても、横たわったままの状態で水着姿を見られてしまうことに、まりんはすごく恥ずかしさを感じていた。
だが今は沢村に従うしかない。
「よかった。たいした出血はなさそうだ。」
沢村が言う。
切り裂かれたスーツを見ると、所々が破れたりかぎ裂きになったりしていた。
逆に言えば、分厚いスーツのおかげで、それがクッションの役目をしてくれたとも言える。
 スーツを脱がされたことで、汗びっしょりになっていた体に風が流れ、まりんは少し落ち着いてきた。
「マリン、しっかりね!。」
彩乃がまりんの汗を拭きながらそう言って励ましてくれた。
「マリン、足を固定するから動かすぞ!」
沢村がそう言って、いつの間に作ったのであろうか、簡易折りたたみイスのネットをばらしてパイプを通し直した肋木代わりを、ゆっくりと持ち上げたまりんの下腿に沿わせ、足首から少し引っ張るような感じで固定した。
引っ張られて固定されたことで、足の激痛はかなり和らいだように思える。
ただ背中の痛みは続いており、腰のあたりにはしびれたような違和感が取り巻いていた。

 それからおよそ15分ほどして、知らせを受けた小型船がやってきた。
とりあえず担架の代わりにと、タオルケットを2枚広げ、それにまりんを寝かせ、みんなで担ぎ上げてボートに乗せると、砂浜に置いてあるダイブ機材などは後回しにして、先に診療所に向かおうと出発した。
乾きかけた汗が潮風によってさらに乾かされ、それはそれで少し気持ちよさを感じるが、水着1枚の格好で横たえられている事が、まりんは恥ずかしくてたまらない。
水着がズレたりしていないか、食い込んだりしていないかと気になるが、手を伸ばして確認するには視線が気になり、かといって体を起こして見ることも出来ない。
「彩乃、なにか体にかけてくれない?」
やっとの思いでそれだけ伝えた。
「あ、ごめんね。えっと・・」
適当なものが見あたらないようで、彩乃はタオルケットでまりんを包み込むようにしてくれた。
「ごめんね。」
「気にしないで。水着は大丈夫だよ。」
「・・うん。」

 波しぶきを立てながら、船は座間味島へと向かう。
それに揺られながら、まりんは少しずつではあるが痛みに慣れつつあった。
じっとしていると激痛ではなくなる。
そうして徐々に気持ちが落ち着いてくると、
(あっ、おしっこしたかったんだ!!)
まりんはとんでもないことを思い出した。
大きなアクシデントに見舞われて、その激痛のために神経がマヒ状態になっていたからか、今の今までまりんは全く尿意を感じていなかった。
それが神経が落ち着いてきたことによって、にわかに甦えってしまったようである。
あのときはそんなにせっぱ詰まった状態ではなかったが、今のまりんにはかなりの尿意が感じられていた。
(困ったなあ、おしっこしたくなってきた・・・。)
体がどうなってしまっているのか、その痛みと不安と共に、まりんは迫ってきた尿意までも抱え込んでしまっていた。
 ビーチに戻ると宿の軽トラックが待っていて、振動吸収のために敷いた毛布の上にタオルケットごとまりんを乗せ、みなもその荷台に乗り込んで診療所に向かって走り出した。
敷いてある毛布は、実はあまり振動吸収には役立っていなくて、まりんはかなり苦痛を感じていたが、それでも沢村が手際よく手配してくれていた事を知っているので、彼に対する思いがますます募る感じがしていた。
 診療所に到着すると、近所に住む初老の男性が玄関先で迎え、
「先生は今、○●のおばぁの所に往診に行ってるさー。」
と言った。
まりんが来る事は知らせてあったが、おばぁの容態が急変したとかである。
「仕方ないな。マリン、もう少し辛抱しろよ。」
沢村はそう言いながら、みなと一緒にまりんを車から降ろし、診療所の待合室まで運んだ。
ずっと上向きに寝かされていたために、強い沖縄の太陽に照らされて、痛いほどに感じていた体のほてりが、待合室の冷房で冷やされて心地よく感じられたが、同時に、体温が下がってきたことによる尿意の感覚が、ボートの上で感じだした時よりも徐々に大きくなってきていた。
(・・・・・)
少しでも体を動かそうとすると、背中に激痛が走り、おまけに動かない右足。
(どうしよう・・、おしっこしたいのに・・・)
まりんはだんだんと先のことが不安になってきた。
「あの・・、看護婦さんは?」
「ああ、先生と一緒に行ってるさー。」
初老の男性はそう言うと、役目を終えたかのように立ち去っていった。
頼みの綱である看護婦さんも不在だという。
(いつまで我慢したらいいの・・?、そんなに我慢できるかなあ・・?)
まりんはいつの間にか、体の事よりもおしっこの方が気になって、
「ちょっと寒くなってきた・・・。」
彩乃に言うでもなく、そうつぶやいていた。
診察室から薄い毛布を出してもらい、それを掛けてもらうことで、少しは体温を維持できるが、刻々と迫ってくる尿意からは逃げ切れない。
(ああ・・、ほんとにおしっこしたいよぉ!)
メンバーたちはまりんを励ましながら、それでも何もすることが出来ずに手持ちぶさたにしている。
「こうしていても仕方ないな。よし、島に置いてある機材を回収しよう。」
沢村がそう言って、男性メンバー全員と、彩乃をのぞく女性メンバーたちをいったん無人島に戻るように指示した。
そして彩乃には、ペンションに戻ってまりんの着替えなどを取ってくるように言った。
診療所に残ったのは、苦痛に耐えるまりんと、そのまりんがひそかにあこがれている沢村のふたりきり。
(・・・・、)
まりんは急に恥ずかしくなって、毛布を深々とかぶり込んだ。
「なにを今さら照れてんだ?」
沢村が笑いながらそう言って、その毛布をはがしにかかった。
「いやん!」
まりんは確かに恥ずかしかったが、それ以上に、切迫しつつある尿意を悟られることがイヤで、どうしても沢村と目を合わせることが出来なくなっていたのである。
「痛み、どうだ、少しはましになったか?」
優しく聞く沢村に、まりんはコクリとうなずくだけであった。
 ふたりきりになって、どうしても緊張してしまうまりんは今、おしっこがしたくてたまらない。
ウェットスーツを着る前に済ませたトイレから、かれこれ4時間が過ぎようとしていて、午前中に潜ったことで、ある程度体は冷えていたであろうし、水分補給は大事だと、昼食の時にお茶などもたくさん飲んでいた。
多くは汗になって流れていたであろうが、それでも時間経過と共に、まりんの膀胱は膨らみつつあった。
(緊張すると・・よけいにおしっこしたくなる・・・)
先生はいつ帰ってくるのか、この状態でどうやっておしっこできるのか、不安だらけのまりんは、動かせる左足だけを立て膝にして、少しでもおなかに余裕を持たせようとしていた。
 おそらく尿意のことは気づいていないであろう沢村は、まりんの気を紛らわせようとしてか、いろいろと世間話をしていた。
まりんはうなずくだけで、ほとんど耳に入っていない。
(ごめんなさい・・今はそれよりおしっこっ!)
毛布にまぎれて、そっと水着の上から下腹部を触ってみると、かなり膨らんでいる膀胱を感じる。
おそるおそるその手に力を加えてみると、ほんの少し押さえただけで、
「うっ!」
思わず漏らしてしまいそうなほど強い排尿感が起きた。
「どうした!、痛むのか?」
まりんのうめき声で、沢村が身を乗り出してきた。
「あ、いえ・・あの・・ちょっと・・」
しどろもどろに答えるまりん。
「それにしても・・先生おそいなあ・・。」
沢村はそう言いながら立ち上がり、診療所の玄関に向かって歩き出した。
(やばいよ、もう少しでお漏らししちゃういそうだった・・・)
あわてて両足に力を入れてしまったために、折れている方の足まで動いてしまい、また少し痛みが増してきた。
(いたいよぉ、おしっこしたいよぉ!)
ムズムズしてくる尿道口あたりがたまらなくなって、まりんは水着の上からそのあたりを指で押さえていた。
「マリン、もう少しだからな。がんばれよ!」
そんなまりんを玄関先から励ます沢村。
「は、はい・・」
毛布の下の様子を知られてしまったかのような、そんな恥ずかしさを感じるまりんであった。
(あぁあ・・おしっこしたいよ・・)
じっとしていられないほどに尿意は高まってきているが、体を動かすことが苦痛なため、どうしても手がそこに行ってしまう。
(いま毛布をめくられたらアウトだよ!)
そんなことを思っていると、沢村がまたまりんの横に腰を下ろした。
思わず手を股間から離すまりん。
優しく励ましてくれる沢村に対し、まりんは痛みと激しくなった尿意と、恥ずかしさで気が遠くなりかけていた。

 (もうおしっこしたいぃ・・・)
そう心の中で叫んだつもりが、どうやらそれは無意識のうちに声に出てしたったようで、
「え、マリン・・おしっこ我慢してるのか?」
沢村が顔をのぞき込んできた。
「キャッ!」
真っ赤になって毛布をかぶるまりん。
一番知られたくないことを知られてしまって、まりんは毛布から顔を出せなくなってしまった。
「そうか・・困ったな・・」
なすすべがなく、沢村はあたりをうろうろしている。
「もうすぐだからな、がんばれよ!」
沢村はそう言うしかなかった。
(やだもうお・・恥ずかしいよぉ・・・)
沢村に知られてしまった事で、張り詰めていた糸が一本切れてしまったかのように、我慢が利かなくなってしまった。
「あ・・はぁ・・」
どうしても声が出てしまう。
沢村は極力、それを気づかないかのように振る舞っていたが、やがて
「どうする。なんとかトイレまで連れて行こうか?」
苦しそうな声を出すまりんを見かねてそう言った。
「え、あ・・いえ、我慢できます。」
動かされるだけでも激痛がある今、手を借りてトイレになど行けるはずもなく、途中で漏らしてしまうかもしれないし、なにより恥ずかしくてたまらない。
まりんは自分に言い聞かせるように「我慢できます」を口にしていた。

 診療所の先生と看護師さんが戻ってきたのは、それから更に20分ほどすぎてからであった。
ふたりともそれなりに年配のようであるが、そんなことはどうでもよい。
(よかったあ、おしっこさせてもらえる!!)
足の骨が折れているとか、背中が異常に痛むとか言うことより、まりんは早くおしっこがしたくてたまらない。
沢村がドクターにいきさつを説明している間に、まりんは看護師さんにそのことを伝えようとしたが、
「先にレントゲンを撮るそうだから待っててね。」
あっさりとその場を離れられてしまった。
(そんなあ・・先におしっこさせてよぉ!!)
ちょうどそこへ、着替えなどを持った彩乃も戻ってきて、まりんは4人がかりでタオルケットごと撮影台まで運ばれた。
ドクターが足の固定を外しにかかり、またあの激痛が走って
「あ、いたぁあいぃ!!」
まりんは大きな声で叫んでいた。
ドクターがその足を引っ張るような感じで少しねじると、その激痛はピークに達し、おもわず体に力が入って漏れそうになる。
「いたーいっ!」
まりんは叫びながら、無意識のうちにおまたを押さえてしまっていた。
(やだ、みんなに見られちゃった!!)
幸い漏らしてはいないようであったが、その周りはしびれたような違和感が広がっていて、まりんは落ち着かない。
 沢村と彩乃は外に出され、何度か体をひねったり、あげくは横向きに寝かされたりして、数枚の写真を撮ったあと、現像にしばらく時間がかかると言われ、まりんはそのまま撮影台の上で待たされることになった。
(おしっこっおしっこっ、もう漏れちゃう!!)
誰もいなくなった撮影室で、まりんは心の中で叫んでいたが、すぐに看護師さんが戻ってきた。
「おトイレ我慢してるのね。さ!」
沢村から聞かされたのか、その手には白い尿器などが持たれていた。
「いい。ちょっと我慢しておしりを浮かせて・・そうよ!」
看護師さんは優しく言いながら、まりんの水着をずらしていき、おしりの下に尿器をあてがった。
丸く膨らんだ下半身を見られてしまっているが、恥ずかしいなどと言っていられない。
「じゃあ、終わったら呼んでね。」
準備と説明をしてくれた看護師さんはそう言うと、まりんのおなかにタオルケットを掛けて撮影室を出て行った。
(・・・・)
今までこんなに我慢したことがないほど、めいっぱい我慢していたおしっこができる!
まりんはそのことに感謝しながら体の力を抜いていったが・・・、
(・・・出ないよ・・)
そう、まりんの悪い癖、トイレ以外ではおしっこが出来ないと言うことが災いして、パンパンに膨らんでいる膀胱が悲鳴を上げているにもかかわらず、尿道口はしっかりと閉じられて開こうとしないのである。
(したいぃ!!したいのにできないよぉ!!)
看護師さんに教えられたとおり、膀胱の上あたりを押さえてみたりもしたが、激しい排尿感が増すだけで、それはチロっとも出ようとしなかった。
(たすけてぇ、膀胱が裂けちゃうぅ!)
指で尿道口のあたりをさすってもみたが、ヌルっとした感触が広がってはいたが、おしっこは出てこない。
「看護婦さーん!!」
どうしようなくなり、まりんは看護師さんに助けを求めた。

 撮影の結果、まりんは右下腿がねじれた脛骨複雑骨折と、腓骨骨折。
さらには第2腰椎圧迫骨折と診断された。
パンパンにふくれてしまった膀胱は、看護師さんに導尿してもらったことでやっと小さくなってくれたが、その量は1リットル近くもあった。
 腰にコルセットを巻き、足にはシーネと言う固定具をつけて、チャーターした漁船に乗せられたまりんは、その日のうちに本土(沖縄本島)の総合病院に、沢村と彩乃が付き添って搬送された。

 現在まりんは、まだ沢村と交際するには至っていない。
しかしわざわざ沖縄から千葉までお見舞いに来てくれた彼。
きっと脈はあるのであろう。
 この文章が掲載される頃、まりんはまた沖縄にいる。


おしまい

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