私たちの出航(たびだち)第2章 [卒業旅行 2.]




 翌日は昨日の悪天候などウソだったかのように、朝から春の日差しがホテルの窓を照らしていた。

香織「さぁて、問題は今日と明日の行動だな。」
真理「ああ、飛行機は明日の4時すぎだっけ?」
香織「3時には空港に着いてるようにって言われてるしな。」
由衣「帰りも同じツアーのグループなの?」
香織「いや、別グループに潜りこむんだ。」
真理「言ってみればあと1日半しかないって事だわな。」
希美「え〜、もう半分が過ぎちゃったんだぁ!」
由衣「阿蘇山から空港って遠いの?」
香織「いや、距離的にはそんなに遠くない。」
由衣「じゃぁ今日は車で天草方面に行ってさ、明日もう一度阿蘇山に行こうよ。」
香織「いいけど…今夜の宿はここじゃないぞ。」
由衣「そうだった。菊南温泉とか言ってたよね。」
香織「ああ。んで車は明日の2時までだしな。」
希美「レンタカー返さないといけないもんね。」
由衣「…そうだったね。やっぱ阿蘇山はもう無理かなぁ…?」
希美「観光バスとかで行けないの?」
香織「あとで調べてみるよ。」
希美「じゃぁとりあえず今日は天草四郎に行くんだね。」
香織「それって人の名前だぞ。」
希美「ふひ?」
香織「真理もそれでいいか?」
真理「あぁ、オイラあんまり地理のことわかんないから任せるよ。」
由衣「あれぇ、しおらしい真理ってなんかヘン。」
真理「うるせえっ、正直にわからないって言ってるだけだろが!」
由衣「そうやってすぐに怒る真理の方が似合ってるよ。」
真理「へん!!」

 最後の夜はやっぱり温泉に浸かって、そして4人で一緒に寝ようと決めていたので、この日の宿は熊本郊外の菊南温泉だ。
私たちは荷物を全部車のトランクに押し込んで出発した。
 雨混じりの火山灰で汚れてしまったジーパンは穿けないので、海に向かうには少し寒いかも知れないけれど、私は予備に用意していたキュロットを穿いていた。
香織と真理は別のジーパンを、希美はデニムスカートだった。

 天草へ向かう道は渋滞することもなくスムーズに流れ、その日私たちは水族館に行ったり島巡りの観光船に乗ったりと、昨日のような大きなハプニングもなく楽しい時間を満喫していた。
 そんな中で、またひとつ真理の意外な一面を発見した私。
それまでワイワイと騒いでいたのに、観光船に乗る事になってから少し様子がおかしくなり、船の桟橋を渡るときに私の腕をつかんできた。
私はてっきり希美がつかんでいるんだと思っていたけれど、それは紛れもなく真理だった。
 そして船の中でもすぐに座席に座り込んで、まわりの景色を楽しむどころか、むしろ固まっているといった感じになっている。
 甲府という山の中で育ったので、船というものに乗ったのはこの日が初めてだったらしい。
観光船と言っても定員が20名ほどの小型船というか、大きめのモーターボートのような船だったので、波による揺れがけっこうあって、どうやら船酔い一歩手前のような状態になっていたのか、一言もしゃべらずに青い顔で固まっていた真理。
 地理が苦手で、乗馬を恐がり、おまけに船にも弱い真理。
そんな真理を見ていると、突っ張っているイメージが崩れていくと言うよりも、良い意味で本当の真理の姿を見ているような気になって、なんか急に愛おしくなって、手すりを強く握っている真理の手に、私はそっと自分の手を重ねていた。
さすがに真理も少し気恥ずかしくなったのか、私の顔をみて
「へへ…まいったなぁ…」
 と、照れ笑いしていたけれど、私はそれには何も応えずにずっと手を置いたままにしていた。
 向かいの席では、あっちを向いたりこっちを向いたりしながらキャッキャッと騒ぐ希美と、それを静かに見ている香織の姿がある。
身をよじるたびに足を開くのでデニムからパンツが見えてしまっても、それを全く気にする様子もない希美。
まるでお姉さんとおてんばな妹のような二人連れに見える。
が…、実は香織も船が苦手らしく、真理と同じように船酔いしかかっていたらしい。
 下船するとき、足下がふらついている真理の手を引く私と、同じように香織の手を引いているののたん。
これまでどんな時も香織や真理に引っ張ってもらっていた私と希美が、こんな形でその二人の手を引いている事が不思議で、そしてそれがうれしくてたまらなかった。
 それは、このふたりに勝ちたいとか見返したいとか、そういった気持ちではなく、こんな小さな事ではあるけれど、私たちでもこのふたりの役に立っているんだと思えた事、そのことがとてもうれしく感じたあの日だった。

 ふたりの気分が落ち着くまで休憩所で休んでいる間、希美はひとりでお土産物などを物色しながらはしゃぎ回っていた。
そしてなにか珍しいモノを見つけるたびに私を呼びに来る。
私よりも3ヶ月お姉さんなんだけど、その言動行動はどう見ても小学生のように思えてしまう。
 それは休んでいるふたりにも同じように映っていたようで
「ののは相変わらず子どもだなぁ…」
「ったく、今日も小学生みたいな服装だもんなぁ。」
 ボソボソッとそんなことを話していた。
確かにひとりっ子で育った希美は幼くて甘えんぼだ。
でも実務実習のとき、一生懸命ひとりで仕事をこなしていた姿を私たちは見て知っている。
 もうあと数日で社会人になっていく私たちだけど、ひょっとすると希美は、すでに大人の部分と子どものままの部分を、ごく素直に、ごく自然にうまく使い分ける事が出来るようになっているのかもしれない。
もしそうだとしたら、まだ自分を確立出来ていないのは私だけなのかもしれないと、少し焦りのようなものを感じた私だった。

 まだ時間には充分余裕があったけれど、早めに温泉について騒ごうじゃないかと言うことになって、私たちはしばらくして天草を後にし、今夜の宿に向かった。
 建物別館の部屋に案内されると、そこはベランダ(縁側?)から熊本の街が見下ろせる2間続きの広い和室だった。
一気にテンションがあがる4人。
 さっそく温泉に入ろうじゃないかと言うことになって、浴衣を手に取ったものの、やっぱり香織以外は……サイズが合わない。
フロントに電話して小さめのサイズがないかと頼んだけれど、正直言ってこういうときは少し…ミニサイズの身体がうとましく感じてしまう。
「小学生様用のでしたらご用意出来ますが…」
 っていうフロントの言い回しに少しカチンときたけれど、それがまたスッポリと収まってしまうものだから……文句も言えない悲しさがある。

 この4人で一緒にお風呂に入るのは2回目になるので、みんなの前で裸になる事への抵抗はあの時よりも薄らいでいたけれど、大浴場にはほかにも何人か入っていたので、やっぱり私はタオルで身体を隠すような感じになってしまっていた。
なのにハイテンションの希美は、そんな私からタオルを奪い取ろうと追いかけ回してきたり、湯船に突き落とそうとしたりして、他の人への迷惑も考えずに真っ裸ではしゃぎまわっていた。
やはりののたんは子供のまんまだ。
 生まれて初めての露天風呂は、恥ずかしさと開放感が入り交じった不思議な雰囲気があって、寒いぐらいの空気に顔だけが触れているからか、長く浸かっていてものぼせるような事が無くてすごく気持ちよかった。
 部屋に戻るとき、貸し切りの家族風呂があることを知ったので、夜の10時にそれを予約して、今度は4人だけで楽しもうと言うことになった。
他の人がいないのなら、私ももう少しはじけることが出来そうだ。
 夕食は部屋食ではなかったけれど個室扱いだったので、すごくゆったりとした気分で楽しく頂くことが出来て、地酒の「美少年」も飲んだけれど、正直言って私は日本酒をあまりおいしいとは感じない……やっぱりビール派だと思った。
 部屋に戻るとすでにお布団が敷かれていたけれど、なぜか横一列に強いてある。
どうせなら寝ながらでもおしゃべりできるようにってことで、テーブルを動かしてふたりずつ頭あわせになるように並べ替えて、さっそくそこに寝っ転がった。
 私は家でもベッドなので、フワフワのお布団の感触がすごく心地いい。
ののたんは思った通りゴロンゴロンと布団の上を転げ回って、私たちの身体の上にまで乗ってくる。
真理から「うっとおしいなぁっ!」と叱責された時は、さすがに少ししょげていたけれど、こうして4人で一緒に寝られることが、あるいはこの先もう二度とないのかもしれないと思うと、希美のはしゃぐ気持ちも私には充分理解できたし、私自身ももう少しはじけたいと思っていたぐらいだった。

 家族風呂というから、普通の家庭のお風呂を少し大きくした感じのものを想像していたけれど、そこは7〜8人は楽に入れるのではと思えるほどの、広くて立派な造りのものだった。
 軽く掛かり湯をした途端、希美はもうさっそく湯船に飛び込んで暴れ出す。
私ももうこの際だからと、その後を追うようにして飛び込んだら、中で待ち受けていた希美にいきなり胸を触られた。
突然のことだったので驚いてしまい、私は足を滑らせて仰向けのままお湯の中に倒れ込んでしまって、立ち上がろうともがいているどさくさに、ののたんはあちこち触っていた。
 希美はなおもそのままの勢いで真理や香織の胸を触ったりして暴れ回る。
ほんとに今日はののたんの一人舞台だ。

希美「真理っぺでかおりんで、それから私で由衣ちゃんの順だね。」
真理「なにがだよ?」
希美「おっぱいの大きい順!!」
真理「けっ」
由衣「ぇ……」
香織「私より真理の方が大きいってか?」
希美「うん♪」
香織「はは…まぁ体積比率から言ったら確かにそうかもな。」
真理「どういう意味だよ!?」
希美「かおりんはスタイル良くてバランス取れてるもんね。」
香織「うん、それは自他共に認める。」
真理「けっ!」
希美「私はぁ、由衣ちゃんにちょこっと勝ってるもんね♪」
香織「見た目ではほとんど変わらないよ。」
希美「え〜、そうなのぉ…?」
真理「けど精神年齢はののたんが一番幼い。」
希美「ぶび〜!」
真理「由衣はまぁ、まだ幼い感じの体型かな。」
由衣「……」
希美「ツルツルで赤ちゃんみたいにかわいいもんね。」
香織「…」
真理「…」
由衣「…」
希美「ぇ…?」
香織「まぁあれだ、身体的特徴ってのはあんまり話題にしないもんだぞ。」
希美「は〜い。ごめんね由衣ちゃん。キズついたぁ?」
由衣「ぇ…ぁまぁちょっとね。」
真理「なんだ、実はかなりコンプレックスになってんのか?」
由衣「ん〜、そりゃぁ…」
真理「別にいいじゃん。かわいいのは事実だしさ、見せて回る訳じゃないしよ。」
由衣「そりゃ…そぉだけどさぁ…」
香織「案外気にしてるのは自分だけだったりするもんだぞ。」
由衣「…ん…でもさぁ…」
真理「はは〜ん、彼氏が出来たときどう思われるかって気にしてんだろ!?」
由衣「……」
真理「なんだ図星かよ。」
香織「ふぅん、何の問題もないと思うぞ。」
真理「だろうよ。逆に喜ばれたりするかもよ?」
希美「そうなのぉ?、かわいいって?」
真理「そう言うこと。おっと、だからってののたん、マネするんじゃないぞ!」
希美「マネって?」
真理「自分でジョリジョリするなよってこと!!」
希美「べ〜!!」

 私のちょっとしたコンプレックスの事から、話題は理想の男性像、そして将来の結婚観へと話がだんだん広がっていった。
おもしろいことに、幼い系の私と希美は早く結婚したいタイプで、逆に香織と真理はそれほど結婚願望が見られなかった。

真理「オイラはやっぱりののが一番心配だな。」
希美「なにがぁ?」
真理「お前のその甘えた仕草とかをさ、勘違いした男が寄ってくるかもしれないぞ。」
香織「たしかに。これからは相手を見て甘えないとダメだぞ。」
希美「ふぁ〜い。」
真理「由衣も…たぶん思いこんだら一途になるタイプみたいだしなぁ…」
香織「そうかもな。」
由衣「好きな人が出来たらすぐに知らせるよ。」
真理「それがいい。オイラが吟味してやるよ。」
香織「吟味ってどうやってさ?」
真理「そうだなぁ、まっ由衣の代わりに一晩寝てやってもいいし…」
希美「ひえ〜!?」
由衣「やっぱ真理っぺには相談しな〜い!」
真理「はは…冗談だよ。ま、とにかく男が出来たら報告はしろよ。」
由衣「うん!」
希美「みんなの結婚式には必ず出るようにしようね!」
香織「気が早いなぁ。もう結婚式の予定かよ。」

 家族風呂から部屋に戻っても、まだまだ話がつきることはなく、私たちは冷蔵庫から飲み物を取り出して、明日の予定のことなんか気にすることもなく夜おそくまで話し込んでいた。
 こうやって4人で一緒におしゃべり出来る事が、これから先、はたして本当にあるのかどうかわからない。
おそらくそれは私だけではなくて、その事を口にしないだけであとの3人も同じように感じていたはずだ。
運転疲れがでてきた香織が
「悪いけどそろそろ寝るわ。」
 と言ったのは午前2時を回っていた。
それをきっかけにしてみんなも寝る事にしたけれど、やっぱり希美は私とお布団をくっつけて、一緒に寝ると言っていた。
……それも今日が最後なんだ。

 フロントから「お食事の用意ができております。」という電話で起こされたのは、もう8時を回った頃だった。
さすがにみんな疲れ切ったような目覚めで、何度も寝返りを打っていたせいか、私も含めてみんな浴衣がはだけて帯だけが残っているという、パンツ丸出しの格好になっていた。 
 ダイニングで朝食を済ませて部屋に戻ると、もう布団は上げられていて、半開きのベランダからは寒いぐらいのさわやかな風が入り込んでいた。
 せっかく温泉に泊まってるんだからと、また4人で朝風呂に入り、けだるさの残る中で帰り支度を始めたものの、誰も今日の予定を口にしない。
「なぁ、提案なんだけど…」
 そんな中で口火を切ったのは香織だ。
旅館に頼んで昼までこのままゆっくりしないかという。
私もそうしたいと思っていたし、あとの2人も賛成して、私たちはそのまま昼までそこに滞在することになった。
 一緒に庭を散歩したり、また部屋で話したりと、もうあとわずかに迫っている時間を惜しむかのようにして、私たちはずっと一緒の行動をしていた。
 阿蘇山の火口には行けなかったし、観光といえば昨日の天草だけだけど、それでもこうやってみんなと一緒にいることが、この旅行の最大の目的だから、私はそれだけですごく充実した旅行になったなと感じていた。
ほかのみんなもそう思っていてくれたらうれしい。
 そのあと私たちは昼過ぎにその旅館を出て熊本市内に戻り、ファミレスで食事をしてからレンタカーを返して、空港行きのバスに乗り込んだ。
発車した瞬間から私は眠ってしまったらしく、途中のことは全く知らないけれど、どうやらみんなも眠っていたようだった。
 飛行機はツアー客に紛れ込むために、4人バラバラの座席になってしまったけれど、そこでも私はまた眠り込んでしまって、あっという間に羽田に到着していた。
 モノレール経由で東京駅。
香織も真理も借りている部屋の片付けなんかがあるから、田舎に帰るのは明後日だという。
本当は見送りに行きたいけれど、私も希美もその日は出社式だし、明日はいろいろと準備しなければならないことがあって、事実上、今ここで香織と真理が乗り込む中央線ホームがお別れの場所になる。

希美「ねぇえ、ほんとにもう行っちゃうのぉ…」
真理「なに泣きそうな顔してんだよ。」
香織「いつだってメールも電話も出来るじゃん。」
希美「でもぉ…さびしいよぉ…」
真理「ののたんは由衣がそばにいてくれるだろ。なあ由衣!」
由衣「………」
真理「なに黙り込んでんだよ!」
由衣「…だって…なんかしゃべった…ら…涙が出るもん…」
香織「って、もう泣いてるじゃんか!」
由衣「…だって…」
真理「お別れじゃないぞ。出発式なんだからさ。」
香織「船で言うところの出航だな。」
真理「そうそう、[出航]と書いて[たびだち]と読む!!どうだっ!?」
由衣「こんなところで…カッコつけないでよぉ…」
香織「真理にしてはいい表現だったな。今の…」
真理「うるせぇ、オイラはいつでも詩人なんだよ。」
香織「そんなの初耳だぞ。」
希美「そんなのいいからさぁ…こっち向いてお話してよぉ…」
真理「よっし。じゃぁさ、1年後に同窓会やろうぜ。おまえらふたりで計画しろ!」
由衣「ほんと?、絶対来てくれる?」
香織「必ず来るよ。」
希美「約束だよ…」
由衣「あのね……あのね…」
真理「なんだよ。泣くんじゃねぇよ。」
由衣「真理…香織…ありがとう!!」
真理「なんだよあらたまって?」
由衣「わたし…私を変えてくれて…ありがとう…」
真理「オイラは別に何もしてねえぞ。自分で変わったんだろ。なぁ香織?」
香織「あぁ、」
由衣「それでもありがとう…」
希美「わたしもぉ、ふたりに出会えてよかったあっ!!」
香織「わかったから。そんなに泣くなって。」
真理「おっと、もう発車だ。じゃぁ乗るぞ。」
希美「…さよならを言うの…やだぁっ!」
真理「あのな、ふたりにいいこと言ってやるよ。」
由衣「…なぁに?」
希美「早く言って。閉まっちゃう!」
真理「未来に向かう若者はさよならを言わないんだよ!!」
由衣「え……」
希美「…」

 閉まるドア越しに真理はそう言い残した。
香織と真理を乗せた電車はすぐに走り去ってしまい、取り残されたような感じでその場を動くことが出来なかった私と希美は、多くの人が行き交うホームで抱き合って泣き続けていた。
駅員が心配して駆け寄ってくるほど、私と希美は声を上げて泣いていた。

 上野駅で希美ともお別れになる。
希美は私と一緒にいったん電車を降りて、
「由衣ちゃん、毎日メールとか電話してもいいよね?」
 と何度も何度も聞いてきた。
「もちろん。会社も近いんだからさ、いつでも会おうよ!」
 私はそう答えて、
「ねぇのの、もう(常磐線ホームへ)行くけど、さよならじゃないからね。」
 そういうと、希美はコックリとうなずいた。
そう真理が閉まる扉越しに言った言葉……
「未来に向かう若者はさよならを言わないんだよ!!」



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