初詣 (姉のおしがま)




 大晦日の夜、大阪に住む由衣の姉・小原麻衣とフィアンセの中野は、夕食の後なにげに紅白歌合戦を見ていたが、そのまま正月を迎えるのもつまらない、今から初詣に行こうということになって、10時半すぎにマンションを出た。
 大阪なら住吉大社などいくつかの有名な神社があるが、どうせなら京都の八坂神社まで足を伸ばそうと言うことになり、梅田から阪急電車に乗り込んだ。

 河原町駅で地上に出て鴨川を渡ると、暖房の効いた車内に50分近くいた体に川風が吹き付け、暖まっていた体を一気に冷やしてしまった。
(さっむーい、マジさむいっ!)
 八坂神社へと向かう人並みは想像以上で、歩行者天国の四条通であっても、神社のある祇園石段下へ着くまでにかなりの時間が掛かり、そこから境内への狭い参道はさらにごった返していて、むしろ進んでいないような状態であった。
「お、ちょうど今0時になるところだぞ!」
中野が携帯電話の時計を見ながら言う。
「それにしてもすごい人ねえ。」
麻衣はいっこうに進まない歩みに、少しいらだちを感じていた。
(なんか・・トイレに行きたくなってきた・・)
マンションを出る時、着替えにバタバタしていた麻衣は、せかす中野に気を遣ってトイレに行かずに飛び出していた。
その時はまったく尿意を感じていなかったせいもあるが、あれから1時間半が経ち、夕食のスープやその後のコーヒーなどが今、寒さに震える麻衣に対し、少しずつ尿意となって訴えかけだしていた。
「お、少し進み出したぞ。」
われ先にと人をかき分ける者もいる。
麻衣は人混みの中で中野から離れないようにと、その腕にしっかりと抱きついていた。

   30分ほどが過ぎ、麻衣たちはようやくお参りすることが出来た。
「オケラ参りって知ってるよね?」
中野が言う。
「厄除けにね、ああやって火縄を・・・」
見るとたくさんの人たちが火縄をグルグル回しながら歩いている。
旅行代理店に勤める中野は、流ちょうにその言われ等を麻衣に説いている。
(どうでもいいけど、トイレってないかなあ・・?)
麻衣は人混みの中にその場所を探していた。
「麻衣、こっちだよ。」
脇見をしている麻衣の手を中野が握る。
わずかながら人の流れが少ない方向、中野は麻衣をそちらの方へ引き寄せた。
露天などが少なくなり、足下も暗い。
「え、どこへ行くの?」
麻衣はやや不安げにそう聞いた。
「ん、ついでだから平安神宮にも寄っていこう。」
「平安神宮!?、遠いんじゃないの?」
「いやあ、まあこのまま歩いて・・30分ぐらいかな。」
「・・・30分も・・」
「疲れた?」
「・・そうじゃないけどさ・・、私トイレ行きたいの。」
「トイレか・・」
中野はそのあたりを少し見回して
「境内のトイレは混んでるだろうなあ・・。」
ポツリとつぶやくように言った。
「・・まだ大丈夫だけどさ、一応・・」
麻衣は気を遣ってそう言ったものの、その尿意は意識の中にしっかりと主張を強めてきている。
それは参道に並びだした頃とは違った、明らかな感覚であった。
「えと・・平安神宮の途中にトイレとかある?」
「いや・・トイレはなかったように・・あ、喫茶店とかならあるよ。」
「喫茶店?、今夜は開いてるの?」
「ああ、たぶん。」
「・・・たぶんって・・、もし開いてなかったら・・私ヤバイよ。」
「そっか・・」
中野は少し残念そうな顔をしながら
「ん、もしもって事があるから・・平安神宮は今度にするか?」
「いいの?」
「ああ、またいつでも行けるよ。さ、阪急まで戻ろう。」
麻衣は内心ホッとしていた。
ブーツは穿いているものの、足の先は感覚すらないほどに冷えている。
それほどに寒い中、麻衣の尿意は刻一刻と高まってきていた。
(ヤバイなあ・・ほんとにトイレ行きたい!)

 ごった返す参道を離れ、中野に連れられるまま円山公園の抜け道を降りてくると、そこは八坂神社の石段下よりもかなり北の方に離れた場所であった。
「四条通りは人で一杯だから抜け道を行くぞ!」
中野はそう言って東大路通りを横切り、細い路地へと入って行く。
京都の地理がわからない麻衣には、言われるままについて行くしかなかったが、あとどれほど歩けばトイレに行けるのかがわからず、暗い路地裏の道に不安を抱かずにはいられなかった。
「ねえ・・ここはどのあたり・・?」
やや遠慮がちに聞くと
「ん、花見小路の・・あたりかな?」
「・・そう・・」
麻衣には耳慣れない通り名であり、それが阪急の駅に近いのかどうかさえもわからない。
(もっとわかりやすく言ってよバカッ!)
麻衣はますますいらだってきていた。
 やはり初詣に向かう人たちであろうか、薄暗い路地道とはいっても、
かなり行き交う人影があった。
その誰もが楽しそうに語らい、楽しそうに寄り添っている。
麻衣も中野にしがみつくように歩いているが、それは寒さと尿意から来る不安を払いのける為のものでもあった。
 時刻は午前1時を過ぎている。
(トイレに行ったのいつだっけ?、ああ・・9時過ぎだったあ!)
4時間ほどトイレに行っていない麻衣。
出かけることを想定していなかったので、普段と同じように水分を取っていた、その体が冷えて、1時間ほど前に感じだした尿意は、いま爆発的な勢いで麻衣のおなかの中で暴れ出している。
「・・ねえ、もう着く?」
しがみつく腕によりいっそう力を入れて麻衣が聞いた。
「ほら、あそこの突き当たりを左に曲がったら四条通だ。」
「じゃあすぐだね。」
「ああ、鴨川を渡ったらすぐだよ。」
「かもがわっ!」
四条大橋を渡る風はかなり冷たい。
そのことを思い出して麻衣は体が震えた。
「・・どこか・・コンビニとかないかなあ・・?」
「え、もうヤバイのか?」
「うん・・ちょっとね・・」
「そうか・・、四条通に出てもコンビニはなあ・・」
「・・・」
「喫茶店にでも入るか?」
「・・あるの?」
「ああ、何軒かあるけど・・」
「けど・・いっぱいじゃない・・?」
「さあ・・行ってみないと・・」
そんなやりとりをしながら四条通に出たふたり。
八坂神社参拝の人混みは先ほどよりも増え、車道歩道の区別なくあふれかえっていた。
「あそこに喫茶店があるけど・・」
中野が前方を指さした。
しかしその店は予想通りの混み具合で満席であった。
「どうする、しばらく待つか?」
「・・・」
「トイレだけ借りるってのは・・いやだろ?」
「うん・・、やっぱり駅まで行こうよ!」
麻衣はじっと立っているのが辛い。
歩いている方がまだ気が紛れて楽であった。
「ん、京阪(電車)に乗るか?」
四条大橋の手前に京阪電車の地下入口が見える。
それなら鴨川を渡ることなく、すぐに駅のトイレを使える。
麻衣はそうしようかとも考えたが、すでに阪急の往復切符が買ってある。
それに京阪だと遠回りになるために、大阪に着いてからが大変だと思い、
「いいよ、阪急もすぐでしょ・・。」
と強気で言ってみた。
「そうだな、面倒だな。」
中野はごくあっさりと言ってのけた。
「・・・」
あまりにあっさり返されて、麻衣は少しいらだちを隠せなかった。
(この人・・私が大変な状況だってわかってるの!?)

 四条大橋の手前で信号待ちになった。
歩行者天国になっているとは言っても、京都は碁盤の目のように道路が交差しているために、あちこちで信号待ちがある。
「もうおぉ、長い信号ねえ!」
麻衣はじっとしていることが出来ず、足をクネクネさせながらつぶやいた。
なにげに左隣にいるカップルに目をやると、その女の子も麻衣と同じように体を揺すっている。
(あれえ、この子もトイレに行きたいのかなあ?)
見ず知らずの女の子もトイレを我慢しているのではと思うと、麻衣は訳もなく勇気づけられるような気持ちになった。
 しかし四条大橋を渡り出すと、冷たい北風が膝丈までのニットスカートの中に吹き込み、その勇気づけられた気持ちはいっぺんに吹き飛んでしまった。
(さむーい、おしっこ出ちゃうーっ!)
麻衣は体を折り曲げるようにして、更に強く中野の腕にしがみついて、行き交う人混みの中を歩いていた。

 四条大橋を渡りきってすぐの交差点に、阪急へ通じる地下入口がある。
かなりの人が麻衣たちと同じようにその地下道へと流れていく。
予想したとおり、券売機の周りは人であふれかえっていた。
「ねえ、トイレはどこにあるの?」
麻衣は体を揺すりながら早口で中野に聞いた。
「ホームに降りてからだよ。」
「え、ホームにしかないの!?」
「ああ。」
券売機の混雑は相当なもので、切符を買うのに時間が掛かっていては、トイレが間に合わなくなるかもしれない。
麻衣はこのとき、前もって往復の切符を買っていた中野の心遣いに感謝していた。
 改札を通り抜け、エスカレーターでホームに降り立つふたり。
「ねえどこ、どこ!?」
落ち着かない麻衣は人混みの中をキョロキョロしながら言った。
「ほら、ホームの端!」
人の頭越しに、その存在を確認した麻衣であったが
「!!!」
向かって右側の女子トイレは、すでにその列がホームにまで続いているように見えた。
「混んでるのかなあ・・?」
不安そうな声で言う麻衣。
「ん、ちょっと並んでるみたいだな・・・」
中野も人ごとではないような気持ちになったのか、やや心細い声でそう言った。
 人垣をすり抜け、ホーム端のトイレまでたどり着くと、やはりそこには順番を待つ人の列が出来ており、中に入りきれない数人がホームにまで並んでいた。
「どうしよう・・いっぱい並んでるよぉ・・」
そうはいったものの、ここまで来てしまった麻衣には、並ぶ以外の手段はなにも無い。
中野の腕から離れ、着ていたダッフルコートを預けると、麻衣は重い足取りで最後尾の人の後ろに立った。
(え、この子!?)
麻衣のすぐ前に立っている女の子は、さきほどの交差点で横にいたあの人物であった。
(やっぱりこの子もトイレだったんだ!)
妙に感心した麻衣。
その女の子は麻衣と同様かなりせっぱ詰まった様子で、しきりに体を揺らせている。
あるいは麻衣よりも危険な状態なのかもしれない。
スリムジーンズにロングブーツという出で立ちで、トイレを急ぐ時には不便ではないかと、麻衣は人ごとながら気になった。
(人のことより自分の事だあ!おしっこ漏れるーっ!)
 ふと見ると、麻衣が預けたダッフルコートを肩にかけ、中野が男子トイレに入っていくのが目に入った。
(いいなあ・・男子の方は空いてるみたいだもんなあ・・)
サッサと消えていくその姿に、麻衣は恨めしいものを感じる。
(いいなあ・・きっともうおしっこし始めてるんだろなあ・・)
そんなことを思うと、思わずからだがブルッとふるえてしまった。
(うー・・、我慢我慢!!)

 ザー・・という水を流す音がトイレの中から聞こえてきた。
その音が響くたびに列は進むが、同時にその音は呼び水にも感じられ、冷えた体の中に溜まりきったおしっこが、音に会わせて吹き出しそうな感覚すら覚えてしまう。
(ヤバイよ、ヤバイよ、早くしてえ!!)
トイレの入口まで進んだ麻衣は、思わずスカートの上から前を押さえてしまった。
(ゲッ、あいつもう出てきたよぉ!)
男子の方から中野が姿を現した。
とっさに麻衣はその手をスカートから離したが、中野にはしっかり見られてしまったようで、急に恥ずかしくなった。
(もうお、すっきりした顔してえ!!)
中野のにこやかな顔がますます恨めしくなる麻衣。
 前の女の子は、先ほどから屈伸運動のような動作を繰り返している。
時々ため息のような息づかいも聞こえてきた。
(この子・・大丈夫?)
麻衣はますます心配になってきたが、それに会わせて自分自身にも最大のピンチが訪れる。
(くぅっ!)
思わず体をふたつに折って、歯を食いしばるようにして耐える麻衣。
(ああ、早くしたいっ!)
自然と足踏み状態になってしまう。
ザー・・と、また水を流す音が響いた。
(ああ・・)
思わず口に出かかった声を抑える麻衣。
「はあ・・」
前の女の子からは明らかにため息声が聞こえていた。
その声に麻衣もつられそうになる。
(あと4人・・)
(あと3人・・)
フォーク並びおかげでスムーズに流れてはいるものの、皆が着込んでいるために時間が掛かる。
麻衣が並びはじめてからすでに5分以上過ぎていた。
(ああ漏れちゃいそう・・漏れちゃうよぉ!)
何度も何度もそんな言葉が頭を駆けめぐる麻衣。
 体が冷えたときの尿意にはすさまじいものがある。
パンパンに張った麻衣の膀胱は、先ほどからドックンドックンと脈を打つように責め立てて、呼吸を荒くし、額に汗をにじませる。
もういっそのこと緊張を解いてしまいたい。そしたら楽になれる!
麻衣はそんな衝動に駆られていたが、公衆の面前であるという現実が、かろうじてそれを押さえていた。
(あとふたり・・がんばろう!!)

 ザー・・という音がして、一番手前のドアが開いた。
麻衣の前にいた女の子は、そこから出てくる人を押しのけるようにして、そのドアに飛び込んでいった。
勢いよくドアを閉め、ヒールの音をコンコンと響かせながらカチャカチャと金属音をたてている。
「あ・・あ・・」
声になるかならないかのような、そんな声が漏れていた。
(ジーンズのベルトが外れないんじゃないの?)
麻衣は心配した。
コンコンというヒールの音が。駆け足しているような小刻みな早さに変わっていった。
 麻衣は麻衣で、次が自分の番だと思うと、一気に緊張が解けてしまいそうになって、必死で歯を食いしばっていた。
もう後ろに並んでいる人の目など気にしていられない。
内股で大きく前屈みの姿勢になり、しっかりと両手でおさえ、お尻を左右に振って耐えていた。
(くぅう・・早く出てっ!)
ジョバー・・と、和式便器の水たまりに勢いよく当たる音が響いてきた。
麻衣の前にいた女の子の音であった。
(ああ、間に合ったみたい・・)
人ごとながらホッとした麻衣だが、そのおしっこの音を聞いた事が引き金になり、想像を絶する恐怖の波が襲ってきた。
(わうーっ、まだだってばあっ!!)
両手にいっそう力を込め、強く押し上げるようにして耐える麻衣。
(ひゃー、もう限界!限界!)
 やっと一つのドアが開いた。
(開いたーーっ!!)
出てくる人を押しのけるようにして入っていった先の女の子を、麻衣は恥ずかしいと思って見ていた。
しかし今、麻衣はそれと全く同じ事をしている。
ぶつかりそうになりながらドアをくぐり、前を押さえたまま片方の手でドアを閉め、鍵などかける余裕もない状態でスカートに手をやった。
(漏れる漏れる・・!)
和式便器をまたいだ足が自然と足ふみする。
閉じていた足を開いたせいもあるが、さらに追い打ちをかける科のように、個室に入った安心感が沸いてきて、必死で堪える麻衣の努力をあざ笑うかのように、溜まりきったおしっこがあふれ出そうとしている。
(ああ、まだあっ!)
片手ではストッキングをうまくおろせない。
(どうしよう・・)
一瞬とまどってしまった麻衣だが、考えている余裕などまるでない。
(ええいっもうっ!)
麻衣ははき出した息を止め、押さえている手を離すと同時にスカートを大きく持ち上げ、その勢いのままストッキングに手をやった。
そしてずらしながらパンツに親指をかけ、しゃがみこみながら勢いよく下げていき、垂れているスカートをたくし上げた。
その時すでに麻衣のおしっこはあふれ出していたが、決死の動作が功を奏して、大きく下着を濡らす悲劇は免れた。
(やったあ!)
あと1秒遅ければ・・・
ニットスカートであった事が、麻衣を救ったとも言える。
 一気に緊張が解け、気が遠くなるような錯覚を覚え、先の女の子同様に勢いよく水たまりに跳ねる音を響かせてる麻衣。
(はあ・・はあ・・)
ドアの外で待つ人たちに音を聞かれる恥ずかしさ、そんなものは沸き上がってくる開放感に勝る比ではなかった。
が・・、
冷えた体に溜まり混んだおしっこは想像以上に量が多く、徐々に正常な意識に戻ってきた麻衣のとって
(やん、めっちゃ恥ずかしいやん!)
慣れてきた大阪弁でそう感じていた。

 用を済ませて個室を出ると、順番を待つ人の列はさらに伸びていた。
(あの子・・大丈夫だったかなあ・・?)
自分のことで必死だった麻衣は、手を洗いながらふと前にいた彼女のことを思い出していた。
トイレを出ると
「遅かったな。」
中野がコートを手渡しながらそういった。
その後ろに、うろ覚えではあるが女の子の彼氏らしき男性の姿があった。
(え、あの子・・まだトイレから戻ってないの?)
中野に促されながらホームを歩く麻衣は、何度か振り返って見てみたが、視界に入る範囲内で彼女の姿は確認できなかった。
(あの子・・お正月早々に・・やっちゃったかな・・?)


おわり

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