朋美の場合(1)




 「木下朋美、20歳です。よろしくお願いします。」
社会人第一歩の挨拶をしたのがつい昨日のように思える、穏やかな初夏の午後であった。
マスコミ関係の専門学校を出た朋美は、この会社の広報部をねらっていたが、配属が総務部総務課に決まったことでとまどっていた。
(なんか地味ぃ・・・)
それでも、採用通知が来たのはここだけである。
近い将来、配置換えがあることを期待して仕事に臨む毎日であった。
 窓からはいる風が心地よく、出勤簿のチェック作業をしている朋美を睡魔が襲っていた。
眠気を覚まそうと、いすに座ったままで伸びをし、深呼吸してから冷めたコーヒーを飲み干した。
周りの人たちも眠いのか、会話する者もなく、BGMだけが静かに流れるけだるい午後のオフィスであった。
まぶたが重くなるにつれ、朋美はなぜか新人研修会の事が思い出されて、ぼんやりと天井を見ていた。

 入社2日目から、系列会社の新人約40人と3日間泊まり込みの研修が、会社の持つ山荘であった。
朝9時に会社に集合し、マイクロバス2台に分乗して向かったが、男女半々ぐらいの新人ばかりが乗り合わせている車内は、しゃべる者もなくお通夜のように静かであった。

「トイレ休憩の必要な人はいますか?」
途中で世話係の男性が前の方から皆に尋ねた。
渋滞がひどく、所定の時間に遅れそうなので、希望が無ければこのまま走るというものであった。
朋美はこのとき少し尿意を感じており、念のために休憩してほしかったが、周りの誰もが意思表示しなかったのと、世話係が男性ということで恥ずかしくて言い出せなかった。
(あとのふたり・・あちらのバスなのかなあ・・?)
バスに乗り込むとき、同期で入社した女の子2人とはぐれてしまい、朋美は知らない男の横に座っていた。
せめて同期の子たちが居てくれたら、休憩してほしいと言い出せたかもしれない。
(あちらのバスも休憩しないのかなあ・・・?)
交差点を曲がるときに見える後続バスをぼんやり見ながら、
(まだ大丈夫!)
自分に言い聞かせている朋美であった。

 更に1時間。ようやくバスは渋滞を抜け、今度は山道をウネウネと登っていた。
(まだかなあ、トイレ行きたい!!)
朋美に焦りが出てきた。
隣の席に座る男が、カーブを曲がるたびに寄りかかってきて、その重みが膀胱を刺激して気が気ではない。
到着時間を聞かされていないことが不安でもあった。。
(まだかなあ・・・あとどれぐらいかなあ・・・?)

 更に30分ほど走って、ようやくバスは目的地の山荘に到着した。
山荘といっても鉄筋3階建ての大きな建物である。
系列ホテルの所有する施設で、中にはアスレチックジムなどもあり、各企業の研修やゼミ、保養施設として使われている。
(よかった、間にあったっ!)
朋美はホッとしたが、みな大きな荷物を抱えているので、狭いバスの通路があふれかえり、なかなか進まない。
後ろの方に座っていた朋美が降りたのは、到着してから5分後だった。
しかし、バスを降りるとロビーに集合させられた。
(えっ、やだあ!!!)
早くトイレに行きたい朋美は、館長の話や日程、注意事項などを聞かされて、更に我慢を強いられてしまった。
(もお、早く終わってよっ。トイレしたいぃっ)
体をくねらせて、足を小刻みにすりあわせている朋美であった。
(トイレ行きたい人、ほかにいないのかなあ・・・?)
落ち着きがない朋美は、共犯者を捜し求めていた。

 部屋割りが発表され、2名ずつの割り振りになった。
解散と同時に朋美は大きな荷物を抱えて指定された部屋に走った。
部屋は幸い1階で、ロビーからそう遠くないところにあった。
が、ドアはロックされたままである。
(えっ、なんで!?)
何度もノブをガチャガチャしてみたが開かない。
(なんでよぉ!)
ふと見ると、他の部屋の人たちはキーを持っている。
(えっ、キー!!)
そういえば各部屋のキーを受け取ってからというようなことを言われていた。
膀胱が悲鳴をあげて、今にも破裂しそうなほどふくらませていた朋美は、話を聞いていなかった。
(ああ、どうしよう・・・)
緊張の糸が切れかかった朋美を排尿感が襲い、思わずドアのノブを握ったまましゃがみ込んだそのと時、
「あのぉ、木下さん・・でしたよね?」
オドオドしたような感じの女の子が、体ほどある大きな荷物を抱えてこちらに歩いてきた。
同期入社の小原由衣であった。
「あのぉ、キーもらってきました。あの・・」
おっとりとしゃべる由衣。
「いいから早く開けてっ!」
怒鳴るように言う朋美の言葉に、由衣はおどろいて、
「ご・・ごめんなさい・・」
と謝りながらドアを開けた。
「私・・ごめん、ちょっと!!」
朋美は由衣を押しのけるように部屋に入ると、ベッドの上に荷物を放り投げ、ジーンズのホックをはずしながらバスルームに駆け込んだ。
ポカンと見ている由衣。
すぐさま便器にたたきつけるような朋美の激しい放尿音が聞こえてきた。
追いかけるように流す水の音。
由衣はそっとドアを閉めると、奥のベッドに荷物を降ろした。
ツインルームの窓の外は、山桜が七分咲きで遅い春を告げていた。

「ごめんねえ大声出したりして。私、ずっと我慢しててさ・・・」
朋美がバスルームからが出てきて由衣に謝った。
「あ、いいえ・・・」
由衣はまだオドオドしたような仕草でいた。
「あー、たしか小原さんだったよねえ。」
「あ、はい。」
「別のバスだったの?」
「あ、いえ・・同じ・・」
「ええ、どこに座ってた?」
「あ、一番前の・・・」
「あはあ、見えなかったわ。」
「はあ・・・」
「もうひとりの・・えっと、横山さんは?」
「私と一緒でした。」
「そう・・部屋が分かれてかわいそうだね。」
「そうですね・・」
「18歳?」
「あ、いえ・・20歳です・・」
「えっ なんだ同い年じゃん!」
「あ・・はい。」
「じゃあさ、もうその敬語でしゃべるのやめなよ!」
「・・はい。」
「ほらまた!」
「はい・・」
「ははは・・・」
「・・・」
朋美は同期で入社した由衣を、このときまで年下だと思いこんでいた。

 ジャージに着替えてダイニングルームに集まり、昼食を摂った直後から、長く辛い研修が始まった。
社会人心得の講義、会社概要の講義、自己紹介、挨拶や電話応対の接遇訓練、発声練習、心理学者を交えたフリートークとは名ばかりのディベート、意気込みの発表、ディスカッション、人事部長の総括・・・
おまけに毎日早朝マラソンまでもが組まれていた。
役に立つのかどうか、誰も文句を言わずにメニューをこなしていた。
 朋美は行動を共する由衣のことを、はじめノロマでかわいこぶった子だと思っていた。
それでも3日間、同じ部屋で生活していくうちに、慣れてくるとけっこうよくしゃべり、おもしろい子であることがわかって、いつしか親しみを持つようになっていった。

 研修最後の夕食は、ダイニングのテラスでバーベキューであった。
それまで禁止されていたビール類も出され、男性からは歓喜の声が上がっていたが、明日も最後の早朝マラソンがあると聞かされてブーイングに変わっていた。
研修も3日目となると、うち解け合って和やかな雰囲気になっていた。
 朋美はそこそこの美形である。
目鼻立ちがクッキリし、スラッとした体型にストレートのロングヘア。
胸も形よくふくらみ、研修に来ている男性の目を奪っているようで、なにかと声をかけられていた。
今現在つきあっている男性がいないというのが信じられないほどであった。
そんな朋美が、由衣たちとバーベキューの給仕をしていると、
「木下くんだね?」
と、スーツ姿の男性が声を掛けてきた。
見覚えのある顔。
「あ・・村田先輩!」
「やっぱり君か。」
高校のテニスクラブの先輩、村田俊幸であった。
「先輩、どうしてここに!?」
「いや、僕は世話係でね、今日来たところだ。」
「え、先輩もここの社員だったんですか?」
「そうだよ。ホテル事業部の営業にいるよ。」
「うっそぉ、なんかうれしい!」
「はは、3年ぶりかなあ。」
「はい、もう私・・・うれしいなあ!」
「そのジャージ、高校の時のだね。」
「はい、買うのもったいないし・・・」
「そうだな、はは・・・」
「わあ、先輩、会えてうれしいです!」
「よし、再会を祝して乾杯!」
「乾杯!」
朋美は一気にビールを飲み干し、村田に注いだり注がれたりして、辛かった研修の反動もあってか、高校時代の思い出話をまくし立てるように話し続けていた。
 山の中の4月はかなり寒い。
しかし朋美の顔はコンロの炎に映えて赤く染まっていた。
 はじめは外で食べていた面々も、寒さに堪えてダイニングの方に移動していき、コンロの周辺は料理を取りに来る者だけとなっていた。
由衣も同期の横山という子とダイニングの方に移動していた。
それでも朋美は、給仕をしながら村田と夢中で話し続けていた。
 やがて料理が無くなり、ビールも底をついたのであろうか、次第に人が減り、テラス周辺は静かになり、山荘の従業員が後かたづけを始めだした。
由衣が何か言いたそうにやって来てモジモジしている。
朋美と村田の会話に割って入れないようであった。
「ん?、どうした?」
気づいた朋美が尋ねると、
「あの・・部屋のカギ・・」
「ああ、ごめん、私が持っていたんだったね。」
朋美はジャージのポケットからキーを取り出して由衣に渡した。
「先に帰ってて、私もう少し・・・」
「うん。」
由衣はニコッと笑ってスキップするように館内に消えていった。
「あの子ちっちゃいなあ。」
村田が由衣の後ろ姿を追いながらつぶやいた。
「本人は150って言ってますけど・・・」
「はは、四捨五入してるんだろう!」
「たぶん!」
「男でも168センチぐらいだと170って言うからね。」
「へえ・・」
「走り方が子供みたいだな。」
「けっこうおもしろい子ですよ。」
「ふうん・・それより君、テニスはまだやってるの?」
「いいえ、最近は・・・」
「うん、だったら会社のサークルに入るといい。」
「えっ、テニスサークルあるんですか?」
「あるよ。ホテルのコートと、ここの裏手のコートが使える。」
「え、ここにもコートあるんだ!?」
「なんだ、知らなかったのか?」
「はい。」
「マラソンで通らなかったか?」
「はい。」
「よし、見せてあげる。立派なコートだよ。」
村田はそういうと立ち上がって朋美を手招きした。
 コンロの火が消えた今、Tシャツの上にジャージだけの朋美はさすがに寒さを感じており、早く室内に入りたかった。
村田が声をかけてきた頃から感じていた尿意もあった。
由衣に部屋のキーを渡した時、尿意はかなり強くなっていたので、いったん戻ろうかとも思ったが、村田との再会がうれしく、トイレを済ませてからまた会うのも気が引けた朋美は、もう少し我慢しようと思っていた。
そんな矢先にコートを見に行こうと言われてとまどってしまった。
しかしせっかく先輩が誘っているのに、トイレに行きたいからと言って断るほどの勇気は持っていないし恥ずかしい。
不安を感じながら朋美は後について行った。
(おしっこ・・大丈夫かなあ・・・?)

 建物からの光と月明かりだけを頼りに、木立に囲まれた山荘の裏手の狭い小道を、村田のあとについて上っていった。
そこは遊歩道のように整備されていて、所々に照明があるようであったが、今は消されていた。
早朝マラソンは、いつも山荘から車道を下り、2キロほどを往復するものであったので、裏手に遊歩道があることは知らなかった。
 朋美は暗いところが苦手である。
先輩の誘いに乗ってついてきたが、こんなに暗いとは思っていなかった。
暗い恐怖感と寒さと、そのあおりで更に強くなってきた尿意。
自然と体が震えてしまう。
「寒いか?」
「はい。」
「悪かったな、戻ろうか?」
「あ、いいえ・・・」
断ってから朋美は後悔した。
(やっぱり戻るって言えばよかった。)
ジャージの上からお腹を触ってみると、かなり張っているのがわかる。
おそるおそる押さえてみると、きつい排尿感に襲われ、自分が思っていたよりも強い尿意であることを再認識させられた。
(え・・ちょっとやばい・・かも?)
意識が尿意の方に集中していたとき、村田がそっと朋美の肩に手を回して抱き寄せるようにしてきた。
「!」
一瞬ビクッとする朋美。
「こうした方が寒くないだろ?」
「あ、はい・・」
確かに村田のぬくもりは伝わってくるが、緊張したために尿意が一気に押し寄せてきた。
「つぅ・・」
思わず声が漏れてしまってあわてる朋美であったが、村田は気づかずに、
「ほら見えた。そこだよ!」
といって、木立が少し開けた前方を指さした。
そこには二面のコートが薄暗くされた照明に映し出されていた。
周りを木立に囲まれて、そこだけが別世界のように浮き上がって見えた。
わずかだが観覧席のようなベンチもあるようだ。
「わあステキ!」
朋美は一瞬尿意を忘れて金網に駆け寄った。
「月に一回、皆ここで練習してるんだ。」
「いいですねえ。私もやりたい。」
「シャワーとか食事は山荘でできるしね。」
「誰でも入れるんですか?」
「ああ、本部の営業一課の・・福谷という人に申し込んだらいいよ。」
「はい、絶対入ります。」
「会費がけっこう高いけど・・」
「え、いくらぐらいですか?」
「月1万5千円。」
「ああ、それならなんとか・・・」
「空いていたらホテルのコートも使えるからね。」
「はい!」
「ここまではホテルのマイクロバスで送迎してもらえる。」
「わあ、サイコーッ!」

山の冷たい風が吹き付け、木立が急にざわめいた。
そのざわめきが恐怖にも感じられ、朋美の膀胱が収縮しようとした。
「あっ!」
あわてた朋美の全身に力が入る。
金網にしがみつくようにして体を曲げた。
「どうした?」
村田がのぞき込むようにして言った。
「あの・・先輩・・帰りましょ。寒くて・・・」
「そうだな、悪かった、連れだして。」
「あ、いいえそんな・・」
村田が再び朋美の肩に手を回してきた。
抱き寄せ方が先ほどよりも強い。
その手が腰の方に降りてきた。
「!!」
朋美は驚いたが、今はそれどころではなかった。
パンパンに張った膀胱が、さらに収縮しようと朋美をいじめている。
しかも帰りは下り坂である。
一歩踏み出すたびに激しい振動が膀胱に響いて、顔をしかめる朋美。
風が強くなってきたようで、木立のざわめきもますます大きくなり、朋美の恐怖心をあおる。
「つっ・・・」
激しい排尿感の波が襲ってきて、朋美は立ち止まった。
(あ、やばっ、漏れちゃうっ!!)
村田の手から逃れると、その場にうずくまってしまった。
「おい、どうした?」
村田が心配そうに振り向いた。
「・・・」
朋美は言葉を返せない。
荒い呼吸をしながら必死で力を込め、波が収まるのを願った。
(だめだめだめだめ!!!)
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
女の子に生まれた以上、どうしてもトイレを我慢せざるを得ない時がある。
今がまさにその時であった。
寒さとビールと、木立のざわめきからくる恐怖が、朋美の緊張をピークまで高めていた。
「大丈夫か?」
再び村田が声をかけてきた。
かろうじて波を乗り越える事が出来た朋美は、
「はい・・ごめんなさい。」
と言って、村田の手を借りて立ち上がった。
「どうした?」
「はい・・小石で足をひねって・・」
朋美はとっさにウソをついた。
「歩けるか?」
「はい、なんとか・・」
「さ、つかまれ!」
「はい、すみません。」
先ほどは腰に回された手に憎悪感があったが、今はその手がありがたかった。
膀胱に伝わる衝撃が、その手の支えによって少しは和らいでいるように感じられていた。
「もうすぐそこだからな!」
「はい・・・」
下腹部に重い重力がかかり、小さな開口部をいじめる。
手で押さえたいが、暗いとは言ってもすぐそこには村田の目がある。
朋美は全身をこわばらせ、神経を一点に集中させてすり足状態でゆっくりと歩くことしかできなかった。
「足、大丈夫か?」
村田が何度か気を遣って聞いてきたが、朋美は、
「・・ん・・」
と、鼻から漏れるため息のような返事しか返せなかった。
 途中何度も強い排尿感がおそってきて、朋美は木陰に駆け込みたい衝動に駆られたときもあった。
しかしどうしても村田の前でそれはできない。
ましてティッシュも何も持っていない。
おまけにざわめいている木立の中に入ることは怖くて出来るはずもなかった。
(おしっこしたいっ)
(出ちゃったらどうしよう・・・?)
(わうっ・・つらい・・・)
(ああ・・もう出したい・・・)
(早く・・早くっ!)
朋美の頭の中は『早くしゃがみたい!』
そればかりであった。

 地獄のような苦しい尿意に耐えながら、ようやく山荘の玄関まで戻ってきたふたり。
明かりが落とされたロビーに入ると、
「いっ!!」
朋美は目を疑った。
隅の方にあるトイレが閉鎖されている。
研修生が夜遅くまでロビーにたむろしないようにという措置であった。
(やんっ最悪っ!)
叫びたい朋美。
「コーヒーでも飲むか?」
村田は朋美の腰に回していた手を離すと、自動販売機の方に歩きながら朋美に言った。
「あ、いえ・・私・・・部屋に・・」
柱に寄りかかるようにして立っていた朋美は、しどろもどろに答えた。
「そうか、じゃ!」
部屋まで送ろうと言う村田であった。
「あ、いえ、もう大丈夫です。」
朋美はそう言うと、部屋に通じる廊下へ飛び出した。
「お、おい、足、大丈夫か?」
後ろで村田の声がする。
「はいっ、ごめんなさい!」
それだけ叫ぶと、廊下に人影がないのをいいことに、朋美はジャージの上から股間をギュッと押さえ込むようにして小走りに走った。
「やばいっ、漏れる漏れる漏れるぅ!!!」
おそらく村田は後ろ姿を見ているであろう。
朋美の行動を見て、トイレを我慢していたことに気づかれたかもしれない。
しかし朋美はそれどころではなかった。
全神経を集中させ、必死で部屋の前まで走る。
(由衣がカギかけてたら・・・もう死ぬ!!!)
祈るような気持ちでドアノブを持った。
ロックはされていない。
(たすかったっ!)
勢いよくドアを押し込んで開けると、それを待っていたかのように、朋美の一点から液体がしみ出してきた。
(やばいっっっ!)
朋美は大急ぎでジャージと下着を膝の上までズりおろしながら、バスルームのドアを開けた。
「あっ」
「あっ」
そこには由衣が、今まさに排尿中であった。
「由衣ちゃんどいてっ!、早くっ!!」
「え、で、でも・・」
朋美は股間に手を当て、足ふみしながら叫んだ。
その手の奥からは、すでにあふれ出しているものがあり、朋美の手が濡れて光っているのが由衣にも見て取れた。
しかし由衣も今、まさに真っ最中であるために動けない。
2〜3回足ふみをした朋美は、
「あっあっ、もうだめっ!!!」
大声で叫ぶと同時にバスタブのふちに手をかけ、ヒラリと飛び越えるように中に入り、そのまましゃがみ込んだ。
その動作は一瞬のことであった。
ドンッと底に足が着く音と、シーーという、かすれたような排尿音がほぼ同時に聞こえ、バスタブの底にドロロロ・・とおしっこの当たる音が響いた。
「はああ・・・」
朋美が大きなため息を漏らす。
由衣はあっけにとられ、自分が排尿中であることも忘れて激しい音を響かせている朋美の姿に見とれていた。
朋美の足下に流れきらないおしっこが広がり、そこにビチャビチャと音を立てながら、後から後から排尿が続き、しぶきが飛び散った。
広がったおしっこでシューズは濡れてしまっているが、とっさにジャージのすそは引き上げていたので汚さずに済んだようだ。

やがて勢いが弱まり、少し落ち着いた朋美が由衣の方を見た。
二人の目があった。
「ごめんね。」
「ごめんね。」
また二人の声が重なった。
同時に笑い出すふたり。
「ロビーのトイレに行けばよかったのに・・・」
由衣が申し訳なさそうに言うと。
「もう閉まってた!」
朋美はため息をつきながら答えた。
「ごめんね・・」
由衣が申し訳なさそうに言った。
「別に、由衣ちゃんが謝ることないよ。」
そういいながら、朋美はバスタブのふちから由衣に向かって手を差し出した。
「?」
キョトンとしている由衣に、
「はやく、トイレットペーパーッ!」
「あ、ごめ〜ん!」
狭いバスルームの中に、二人の笑い声が響いていた。

*     *     *

 「木下さん、なにニヤニヤしてるの?」
主任に声を掛けられた朋美は、ふと我に返った。
ただいま仕事の真っ最中・・・のはず。
朋美はあわてて机の上の書類に目を移して、ペンを握りしめた。
横で由衣が笑っている。
朋美と由衣は、同じ総務課に配属されたのであった。
つい昨日のように思い出す、朋美の新人研修の日々であった。


つづく

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