私たちの出航(たびだち) [新しい出会い]




 社会人になり会社の寮生活を始めた私の環境は大きく変わっていった。
民間のワンルームマンションを借り切った寮なので、ドアを閉めてしまえば閉鎖的な空間になりがちなのに、
「由衣ちゃん、○○作ったから食べにおいで!」
「小原〜、△▲するから手伝え!」
「明日×□と買い物行くから一緒に行こ!」
 と、短大時代の私には考えられないくらい、いつもみんなから声をかけてもらえて、それは当然私からも声をかける足がかりにつながっていて、初夏の頃になると、自分から誰かの部屋を訪問することが出来るようになっていた。
この頃になってようやく私にも自立心が芽生え始めていたのだろう。
 仕事にもようやく慣れてきて、少しおもしろくなってきていた時期だった。
仕事柄、連絡事項や関連書類なんかをあちこちに配り歩いたりするので、各フロアの関連会社の人たちと接することも多くなったり、寮に入っている人たちと出先で顔を合わせる事もあったりして、それが楽しくてならなかった。
 ただ、ミスしないように、間違わないようにと、細心の注意をはらって意気込むほど、私はポカを繰り広げてしまって、転んで廊下に書類をばらまいたり、高いところにある棚のモノを取ろうとしてイスから転げ落ちたり、使い慣れない敬語で舌をかんだりと、毎日何かやらかしてしまって、[おとなしいのにオッチョコチョイ]というレッテルを貼られてしまったのもこの頃だ。
そういえば寮でも[おとなしいのにおもしろい子]と先輩から言われたことがった。
そして寮でつけられたあだ名が[パピィちゃん]だった。
 誰かがそれを会社で吹いたのか、
「パピィちゃん、今日は転ばないようにね!」
 なんて声をかけられることもあって、それはそれでけっこううれしい事になっていたけれど、男性社員から
「おぅパピィちゃん、なんでいつもそんなに小さいんだ!」
 なんて、けっこうからかわれたりもしていた記憶がある。
たぶんその人には悪気はないんだろうけど、けっこう傷ついていた。
でもその頃になると私も負けていなくて、
「神様がね、かわいく作ってくださったんですよ〜!!」
 なんて言い返せるようになっていた。
学生時代の私からは想像も出来ない事だ。

 そんな私をいつも笑いながら見てくれる男性がいた。
私と木下朋美の指導係でもある7歳年上の上司。
寝癖のついたボサボサの髪の毛を直しもしないで、クリッとした大きな目で見つめて優しく話しかけてくれる人。
仕事ではすごく厳しくて、むしろ怖いぐらいだけれど、いったん仕事から離れると子供みたいな意地悪をしてきたり、いたずらを仕掛けてきたり……。
そんな毎日が繰り返されていくうちに、私はその男性に惹かれるようになっていて、それが毎日の仕事の励みにもなっていた。
 ある人が結婚退社することになり、その送別会に出た後、私はその男性に誘われて二人きりで飲みに行き、そのままホテルに行ってしまった。
実際には泊まっただけで深い仲には至らなかったんだけど、やはりそのことが会社にも知れて、ふたり別々に総務部長から呼び出されてしまった。
 てっきりおしかりを受けるんだと覚悟して、恐る恐る部屋に入る私に、部長は
○原則として社内恋愛は禁止していないが、あまり目立つことはするな。
○彼は関係を認めて、まじめにつきあっていきたいと言っている。
○君が遊び半分な気持ちならつきあいを自重しろ。
○お互いを高め合えるつきあい方を心がけろ。
 と、叱るどころか逆におつきあいを後押しするかのような、そんな言葉をかけてくださって、私はうれしくてたまらなかった。
 そして[彼は関係を認めて、まじめにつきあっていきたいと言っている。]という言葉を聞かされたとき、私はたまらなくなって泣き出してしまって、改めて彼の大きさを知ってますます惹かれていく自分を感じていた。
 まだ結婚とかそういうことまでは思い浮かべていなかった…というか、あこがれはあったけれど…、私はその彼とずっと一緒にいたいと、そう心に誓ったそのときだった。
そうその彼こそ旦那様・松本篤史その人だ。
 それから私たちはつきあいを深め、お正月には彼の実家を訪れてご両親や家族とも会い、まだ言葉としては何も交わしていないけれど、結婚に向けたつきあいになっていった。

……  ……  ……

真理とのメール抜粋 (初デート)

> んでね、今日仕事の帰りにお茶したよ〜。
おお、ついに初デートだな。おめでとさん。

> けど緊張してたから何を話したか覚えてないよ〜。
> っていうか全然話せなかった。
これまでまったく男っ気がなかった由衣だからな。
まだ免疫がないんだしそんなもんでいいんじゃないの。
そのうちゆっくり話せるようになるさ。

> また今度行こうって。
> きっと次もあるよね?
ああたぶんな。
由衣はともかくとして、彼も由衣にかなり興味を持っていることだけは事実のようだ。ただしまだあんまり夢中になるなよ。

……  ……  ……

真理とのメール抜粋 (パピィ)

> 寮の先輩からパピィってあだ名つけられた。
はっはパピィなぁ。
由衣にピッタリじゃないか?

> シッポ振ってるって事じゃないよね?
そうじゃないだろ。
愛くるしいってことだろよ。
ちっこいのがチョコチョコ歩き回るって。
かわいがられてる証拠ズラ!?
なんだな、寮生活は由衣にプラスになってるな。
持ち味が出てきたって事だよ。喜べ!!

……  ……  ……

真理とのメール抜粋 (ラブホテル)

> んで初めてラブホテル入った〜!!
おいおいちょっと流れが速すぎないか?

> けど私の体調が悪かったから何もしてないよ〜。
> 一緒に寝ただけだった。
ほぉ。それは興味深いなぁ。
ってかその男が大人なのかな。
まあそれだけ由衣を大事にしてるって事だろな。うん。
案外いい男のなのかもな?

> トイレがガラスで丸見えで恥ずかしかったよ〜。
> ラブホテルってみんなそうなの?
知るか!!
そういえばオイラの知る限り、鍵がないところが多いみたいだぞ。
ていうか、おい由衣よ。
やっぱりちょっと展開が早すぎるんじゃねえの?
まだまだネンネのお前にラブホは似合わないだろ。
あんまりオイラを驚かせるなよな。

……  ……  ……

真理とのメール抜粋 (総務部長)

> 務部長の耳に入ったらしくて、別々に呼び出しされた〜!
おいおい・・
やっぱりそういう事になったかよ。

> れてね、むしろがんばれって言われたような感じだった。
ふ〜ん、お前の会社は進んでいるって言うか、変わっているっていうか、ずいぶん寛大だよな。
けど人間関係を大事にしてるって事は言えるみたいだな。
それと案外その彼氏は会社でもかなり信用がある男とみたな。
そうじゃないならボロカス言われてもおかしくないぞ。

> から真理っぺは否定的かもしれないけど、なんかね、この人と
> ずっと一緒にいたいって思ってる。
いや、その気持ちを否定はしないけど、願わくば由衣にはもう少し男への免疫を持ってほしいなってな。
彼は彼で大事にしたらいいけど、他の男もしっかり観察しろよ。
それでもその彼が一番ならそれでよし!!

そういえばののたんも最近色気づいてきたらしいな。
もう相談を受けていると思うけど、あいつの方が由衣よりものめり込む心配があるぞ。
しっかり指導しろよ。

……  ……  ……

真理とのメール抜粋 (彼の実家)

> いないのに家に連れて行かれてね、ご両親とかに会っちゃった。
ほんとにおまえら進行が早いな。

> 皆さん優しくてすごく大事にしてもらった。
そこまで進んだのならもう結婚だなあ。
そういう前提で親にも合わせた訳だろうし。
けどいつも由衣からだけの報告だし、一度オイラが直接彼氏に心の中を聞いてみたいもんだ。
由衣のどこがいいのかってな。はは。

……  ……  ……

 学生の頃の単調な毎日と違い、仕事関係も含めて日々新しい人たちとの出会いが生まれていく中でも、時としてふとひとりぼっちになる時がある。
毎日のように誰かと一緒に夕食を食べたり、楽しいデートがあったりする事に慣れてくると、このひとりぼっちで狭い部屋にいる事が異様な寂しさを感じさせる。
そんな時、私はネットサーフィンをしてその寂しさを紛らわせていた。
といっても目的もなくあちこちうろつくのではなく、私はある特定の事項を求めてさまよっていた。
 いつの頃からだろう、私は人に言えない性癖(クセ)が芽生えていた。
それは[トイレを我慢すること]だった。
人前で、特に男の人がいる前ではどうしてもトイレを我慢してしまう。
我慢すること事態は苦痛なんだけれど、その事から自分への妄想が膨らんでいって、恥ずかしくてトイレに行く事が出来ないかわいそうな、そんなヒロインを演じる私になっていた。
 人に言えないそんな性癖がある私は、自分が少しおかしいのではないかと自己嫌悪に陥って、それでその事をいろいろと検索していたのだ。
でもほとんどが男の人の興味本位な性欲的な扱いのモノばかりで、私が知りたい内容には出会えなくて、ますます自己嫌悪が募っていったが、その中でひとつ、私の目を引くホームページが現れた。
 [おしがま]を研究するという趣旨の[ROOM水風船]
私はしばらくそのサイトを静観していたが、私と同じような性癖の女の人がけっこう集まっている事がわかり、そのBBSに思い切って投稿してみる事にした。
けっこう暖かい反応が返ってきて一安心した私。
それがそのサイトの管理者、水風船博士にとの出会いだった。
 それでもまだBBSでは書き込むのが怖いという思いも少しあったし、あからさまに書き込むのはどうかなと思うような内容などは、その博士のメールフォームに個人的に送ったりしていたが、その博士はユーモアを交えながらも真剣な内容の返事を返してくれて、そんなことが何度か繰り返されていくうちに、私は徐々に博士に対して信頼を置くようになっていった。
 やがて博士は私に、メールで送っていた過去の体験なんかを文章化して発表してはどうかと勧めて来て、私にとっては全く経験のなかった世界へと足を踏み入れていく事になる。
 ただ、当時はそれがまさか今日まで続くなんて夢にも思っていなかった……というか、もしなにか都合の悪いことが起きればすぐ逃げ出して、全てをなかったことにしてしまえばいいと、私の名前が[水野ひろこ]だったり、彼の名前が[高木篤史]だったりと、設定をかなり適当にしていたことが今となってはくすぐったい思い出になってしまっている。
 この水風船博士との出会いで、私は自分の性癖に負い目を持つことがなくなって、次第に自分の思っている事、感じている事などを人前で発表するという事のすばらしさを教えられていく。
 しかしそれまで何でも相談したり愚痴をこぼしたりしていた真理や香織、そして時々会っている希美にも、さすがにこのことは伝える事が出来ずにいた。
それはまだ、それを伝えたときのみんなの反応が怖いという不安があったからだ。
 実はその頃、もう彼氏には私の性癖はすっかりバレていて、ROOM水風船に投稿している事まで突き止められていた。
そのことを知ったとき、私はもう完全に嫌われてしまうと覚悟したけれど、彼はそれを笑いながら受け止めてくれて、私の反応を確かめながら新しい意地悪を仕掛けてきたり、わざと私が困るような状況を作り出したりしておもしろがったりするようになった。
私はそれがイヤではなくて、私のことをわかってくれている上でそうしてくる彼に対し、ますます[好き!!]という思いを募らせていく。

 年が明けて彼は家の事情もあってマンションでの一人暮らしを始めた。
そのお披露目で会社の同僚たちが集まったとき、私は改めて彼の交際範囲の広さというか、つきあいの深さに驚かされる。
そしてその頃からだろうか、私は次第に会社の人たちと行動を共にする事が多くなっていった。
 同じ頃、真理にも新しい出会いが起こったようで、来るメールの端々にその彼のことが書かれるようになっていった。
どことなく真理が[女の子]してるような、そんなとてもかわいらしい内容の文章があったりして、ついつい私の顔がほころんでくる時があった。
やっぱり真理も普通の女の子なんだなぁと、嬉しく思った私だった。
 これで特定の男性とつきあっていないのは、私の予想に反して長身美形の香織だけになってしまったが、当の香織はそんなことは気にもかけていない様子で、
「やることがいっぱいあって男どころじゃないよ!!」
 なんていう強気のメールのとおり、実は仕事関係でかなり重要な役回りをさせられているそうで、日々勉強の毎日を送っていたらしい。

 こうして卒業から1年近くが過ぎていって、私たちは新しい環境の中で新しい出会いに触れ、そして新しい展開を始めていった。
 短大で真理や香織や希美というすばらしい友達に出会い、そのおかげですばらしい会社に出会い、寮生活での仲間、会社での仲間、そして彼氏……。
そしてROOM水風船と、出会ったみんなにありがとうとお礼を言いたい私だ。
 その頃になると、真理からのメールの文末が
[未来に向かう若者はさよならを言わない]
 から、
[未来に向かう若者は過去という宝石箱を持っている]
 に変わっていった。



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