それぞれの出航(たびだち)2




 香織と真理がホテルのフロントでキーを受け取っている。
由衣はその死角にあるエレベーターの前で待っていた。
しかし由衣は落ち着かない。
泊まり客でないことがバレはしないかと言うことと、真理が「チョビ」と呼んだことが気になっていた。
(真理はもう私のこと知っているんだ・・・)
しかし真理はあれ以後、いっこうにそのことを口にしなかった。
 部屋に入ると、香織も真理も同時に服を脱ぎだし、Tシャツとジャージ姿になった。
由衣は着替えを用意していないので、ドレススーツのままソファーに腰を下ろし、カーテン越しにぼんやりと夜景を眺めていた。

香織「そういえば真理、お前また男を変えたんだって?」
真理「お前なあ、人聞きの悪い言い方すんなよ!」
香織「前の男はたしか・・戸倉圭吾とか言ったよな?」
真理「ああ・・もう顔も見たくないよ!」
香織「うまくいってたんじゃないのか?」
真理「まあな、ひとつのクセだけ除けばな。」
由衣「クセ?」
真理「・・・ちょっと変態っぽかったんだ・・あいつ・・」
香織「SMとかか?」
真理「いや・・そういうのじゃないんだけどさ・・、なんていうか・・」

真理は言いたくなさそうである。
香織もそれを察して、あえてそれ以上の話をしなかった。
 やがて話題は、香織が連絡を絶って雲隠れしたわけに移っていった。
しかし香織もまた、あまり語りたくない様子である。
順調に交際が進み、入籍までしている由衣は、ふたりに気を遣って何も口に出来なかった。
 しばらく沈黙があって、立ち上がった香織が、冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら口を開いた。

香織「そう言えばさっき・・ちょび・・とかなんとか・・何のことだ?」
由衣「(来たあっ!)」
真理「ああ・・小原由衣さまの事だよ。」
香織「ん?なんで?」
由衣「・・・」
香織「ちょびって・・なにかのペンネームか?」
真理「知らないのか?、こいつはもう大先生だぜ!」
香織「大先生?何の?」
真理「小説家の先生さ!」
香織「小説!!由衣・・どこかに載ったのか?」
由衣「・・・・・」
真理「ああ、いっぱい作品出してるぞ。短編が多いけどな!」
香織「知らなかったなあ。どんな小説書いてるんだ?」
由衣「・・・・・」
真理「実体験小説・・っていうのかなあ・・・」
香織「そりゃすごいや。雑誌に載せてるのか?」
真理「インターネットのホームページだよ。オイラたちも書かれてるぞ!」
香織「へぇえ、どんな風にさ?」
真理「熊本旅行とかさ、去年の秋の同窓会とか・・」
香織「はあ?・・小説にするような出来事なんてあったか?」
真理「ののなんか中学校の頃から載ってるもんな。」
香織「へぇえ、どんなこと書いてるんだ?」
真理「へへ・・しっこ!」
香織「は?」
由衣「・・・」
真理「変わった小説でさ、しっこのことを取り上げて書いてるんだよ。」
香織「はあ!?なんだそれ?エッチ小説か由衣??」
由衣「・・・」
真理「いや・・そう言うわけでもないようだぞ。」
香織「ああ?、よくわからないなあ、説明しろ由衣!!」

こんな日がいつかは来ると、由衣はある程度覚悟していた。
真理にしっかりと知られている以上、今更何も隠すことはない。
由衣は一度大きく深呼吸してから、ゆっくりとソファーから立ち上がり、香織と向かい合うようにベッドに腰を下ろし、差し出された缶ビールを受け取った。
しかしいざ話そうと想っても、何からどう話していいのか迷ってしまい、缶ビールを握ったままうつむいてしまった。
「なんか・・言いにくいみたいだな?」
香織が言うと、
「まあそうかも知れないな。内容が内容だし・・」
真理が由衣をフォローするかのように言った。

真理「かおり、お前・・しっこ我慢するの好きか?」
香織「はあ?なんだよ急に?」
真理「由衣はさ、しっこの我慢が好きなのさ!」
香織「・・・ああ、そういえばよく我慢してる時があったよな。」
真理「そういうクセっていうか・・そういう事を書いてるんだよ。」
香織「おしっこを我慢する・・ことをか?」
真理「ああ。そういう事が好きな女の子がさ、けっこう集まるHPにな。」
香織「へぇえ、そういう趣味・・っていうのかな、そんなのがあるんだ!?」
真理「由衣はけっこう自分のことを赤裸々に書いてるぜ。」
香織「ふぅん・・で、私たちはどうつながるんだ?」
真理「かおりは・・高校の時のさ、連れの部屋でしっこ漏らした時の事!」
香織「・・・・ああっ!!」
真理「思い出したか?」
香織「あの時・・いろいろ由衣が聞いてきたのは・・ネタ探しだったのか?」
真理「そう言うこと。けど・・うまく書けてたぞ!」
香織「うまく・・って、どんな風にさ?」
真理「かいつまんで話しただけなのにさ、しっかりと肉付けされてさ・・」
香織「・・?」
真理「まるで由衣が実況中継してるみたいに書いてあったぞ。」
香織「んと・・名前も出してるのか?」
真理「へっへ・・近い名前でな!」
香織「・・・見てみたいな・・」
真理「そうか、見てみたいか!?」
香織「そりゃあ・・気になるよ。」
真理「そうこなくっちゃ。待ってろ!」

真理は香織がそう反応するのを予測していたのか、そのために用意してきたのか、バッグからノートパソコンを取り出し、FOMAカードを取り付けて立ち上げる準備を始めた。
由衣はその光景を眺めながら、まるで他人事のように心が落ち着いて来た。
少なくとも真理は怒っていない。
そう思えた安心感が、不安でいっぱいになっていた心を晴らしているのかも知れない。
手にした缶ビールを一気にあおる由衣。
 やがてパソコンがインターネットにつながった様子で、真理と香織は由衣に背中を向け、小さな画面をのぞき込んでいる。
「えっと・・これこれ、ここが由衣の活躍するHPだ!」
真理がお気に入りに入れてあったページを開いた。
「水風船・・ああっ、水風船って膀胱の事か、由衣?」
香織がにこやかに笑いながら振り帰った。
由衣はコックリとうなずいて、残りのビールを口にした。
「ほらほら、ここにチョビって小説のコーナーあるだろ。これだよ!」
真理がページを進めていく。
「ほお・・いっぱいあるじゃないか!私はどれに出てるんだ?」
香織は興味津々と言った口調で身を乗り出した。
「まあ、まずは『卒業旅行』から読めよ!」
真理はそう勧め、香織の方へ画面を向けた。
そして由衣の隣りに座り直して缶ビールを手にした。
「あっはっは・・そういえばこんなことしてたなあ・・」
香織は画面を見入ったまま、由衣と真理に話しかけるようにしゃべっていた。
 心は落ち着いていた由衣であるが、やはり場が持たない。
何をしていいかわからず、また缶ビールを取り出して飲み出した。
 やがて読み終わった香織が、
「けっこうよく書けているじゃないか。つぎは?」
と、想ったよりも好意的に言って振り向いた。
しかし由衣はすぐに反応出来ずにいた。
「次はさ・・記憶に新しい去年の秋だよ。」
真理が再びPCを操作して『それぞれの失敗』をクリックした。
「ああ・・神楽坂行ったなあ・・はは・・ののがトイレって騒いでたなあ。」
「へえ・・ののの奴・・ふーん、そうなんだ・・」
「おいおい真理っぺ、お前野ションしたのかよー!」
「ええっ由衣っ、お前○○議員を開業医に変えて作ったのか!?」
「おいおい・・こんな恥ずかしいことを・・」
食い入るように画面を見つめながら、香織はしゃべり続けていた。
由衣はなにも答えられずにいたが、真理は時々「ははは・・」と、笑って答えていた。
そんな空気の中で、由衣は缶ビールを口にしながら不思議な気持になっていた。
(あれ・・なんだろう・・?なんかヘンだな・・・??)
心は落ち着いているものの、やはり由衣の思考回路はパニクっているようで、考えがまとまらない。
「おい、ついでにもっと読んでいいか?」
香織が更に別のタイトルをクリックしようとしている。
「ああいいけど・・通信料・・お前がもてよ!」
真理はそう言い返して、由衣の顔をのぞき込んだ。
その顔は、まるで勝ち誇ったような誇らしげな表情であった。
由衣は目を合わせることが出来ない。
「由衣、その恰好じゃ窮屈だろ。オイラのシャツ着てろよ。」
真理はそう言いながら、予備に持ってきていたTシャツと短パンを由衣に差し出した。
「あ、いいの。ありがとう!」
確かにスーツ姿では窮屈であった。
由衣は立ち上がると、真理に背中を向けて着替えだした。
(トイレ行きたいなあ・・)
立ち上がったことで、由衣は尿意を感じた。
そう言えば二次会の会場を出る時、軽い尿意があったことを思い出した。
そこへもってきて、すでに缶ビールを2本飲んでいる。
(けど・・なんか行きにくい空気だなあ・・・)
心は落ち着いているとはいっても、今の由衣が置かれている環境は、極端に言えば針のむしろの上にいるようなものだ。
(真理っぺがホテルに泊まれって言ったのは・・このためだったんだ!)
由衣は改めてそう感じていた。
しかし、もし自分がいない環境で、真理と香織が「チョビ」について話していたら・・・もっと辛い気持になっていたかも知れない。
由衣はそう想って、むしろ真理に対して感謝の気持ちすら感じていた。
(けど・・おしっこ行きたいなあ・・・)

 『のぞみちゃんシリーズ』を読み終わった香織が言った。
「ふうん・・なんとなく由衣の言わんとする事・・わかってきたぞ。」
その表情は穏やかそうであった。
「わかるって・・かおりもしっこ我慢が好きなのか?」
真理が興味深げに聞き返す。
「いやあ・・好きっていう事はないけどさ、気持はわかるよ。」
いったんPCの接続を切りながら香織が言う。
「どうわかるんだい?」
真理はなおも聞き返す。
しかしその口調は、議論をしようと言う感じではなく、相手の気持ちを探ろうとしているかのような、あるいは同意を求めているかのような口調であった。

香織「行きたくても行けない状況ってさ、けっこうあるだろ?」
真理「ああ、仕事中とか車で移動中とかな。」
香織「けっこうせっぱ詰まってきたときってさ、ハラハラしないか?」
真理「状況によるけど・・まあ・・あるわな!」
香織「由衣はさ、そう言う状況にある自分が好きなんだよ。」
真理「ん?」
香織「ある意味、悲劇のヒロインを自分で演じていると言うか・・・」
真理「ヒロイン!?」
香織「そういう状況の自分に酔っているというか・・・。」
由衣「・・・」
真理「なるへそ・・自分に酔ってるのか・・。」
香織「ある種のマゾヒストかも知れない。」
真理「そうなのか由衣?」
由衣「・・・そんなの・・わかんないよ・・」
香織「性癖って言えるのかどうかだけど、女の子に多いんじゃないか?」
真理「そうなのか?」
香織「真理も小さい頃さ、わざとトイレ我慢したことなかったか?」
真理「ん・・あったと想う。」
香織「理由もなくさ・・なんかそう言うことしてたよな。」
真理「言われてみれば・・そうだったかな?」
香織「たぶん未発達な性的快感を感じてたんだろうと想うよ。」
真理「まあ・・わかるような・・・」
香織「で、由衣なんかは、その時の感覚を持ったまま成長した。」
由衣「・・・」
香織「どこでどう分かれていくのか知らないけど、そうなんじゃないかな?」
真理「なるほどなあ・・・。」
香織「で由衣、実際お前はどうなんだ?」
由衣「どうって・・」
香織「おしがま・・だったっけ?、それとエッチな気持と結びつくんだろ?」
由衣「いっつもじゃあないよ〜!」
香織「当たり前だ。」
由衣「でも・・そう言うとき・・・ある。」
香織「だよな。ののにもそう教えているようだもんな。」

基礎教養科課程で心理学を専攻していただけに、香織は細かく由衣の事を分析していった。
由衣は心の中を覗かれているような恥ずかしさと同時に、軽蔑されるのではないかと想っていた不安が、予想に反して同情的な展開になっていることに安堵感を覚えていた。

香織「だれだってある種のマゾ的な要素を持ってると思うんだ。」
真理「うん、よくいわれるよな。」
香織「由衣なんかは、それがおしがま・・だったけ?、それに出てるんだよ。」
真理「じゃあ香織はしっこ我慢が気持いいと想ったことないのかよ?」
香織「うーん・・私は・・我慢中よりも出すときの方かな?」
真理「そっか・・」
香織「あれ真理っぺ、お前は由衣の部類か?」
真理「いやあ・・オイラはなあ・・」
香織「そういえば真理っぺ、チョビのこと・・由衣から聞いたのか?」
真理「あ・・いや・・」
香織「ん?じゃあどうやってこのHP見つけたんだ?」
真理「ああ・・それはその・・・」

元気な真理が口ごもっている。
由衣はそこで気がついた。
先程から感じていた不思議な気持。それは、なぜ真理がチョビという存在を知って、このような展開になっていったのであろうかと言うことであった。
(そうだ、真理っぺはどうして知ったんだろう?)
今更ながら、由衣はそう想った。
 その不思議な気持が晴れた途端、由衣の膀胱が危険信号を発した。
(やばっ、トイレ行こう!)
由衣はそう想って、そっとベッドから立ち上がった。
「おい由衣、どこ行くんだ?」
香織が呼び止めた。
「あの・・トイレ!」
そう答えた由衣に、思いも寄らない言葉が返ってきた。
「バカッ、今から真理ッペが事情を説明するんだぞ。座って聞きな!」
きつい口調ではないが、香織の言葉は由衣に響いた。
「え・・だって行きたいもん・・」
甘えるように言う由衣に、
「ダメダメ!、真理っぺの話がすむまで行かせない!」
香織はそう言いながら立ち上がり、長いストロークをのばして由衣を捕まえると、自分の方に引き寄せて膝の上に由衣を座らせた。
「かおりんっ!?」
由衣が驚いた声を上げても、香織はお構いなしに由衣を後ろから羽交い締めにした。
香織の腕で由衣の胸が圧迫されると、それに反応するかのように尿意はいっそうきつくなった。
「かおりん・・トイレ行きたいよ・・」
せいいっぱい首を回し、由衣はそう訴えた。
香織はそれには答えず、
「さあ真理っぺ。由衣がおしっこ行きたいってさ。早く説明しなよ!」
真理はポカンと口を開けている。
「かおり・・お前・・ちょっと変わったな!」
そして出た言葉がこれであった。
「まあ・・いろいろあったからさ。心境の変化だよ。」
開き直りではないが、香織はしっかりと言い返していた。
「ふうん・・何があったんだ?雲隠れと関係あるのか?」
下から見上げるように聞く真理。
「おいおい、質問しているのは私の方だよ。」
香織は笑いながら言った。
 元々軽い尿意があった由衣は、350CCの缶ビールを2本も飲んだことで、その膀胱の許容量を超えかかっている。
体の大きな香織の膝の上に座らされていることで、足は宙に浮き、力を入れることも出来ない。
短パンから伸びた足にエアコンの冷気が当たり、鳥肌が立ちだした。
「じゃあ・・オイラが話したら・・お前もしゃべるか?」
真理が香織に交換条件を出す。
「まあな・・・」
香織はゆっくりとした口調で返した。
「どっちでもいいから早くしゃべってよ〜、おしっこしたいよ〜!」
由衣は香織の膝の上で体をくねらせて叫んでいた。


つづく
 

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