それぞれの出航(たびだち)5




 普段からおしがま癖がある由衣と違って、真理はさほどおしっこを我慢する事に慣れていない。
この夜、缶ビールによってもたらされた真理の尿意は、普段ならとうてい耐えられないほどきついものであった。
浴衣の裾を割って入れた手に力を込め、90度近く体を曲げてヨタヨタと歩く姿は、漏らしてしまうのではないかと、そばにいる香織がハラハラするほど真に迫った光景であった。
真理は真理で、おしっこさえできるなら、もう何がどうなってもかまわない!と思うほど、恐怖心にも似た排尿感におそわれていた。
今が自分の部屋の中なら、おそらく真理は漏らしていたであろう。
それが、ここはホテルの一室である!友達が一緒にいる!という理性だけで、かろうじて耐えていた。
 ドアノブに手を掛けたとき、由衣がバスルームから出てきた。
「てめぇ由衣・・覚えてろぉ・・」
荒っぽい言葉ではあるが、真理のその声は力なく震えており、目は涙目になっていた。
「あはあ、ごめんねぇ真理っぺ!」
由衣はなおもいたずらっぽく返し、真理がバスルームに入りきるのを待ってドアを閉めた。
「由衣が意地悪するって・・珍しいな!」
およその状況を理解した香織が、体に巻いていたバスタオルを解いて、濡れた髪を拭きながら言った。
「!」
後ろ姿ではあるが、透き通るような白い肌の香織はきれいだった。
その姿に圧倒されてしまい、由衣は言葉を失う。
「ん。どした由衣?」
何も返事が返ってこないことが気になったのか、香織が髪の毛を束ねながら体ごと振り返った。
170センチの身長に、Cカップの胸、くびれたウエストに長くスラッとした足。
ファッションモデルでも通用しそうなほどに整った体を見せつけられ、由衣はため息を漏らしていた。
「かおりん・・きれいな体だ・・」
由衣はつぶやくような声でそういった。
「おっ、サンキュー!」
香織はサラッと聞き流すように返すと、
「さって、浴衣を着るかどうするか・・・」
独り言のようにつぶやきながら、バスタオルを肩に掛け、濡れた髪の毛をその上に垂らせて思案している。
その一部始終を見つめる由衣の視線に気づき、
「なに見てるんだよ!」
と言いながら、わざとらしく両腕で胸を隠した。
「いいなあ・・きれいな体してる人は・・」
ため息混じりで言う由衣。
すっぴんになった素顔もきれいだ。
知り合ってから数年、香織は大人になるにつれて美形になってきている。
「は〜・・・」
何度かため息をついた由衣に、シャワーの音が聞こえてきた。
真理が浴びだしたようだ。
「私もシャワーしよっと!」
由衣はそういって体を返し、真理から借りて着ているTシャツと短パンをベッドに脱ぎ捨て、ブラとショーツだけの姿になってバスルームに飛び込んだ。
「おいおい、ふたりでシャワーするのか?」
香織が笑いながら言う。
かなわない体の差に寂しさを感じた由衣は、真理という同じちびっ子の同士に救いを求めたくなっていた。
 便座のふたの上に真理が脱いだ浴衣や下着がある。
由衣もその上に下着を置き、勢いよくシャワーカーテンを開いた。
「わっ、なんだよお前っ!」
いきなり全裸の由衣が飛び込んできて、驚いたのは真理である。
「いいじゃん!、一緒にシャワーしよ!」
あっけにとられている真理からノズルを取り上げると、由衣は真理の背中に回り込み、一気に頭からシャワーを浴びだした。

真理「わっぷ、おまえなあ!」
由衣「あ、ごめ〜ん、勢いよすぎた〜?」
真理「そうじゃなくてなあ、なんで入ってきたんだよ!?」
由衣「いいじゃん一緒でも!」
真理「はあ・・時々おまえってやつがわからなくなるよ。」
由衣「何がよぉ!」
真理「こういう事をさ、突然やり出すだろ!」
由衣「いいじゃん!。真理っぺ、背中流してあげるよ!」
真理「はあぁ・・やれやれ・・」
由衣「迷惑そうに言わないでよぉ。」
真理「迷惑なんだよ!」
由衣「ひどいなあ!」
真理「どっちがだよ、ほんとにおまえはぁ・・」
由衣「似たもの同士じゃんかあ!」
真理「違うよ!オイラはお前より大人だ!」
由衣「そんなことないよぉ!」
真理「なんだよその子供みたいなからだぁ!」
由衣「真理っぺと一緒じゃんかっ!」
真理「パーツが違うんだよパーツが!」
由衣「どういう意味よぉ!?」
真理「胸だってオイラの方が大きいし、おなかも出てない!」
由衣「ほとんど変わらないでしょ!」
真理「わっ、ばか触るなあっ!」
由衣「ほらあっ、ほとんど同じじゃん!」
真理「あああもうぉ、お前は子供のままなところがあるだろ!」
由衣「あ〜っ、それは言わない約束なのにぃ!」
真理「振ってきたのはお前だろうがあ!」

狭いバスルームに、二人の騒ぐ声が響きわたっている。
「どっちもどっちだよ・・・」
その騒ぎを聞きながら、香織は鏡の前に座り、髪をとかしていた。

 真理も由衣も髪はショートである。
ドライヤーを使うことなく、すぐに乾いていく。
窓側のベッドは香織が使い、片方のベッドに真理と由衣が入った。
セミダブルのベッドなので、小柄な二人には充分な大きさであった。
香織も真理も、そして由衣も、眠くはなかった。
「さてっと・・香織の話を聞かなくちゃな!」
最初に切り出したのは真理だ。
「あ・・そうだな。」
香織は一度深呼吸をすると、ゆっくりと体を起こし、枕にもたれかかるようにして座り直すと、浴衣の襟元をなおしながら話し出した。
壁側に寝ていた由衣は、真理の背中越しに、その香織の姿を見つめていた。

 香織は松本市内のある企業に勤めていた。
仕事は営業事務であった。
1年が過ぎた頃、上司の課長が突然、
「外回りも教える。」
と言い出して、慣れない営業の手伝いも始めていた。
しかし美形で愛想もいい香織は取引先の受けもよく、それなりに成績を上げていったが、それらはすべて課長の成果とされていた。
営業のおもしろさを知った香織は、課長の手柄になっていることなど気にしていなかったが、ある日、その課長から個人的につきあってほしいと申し入れを受けた。
香織22歳、その課長は38歳の独身であった。
香織は短大時代からつきあっている彼がいて、松本に帰った今も遠恋を続けている。
そのことを告げて申し入れを断った事が原因か、徐々に課長の態度が変わっていき、無理な仕事を押しつけたり、あからさまに残業を言いつけたりするようになっていった。
 見かねた同僚たちが手助けをしてくれたが、課長の嫌がらせにも似た態度は加速していき、ある時、自分の失敗を香織に押しつけ、取引先に頭を下げて回ることまでさせるようになった。
 さすがに香織も疲れてしまい、そのことを営業部長に直訴した。
しかし事態は改善するどころか、告げ口をしたことを逆恨みし、香織に対する嫌がらせは更に強くなって、セクハラ的な言葉を浴びせられるまでになっていった。
 精神的に参った香織。
そのことを遠恋の彼に告げ、優しい言葉に元気づけられる事がせめてもの救いとなっていた。
が、時を同じにして、その彼もまた仕事に行き詰まり、上司とのトラブルやミスが続いた事で自己嫌悪に陥り、香織からの電話にも出なくなり、たまにつながっても香織の言葉に耳を貸さず、気のない返事を繰り返して一方的に切ってしまうようになってしまった。
 いよいよ追い込まれていく香織。
それまで同情してくれていた同僚たちでさえ、しつように繰り返される嫌がらせに恐れをなしたのか、見て見ぬふりが始まりだし、とうとう香織はひとりぼっちになってしまっていた。
 外観から気が強いと思われていた香織。
実は繊細で感受性も高く、支えを失うことでもろくも崩れてしまう弱さも持っていた。
(もう限界かなあ・・・)
香織は寂しくそう思い、退職を考え出した。
父親の薦めで働きだした会社であったが、もう限界だ。
香織は思い切って退職願を出し、父親にはこれまでのいきさつを記した書き置きを残して、ある日家を出た。
行き先を告げずに・・・。
 怒ったのは父親である。
香織にではなく会社に対して。
よかれと思って薦めた会社で、娘がそういう目に遭っていたのかと怒り、松本労働基準監督署と人権擁護委員会に調査依頼を出すまでに至った。
労基局の調査が入った事で恐れをなした会社は、当該人を厳重注意したと弁護士名で報告してきた。
 そのころ香織は、中学の時に転校していった友達のうちに身を寄せていた。
そこはペンションをしていて、香織はその手伝いをさせてもらっていた。
友達もその家族も多くを聞こうとせず、香織の心が落ち着くのを見守っていてくれた。
週に1度程度、両親に対して一方的に「心配いらない!」「元気だ!」
とだけ電話し、そのほかの人たちとの連絡をすべて絶っていた香織。
もちろん由衣たちとも。
そしてゆっくりと自分を見つめ直し、考えていた。
季節は5月、ちょうど由衣たちが職場の人たちと旅行し、甲府で真理と会っていた頃、香織は傷ついた心を癒していたのであった。
 そんなとき、ペンションの友達が、
「香織、地元の観光協会が人を探しているよ。」
と持ちかけてきた。
その一言が香織の曇っていた心に光を指した。
(そうだ!、くよくよ考えるよりも行動だあ!!)
香織はさっそく面接を受けに行き、見た目の良さと本来持っている明るさを認められて、すぐに採用された。
 ありったけのお金を使って小さな部屋を借り、香織の新しいスタートが始まった。

真理「うへぇ・・ドラマみたいな話だなあ!」
由衣「かおりん、大人だあ!」
香織「はは、まあな。」
真理「けど、オイラたちにも言わなかったんだもんなあ・・」
由衣「うん、それはちょっと寂しいかも・・・」
香織「いや・・もう誰とも話したくなくってさ・・」
真理「・・わからないでもないけど・・で、もう立ち直ったって?」
香織「ああ・・と言いたいところだけど・・」
真理「まだなのか?」
香織「いや・・お前たちと一緒にいるとさ・・」
真理「はん!?」
香織「昔に戻ったって言うか・・・」
由衣「あはは、いいじゃん、香織は香織だもん!」
香織「・・そうだな。お前たちの前で突っ張る必要もないし・・」
真理「まあな。」
香織「今は楽しく仕事してるしな。」
由衣「観光協会?」
香織「ああ。いろんな人と出会えて楽しいぞ!」
真理「香織は人と接している方が合っているかもな!」
由衣「そうだね。引きつける力があるもんね。」
香織「おだてたって何も出ないぞ!」
真理「ずっと続ける気か?」
香織「そうだな・・給料は安いけど・・いい人たちばかりだし・・」
真理「八王子(の彼)はどうした?」
香織「さあな、あれっきりだし・・もう終わったかもな?」
由衣「連絡してないのぉ?」
香織「ん・・もういいかなって・・思ってさ。」
由衣「そうなんだ・・・」
真理「お前に未練が無いのなら・・それもいいかもな。」
香織「未練はないなあ・・。向こうもきっとそうだろうな。」
真理「お前の実家にも連絡ないのなら・・そういうことだな。」
由衣「なんか・・寂しいね。」
香織「そうだなあ・・私だけ男っ気なしになっちゃった。」
真理「はは・・別に気にしてないって顔にかいてあるぞ!」
香織「ああ、すぐにとびっきりの男を見つけるよ。」
真理「けっ!」
由衣「わ〜い、かおりんらしい!」
真理「というわけで・・由衣!」
由衣「な〜に?」
真理「香織の話には・・おしがまがなかったな。」
由衣「もうぉ!、いいよもう!」
香織「はは・・なくもないぞ。」
真理「ん、あるのかよ?」
香織「ああ・・あんまり思い出したくないけどさ・・」

セクハラが続いていたある寒い日、香織は課長以下数名で新しいプロジェクトの下見に出かけた。
小高い丘の中腹を切り開き、いくつかの建築物が予定されているところである。
資材置き場の小屋で香織は降ろされた。
別の地区の下見に行くから、香織はここで資材のチェックをしていろというのである。
あたりは一面の銀世界で、資材小屋に暖房は入っていない。
事務服にコートだけを羽織った香織の体はすぐに冷え、尿意がおそってきた。
しかし小屋にはトイレの設備が無く、その周辺に身を隠すような場所もない。
しばらく我慢していた香織だが、足下から冷えてくる寒さとともに、尿意はこらえきれないモノになり、周囲を気にしながら小屋の陰で用を足した。
しかしすぐにまた次の尿意がわき上がり、香織は困惑した。
その2度目の用足しで、持っていたポケットティッシュを使い果たしてしまった香織。
小康状態だった雪が吹雪のように舞いだし、空は薄暗くなってきていた。
恐怖心と寒さで香織は落ち着かなくなり、小屋の片隅でガタガタと震えていた。
(どうしよう・・もうティッシュなくなったし・・)
3度目の尿意が来て、香織はうろたえた。
(ハンカチ使うのはいやだし・・こまったなあ・・)
キョロキョロと小屋の中を見渡しても、それに代わるものはなにもない。
そうこうしているうちにエンジン音が聞こえ、ようやく課長たちの乗った車が迎えにやってきた。
香織が一人降ろされてから4時間後のことであった。
かなりの尿意を抱いたまま香織は車に潜り込み、震えながら1時間、耐えに耐えて会社に戻った。
香織にとって、このときのおしがまは人生最大級のものであったろう。
この日の夜、香織は熱を出して風邪をひいてしまった。
おまけに軽い膀胱炎症状まで出てしまい、3日間休む。
香織にしてみれば、このことが退職を決める引き金になったとも言えた。

真理「うへえ、やっぱりそういう展開が待っていたかあ!」
香織「由衣の期待通りだろ?」
由衣「笑い事じゃないよぉ。大変だったんだ!」
香織「けど私は別に『おしがま好き』にはなってないぞ。」
由衣「はは・・もういいってばあ!」
真理「そいつ・・課長ってほんとに最低なやつだな!」
由衣「ほかの人たちとほんとに別の下見に行っていたの?」
香織「ああ、それはほんとだよ。」
真理「ふぅん。」
香織「そっちは暖房設備があるところだったけどな。」
真理「けっ!」
由衣「もう最悪ぅ!」
香織「まあ・・こういう嫌がらせで私を辞めさせたかったのかもな?」
真理「ありえるなあ・・小さい男だよ。」
由衣「けど・・課長とふたりっきりじゃなくてよかったね。」
香織「ギョッ!とんでもないこと言うなよ!」
真理「ははあ、もしふたりで資材チェックだったら地獄だったな。」
香織「・・もしそうだったら・・野しっこの前に舌をかみ切るよ。」
真理「そうだよな。」
由衣「うん、私でもそうするよ。」
香織「ブルル・・考えただけでも寒気がする!」
真理「ようし、オイラが暖めてやるよ。」
由衣「私も〜!」
香織「わっ、ばかやめろーっ!」

真理と由衣が一斉に香織のベッドに潜り込み、背中といわず胸といわずまさぐりだした。
周囲の部屋から苦情が出るのではと思えるほどにぎやかな、娘たちの夜がふけていった。

 短大入学後、小原由衣は希美とすぐに親しくなった。
しかし真理も香織も、それぞれ別の友達がいて、顔を合わせることはあっても親しくはなかった。
それが実務実習の班分けで同じグループになったことで、今の関係ができあがった。
香織ははじめこのグループをいやがっていた。
145〜6センチの3人と、170センチの香織である。
あまりにも香織が目立ちすぎ、また由衣や希美の幼さが鼻につき、ついついぶっきらぼうになっていた。
しかし行動をともにすることが続くうち、徐々にうち解けていくと、いつの間にか周りがうらやむほどの仲良しグループへと変貌していった。
 そして・・
もっとも幼さが強かった希美が妊娠し結婚。
ついで由衣も入籍。
真理は一悶着あったとはいえ、今は新しい男性といい関係を保ち、これから先の希望に胸をふくらませている。
そしてもっとも成長したのが香織で、おそらくは相当ダメージを受けていたであろう心の傷を、笑いながら話せるまでになっていた。
 知らない者同士が大学で出会い、いつの間にか友情を深め、そしてそれぞれが違う道を歩み出し、又こうして再会して、それぞれの道に分かれていく。
香織も真理も由衣も、そして希美も、新しい出航(たびだち)の1ページを刻んでいくのであった。

由衣「ねえ、私の結婚式にも来てよね。」
真理「いつするんだよ?」
由衣「んと・・まだ決めてない・・」
真理「もう面倒だからするなよ。」
由衣「ひどいなあ、絶対にするよぉ!」
香織「ああ、また集まれるからいつでもいいよ。」
由衣「わ〜う、やっぱりかおりんは大人だ〜!」


おわり



 あとがき

 これはすべて7月18日に起こった出来事を書いたものです。
あれからずいぶん時間が過ぎ、始めに描いていた構想が少しずつずれてきたりして、正直途中で行き詰まったりもしましたけど、どうにかまとめることができました。
好きなように書き殴ってしまい、読んでくださる皆様には、あんまりおもしろくない内容になってしまった事をお詫びいたします。

 これまで「おしがま」というテーマで、実生活を通しての話しを進めてきましたので、いずれ「チョビ」が「小原由衣」が私であると知られてしまうであろうと言うことは覚悟していました。
その通り、典子さんと真理や香織にばれました。(笑)
でも、どの人たちも色眼鏡で見ることなく、それなりにチョビのことに理解を示してくれ、とてもうれしく思っています。
 このところ生活環境が代わって、自分はともかく、まわりで「おしがま」のお話を聞くことが減ってきました。
創作するほど頭もよくないので、次の作品ができるかどうかわかりませんけれど、自分なりにこれからも「おしがま」と仲良くやっていこうと思っています。(笑)

 2004年、つたない私の小説風お話におつきあいくださった皆様、本当にありがとうございました。_(._.)_


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