ゆいちゃん 2(初めてのお漏らし)




 小原唯(おばらゆい)当時9歳。埼玉県新座市。
一人っ子で甘えん坊に育った唯は、やや内気でおっとりしていた。
その性格ゆえに、人とペースを合わせることが出来ない事があり、時には「のんきもの」「のろま」とまで言われてしまう事もあった。
 トイレに行くタイミングを逃すこともしばしばあり、子供の頃に記憶する最も古いおしがまは、唯が小学校3年の冬の事であった。

 2月のある日、唯は母親から、明日は学校をお休みして草加へ行くと聞かされた。
親戚に不幸があり、その葬儀に出るということであった。
亡くなった親戚のその人は、唯の記憶にない人で、初めて行く草加市という所や、初めて経験する葬式というものに不安があり、幼い唯は行きたくない気分に包まれていた。
 もうひとつ、唯には葬儀用の礼服などまだ用意されていない。
そのため唯が入学式の時に新調し、その後少しサイズを直したセーラーワンピースを着ていくように言われた事がショックだった。
もう3年生になっているのに、子供っぽいこの服を着ていくのは、唯にとって気恥ずかしくてならなかった。
 翌朝8時、所沢に住むおじさん一家が車で迎えに来て、唯たち家族はそれに乗り込んだ。
車はワゴン車で、唯は一番後ろに座るように言われて、従兄弟ふたりが座っているその横に腰を下ろした。
従兄弟は小学6年と中学2年の男の子。
正月などで何度も顔を合わせてはいるが、女の子の唯は話が合わず、これまでからそんなに話をする事はなかった。
この日も、ほとんど口を利くことがないまま、車は9時半過ぎに草加市の葬儀場に到着した。
 親族控え室に案内されると、喪服姿の人たち十数人が集まっていて、その黒い服を着た集団に唯は面食らった。
「あらゆいちゃん、何年生になったの?」
「ゆいちゃんか。こっちに来て顔を見せておくれ。」
「かわいいワンピースを着てるわね。」
親戚の中でも数少ない女の子である唯は、それなりにかわいがられる存在であったが、黒い服の違和感に圧倒されて、母親の腕に抱きついたまま縮こまってしまった。
 両親がなにやら小さな声で挨拶を交わし、唯も訳が分からないままその横に座った。
大人たちは亡くなった人の話をしているようであるが、唯には何のことかわからない話で、居心地が悪くてモジモジしていると、あちらの部屋でジュースでも飲んでいなさいと言われ、母親から離れたくない気持ちを抑えながら、その部屋に移動した。
 そこは子供たち用にあてがわれた部屋で、先ほどの従兄弟の他に、あと2人女の従兄弟がいたが、いずれも中学生と高校生で、唯とは話が合わなかったが、それでも女の子がいてくれることで、少しは落ち着く唯であった。
 両親が末っ子同士の結婚であるため、従兄弟の中で唯は最年少である。
唯にとって、これは小さな悲劇でもあった。
「ゆい!、11時からお式だから準備しておくのよ。」
母親が部屋を覗きそう言った。
唯は「はーい!」と答えたものの、何を準備するのか意味がわからず、そばにいる従兄弟に聞くと、
「さあ、ここでおとなしく待ってなさいって事じゃない?」
と言われ、そうなのかと納得して、ぼんやりとテレビを見入っていた。
 歳が大きい従兄弟たちは、時々親戚の人から呼ばれて部屋を出て行ったりしていたが、6年生の子と唯だけは呼ばれることもなく、やがて式が始まるからおいでと言われ、連れられるままに会場へと向かった。

 花で飾られた祭壇の前で左右の席に分けられ、唯は2列目の両親の間に座らされた。
葬儀というものが初めての唯は、祭壇を見上げたり焼香台を不思議そうに見つめたりと、かなりキョロキョロしていたが、なんとなく周囲の雰囲気が沈んでいることは感じていて、
「さ、始まるからおとなしくしてるのよ!」
という母親の言葉が素直に受け取れた。
 やがてお経が始まり、みなが神妙な顔でうつむいているので、唯もそれに従って下を向いていたが、このころから
(おしっこしたくなってきた・・)
唯は尿意を感じ出していた。
 会場はかなり広く、暖房がそれほど利かされていないのか寒々としており、焼香に訪れる人たちが行き交う玄関からは、冷たい風が入り込んでいて、長袖のシャツを着ていても、生地が薄く丈が短いワンピースでは足下が冷えてくる。
気になりだした尿意はジワジワと膨らんできて、親族の焼香で母親と一緒に席を立ったとき、思わず前を押さえてしまいそうな衝動に駆られる唯であった。
(あーん・・おしっこしたい・・)
 家を出てから3時間以上トイレに行っておらず、ジュースなども飲んでいることから尿意が芽生えるのは当然で、幼い唯の膀胱は一気に危険信号を発し出していた。
 しかし葬儀の真っ最中である。
いくら初めての経験とはいっても、式の途中で抜け出す事は許されないと唯なりに感じ、ただひたすら
(早く終わって!)
(あとどれぐらい?)
と心の中でつぶやいて、母親に叱られない程度に、ひざをすりあわせたり足首を組み替えたりして耐えていた。

   焼香に訪れた人の動きがなくなり、お坊さんのお経もようやく終わって、唯はやっとおしっこに行けると思ってホッとした。
しかしそれは大きな間違いで、親族が棺にお花を供える儀式があり、そのことを知った唯は泣きそうになった。
並んで順番を待っていると、おしっこが漏れそうになってしまい、どうしても体をくねらせてしまう。
その動きが母親に伝わって、
「少しはじっとしてなさい!」
とたしなめられてしまった。
 親戚の人が、棺をのぞき込んで泣いている。
周りにももらい泣きの人がいて、その状況で唯は、
「ママ、おしっこ行きたい!」
とはとても言えなくなって、胸に大きな不安を抱え込んでしまった。
(おしっこ行きたいよぉ・・)
 唯たち親子が最後にお花を供え、棺が閉じられてお見送りとなる。
そのことさえ知らない唯は、
(いつおしっこに行けるのー!?)
叫びたいほどの気持ちを押さえて、落ち着きなくキョロキョロと周りを見回していた。
「ゆいちゃん、こっちよ。」
母親が手を引いてくれ、唯はそのまま歩き出したが、おなかが張ってしまって歩きぬくい。
「ママー、」
唯はもう我慢が出来なくなって、母親に尿意のことを伝えようとした。
「もう少しで終わるからおとなしくしてなさいよ。」
母親は優しくそう言いながら唯の頭を撫でた。
「ママ・・唯おしっこ!」
「え・・もう少し我慢してなさい。」
「だってぇ、もう我慢できないもん!!」
「何言ってるの。今からお見送りなのよ。」
「だってぇ・・」
「だからお式の前に準備しておけって言ったでしょ!」
母親の口調が少し険しくなった。
「準備しておけ」とはトイレなどを済ませておけと言うことだったのかと唯は悟ったが、今更どうしようもない。
「・・・」
唯が口ごもってしまうと、
「ちゃんとお見送りしないといけないでしょ。我慢なさい!」
もうおねえちゃんなんだからと母親が言い、自尊心をくすぐられた唯はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 粉雪が舞い、冷たい風が吹き抜ける表には、大勢の人がお見送りをするために並んでいて、唯はその人たちに驚いてしまい、母親の陰に身を隠してしまった。
お見送りがどういうものなのかわからず、大人たちに混じって大勢の人の前に立つことが恥ずかしくて、唯は小さくなっていた。
 やがてお別れの挨拶が始まった。
しかしその時にはもう、幼い唯の膀胱は限界を迎え、母親の袖をつかんでブルブルとふるえていた。
人前であるにもかかわらず、片方の手はしっかりとワンピースの前を押さえてしまっている。
それでもついに我慢できなくなって、
「ママ・・ママーッ!」
大きな声は出さないが、裾を引っ張って限界を伝えようとした。
はじめ無視していた母親であったが、二度目に袖を引っ張られたときに見やった唯の顔が、涙でくしゃくしゃになっているのを知り、さすがにこれ以上は無理とわかってくれて、
「しようがない子ね、早く行ってらっしゃい!」
と、軽く唯の頭をこついて、他の人たちに気づかれないようにして、下の方で手を振ってくれた。
それを合図に、唯はワンピースの前を押さえたまま建物に入っていった。
唯の孤独な戦いが始まる。
(トイレどこーっ?)
初めて来た斎場なのでトイレの場所がわからない。
行き交う従業員に聞こうと思ったが、声をかけるタイミングがつかめず、かといって立ち止まると、もうその場でお漏らししてしまいそうで、怖くて出来ない唯。
(さっきのお部屋のところ!?)
親族控え室のそばならきっとある。
唯はそう信じて、しっかりと押さえながら必死でその方向へ走った。
「あったっ!」
控え室の奥に「お手洗い」の表示と矢印が見える。
涙でにじんだその目にも、それはしっかりと確認できた。
(おしっこできるぅ!)
そう思った瞬間、一気に漏れだしそうな感覚が走って、由衣は思わず立ち止まると、ワンピースの裾に手を入れて直に押さえ込んだ。
(あぶなかったよぉ・・)
140センチちょっとの唯は、そのからだを丸くしながら転がり込むようにしてそのドアーを開けたが、
「あ・・あれ?」
何となく様子が違い、少し違和感を感じた。
(あ、ここって男の人用・・)
あわてて飛び込んだ唯は、手前の男子用に入ってしまっていた。
(あ・・どうしよ・・)
一瞬うろたえた唯だが、トイレに入った事で緊張が緩み、必死で押さえつけているその奥から、熱いものが溢れ出しそうになってしまっている。
「あっ、あっ!」
どうしたらいいのかわからず、唯はその場で2〜3歩ステップを踏んだが、まだ十分に発達していない唯の体はもう待ってはくれない。
うろたえている唯にお構いなしに、こらえていたおしっこが出口をこじ開けてしまい、押さえている手に下着越しの感触が広がってきた。
「あっあっ!」
どうしようもなくなって、唯は奥にある個室に飛び込むと、鍵をかける余裕もなしに和式便器をまたぎ、空いている手をワンピースに入れて下着を降ろしにかかった。
ジュッ・・
「あっだめぇ!」
まだ降ろしきっていないのに、無情にも唯のおしっこは勢いを増し、あわててしゃがんだものの、ふとももの半分までも降ろせていないパンツめがけて、それは勢いよく跳ねつけた。
(あっあ・・漏らしちゃったあっ!)
 幼いうちからおねしょもしなくなり、お行儀の良かった唯は、生まれて初めてお漏らしということを体験し、どうしたらいいのかわからなくなって、おしっこが終わってもすぐには動けず、ベソをかきながらしばらくの間途方に暮れていた。
(そうだ、だれか来ちゃう!!)
そこが男子トイレであることを思い出し、唯は気を取り直してゆっくりと立ち上がった。
パンツにしみこんだおしっこが滴り、足にも伝ってきたが、素早くペーパーでくい止めて、ハイソックスまでは伝わずにすんだ。
しかしびしょぬれになってしまったパンツを穿く事は気持ちが悪い。
迷ったあげく、唯は思い切ってパンツを脱いでいた。
 誰もいないことを確認し、唯は濡れてしまったパンツを丸めて握りしめ、そっと男子トイレの外に出ると、その奥の女子トイレに入り直し、ペーパーでパンツを何重にもくるんで汚物入れに捨て、手を洗って廊下に出た。
 ちょうどお見送りが終わったようで、親戚がゾロゾロとこちらに向かってくる。
「ゆい、大丈夫?」
母親が心配そうに唯のもとへやってきた。
「うん・・パパは?」
唯はパンツが濡れてしまった事、それを黙って捨ててしまったことを言うと、また叱られると思って話をそらせていた。
「パパはおじさんたちとお片づけよ。」
「そうなんだ・・。」
「さ、ちょっと休憩したら帰るわよ。いらっしゃい。」
手招きする母親について、唯はゆっくりと歩き出した。
(お漏らしのこと、バレませんように!)
(パンツを穿いていない事、バレませんように!)
(パンツを捨てちゃった事、バレませんように!)
 この日、唯はうちに帰り着くまで落ち着かず、常にワンピースの裾を気にして、いつもよりおしとやかに振る舞っていた。
それは見られたら恥ずかしいという羞恥心からではなく、もし母親に見つかったらきっと怒られる・・という罪悪感のような気持ちの方が勝っていたからであった。
おかげで誰にも気づかれずに帰ることが出来たが、もしも葬儀場から、パンツの落とし物があったと連絡が来たらどうしようと、数日間幼い心を痛めていたが、いつしかそんなことも忘れてしまい、いつものノンビリやさんに戻っていた。


つづく

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