典子のエピソード(7) 典子の手記1,




 社会人になって、それなりに人との出会いもあったりして、私は何人かの男性と出会うチャンスがあった。
だけど、ついつい別れた英樹と比べてしまい、そういう見方をしてしまうと、どの男性も小さく見えてしまって・・・続かなかった。
(もう恋なんていいや!)
そんな気持ちになったりもして、同性の友だちといる事の方に安らぎを感じるようになってしまった事もあった。
それほど英樹の存在が・・私には大きかった。
 そんな頃、英樹がアメリカで結婚して永住権を取得すると言うことを聞かされた。
ショックで泣き出すのではと、ハラハラした目で私を見ていた彼の妹・理絵の顔が印象深かった。
私はなぜか冷静で、理絵に対して「おめでとうと伝えて!」と、明るく言えた。
きっと私は・・・区切りをつけたかったのだと自分で思う。
そして・・そのときになって・・初めて言えた言葉・・・
「お幸せに英樹。そして、ありがとう英樹!!」

 24歳になったばかりの10月、私は京都市に新しくオープンさせるハウジングセンターの開設スタッフに選ばれた。
某放送局の事業で、私が勤める会社がその制作担当だった。
 連日スタッフと一緒に現地に出向き、各住宅会社が設置する建物の進行を見守っていて、私はその中でF住建の担当だった。
しかしなぜかここは進行状況が遅い。
オープンに間に合うのかと、胃が痛くなる思いで作業を見ていた。
どうやら現場監督の永井修という人が、細かいことを言っては仕様を変更し、そのあおりで作業が遅れているようだった。
 ある日近くのファミレスでスタッフと昼食を摂っていると、その永井が私たちの隣の席にドッカと座り込んだ。
悠長にステーキなどを食べている。
私はついつい気が立ってしまって、彼の前に出向き、
「永井さん、工事、間に合うんですか!?」
と、やや突っかかっていくような口調で言った。
「ん、ああ。大丈夫です。」
彼は私の存在を確認すると、じゃまくさそうにそう言った。
「でも、かなり遅れていますよね。もう予定では・・」
「大丈夫!。徹夜してでも間に合わせます!!」
私が言い終わらないうちに、彼はそう言いながらステーキをムシャムシャとほおばっていた。
その不作法な食べ方が・・・私は気に入らなかった。

 案の定作業は大幅に遅れ、オープン3日前なのにF住建だけが夜になっても内装工事をやっていた。
私は作業が終わるまでつきあわなくてはならない。
解説事務所は責任者が施錠することになっているので、私では鍵を扱えないから、事務所を出なければならない。
つまり永井たちの現場で待つことになる。
事務服から私服に着替えて、私はF住建に向かった。
(早く終われよ。こっちだって帰りたいのに!)
いつ口に出してもおかしくないほど、私は苛立っていた。 (駅まで歩いて15分。電車と地下鉄で・・わっ帰ったら10時回るぞぉ!)
私はそんなことばかり考えていた。
「悪いね、つきあわせてしまって・・・」
永井がいつの間にか私の前に立っていた。
私は挨拶する気にもなれず、ブスっとしていると、
「そう恐い顔するなって。美人が台無しだ!」
永井が冗談っぽく言う。
そういう冗談は大嫌いな私。
よけいに腹が立ってくる。
「だけどさ、いい加減な仕事はしたくないからね。」
弁解めいた言葉が永井から出たが、それでも私は無視していた。
「展示住宅だからってごまかしではダメなんだよ。」 「・・・」
「実物と寸分も違わないものに仕上げないとね。」
「・・・」
「俺は自分の作った住宅に誇りを持ちたいし。」
「・・・」
「だから・・後少しだけ我慢してくれよ。」
案外この男はいい人なのかも知れない。
ガマガエルを踏みつぶしたような・・四角い顔。
ボテっとした体格。
27歳という年の割にはおじさん臭い容姿・・・
どれをとってみても、私の好みからはズレる存在だが・・・。
 8時すぎになってようやく作業が終わり、送っていこうかと言う声を無視して、私は駅に向かって走った。
(ああー、もう疲れるう!!)

 翌日になると敷地周辺の舗装工事が入り、いよいよ形ができあがってきた。
紅白の垂れ幕やイベント用の設営も仕上がり、新聞広告用のCF撮りも終わって、さあ明日の最終チェックを待って、いよいよあさってはオープン!!
意気揚々としていた私たちのところへ永井がやってきた。
いやな予感・・・
どうしても気に入らない箇所があるので、今日中に直したいという。
「はああ・・・」
私は思わず大きなため息をついた。
 それぞれのスタッフが明日に備えて片づけをし、用済みの機材などを積み込んで帰り支度をしているのを、私は暗い気持ちで見送っていた。
「悪いね下柳くん。あとは頼んだよ。」
主任が事務所の施錠をしながら私に言った。
「これって・・残表にならないんですよねえ?」
私の問いに主任は答えず、笑いながら車を走らせていった。
(ああ・・かわいそうなわたし・・・)
そう思いながらF住建の中に入ると、すでに展示用の家具か配置された室内は、想像以上にさわやかな仕上がりになっていた。
(あ・・なんかステキ!!)
リビングに置かれたソファーに腰を下ろすと、落ち着いた気分になれる。
部屋の色調が、間取りが、家具の配置が、なぜか心地よさを漂わせる。
(へーえ、言うだけのことはあるんだ・・)
奥の納戸で、永井が一人で壁紙を張り替えていた。
「なぜ張り替えているんですか?」
「おう。いやね、部屋の雰囲気に合わない壁紙だったんだよ。」
「でも・・ここって納戸でしょ?」
「設計上はね。でも納戸にするかどうかは住人が決める。」
「は?」
「他の用途で使うかも知れない。たとえばご主人の書斎とか・・」
「はあ・・」
「だからね、手抜きの壁紙ではダメなんだ!」
「はあ。」
こだわりと言えばそれまでだが、この男、けっこう芯が強い。
私はそう思った。
「他の人たちは?」
「いやあ・・これぐらいは俺一人で充分だからね。」
「はあ・・」
「いつも残業させていたからさ、今日は帰らせたよ。」
「そうなんですか。」
部下思いの面もあるようだ。
「あの、なにか手伝いましょうか?」
思ってもいない言葉が出てしまい、私は自分自身でとまどった。
「おう、じゃあそこにある俺のジャケットを取ってくれ。」
「はい。」
「で、ポケットから小銭入れを出して、」
「はあ?」
「缶コーヒーでも買ってきてくれよ。」
「ああ、はい。」
「君の分もね!」
「はい。」
私はなぜか素直にそういって部屋を出て行った。
 額ににじんだ汗を拭きながら、四角い顔で真剣に作業しているその姿が、なぜか新鮮に感じた私。
 わずか3畳のスペースの壁紙でも、寸分の狂いもないように慎重に作業している彼の側で、私はいつの間にか座り込んで話を聞いていた。
(この人、外見と違って・・ほんとに仕事に燃える人なんだ!)
展示住宅だからと言って妥協せず、完璧なものに仕上げようとしている姿勢に、私はいつの間にか惹かれるものを感じていた。

 まもなく終わるであろうその作業を見守っていた私は、そのころから実はかなり尿意を感じていた。
窓を開け放しての作業であるために、ストッキングを履いていない私の体は冷えていたのだと思う。
でもここは展示住宅だから・・トイレが使えない。
唯一上下水が整っていて、トイレがあるのは来客者の休憩所を兼ねた管理事務所だけだった。
でもそこは施錠されている。
昨日も少し我慢していて駅のトイレを使っていた私は
「まだ時間かかりますか?」
つい聞いてしまった。
「いやもう完成だ。あとは片づけるだけだよ。」
「そうですか。よかった・・・」
「悪いね、いつも遅くまで・・・。」
「あ、いいんです。それより・・」
「ん?」
「あ、いいえ。」
私はリビングに用意されている住宅案内のリーフレットなどの整理をしながら、尿意を紛らわそうとしていた。
 それから15分ほどして作業が終わり、点検を済ませて表に出ると、いつの間にか小雨が降り出していた。
(わっ、カサを持ってきてないのにっ!)
左手をかざして困った顔をしている私に、
「送っていくよ。」
永井が言った。
確かに私はありがたかった。
雨のこともあるが、駅まで歩くのは疲れるし、それに何よりもおしっこがしたくてたまらない。
言われるままに助手席に乗り込んだ。
深いシートに座ると、ややミニのタイトスカートがずり上がって、私の大腿部がきわどく露出してくる。
それを見て永井が
「きれいな脚だなあ・・・」
まるで独り言のように言った。
無視している私。
「えっと、下柳さんは・・どこまで帰るんだっけ?」
「・・長居公園のそばです。」
「なんだ。俺のうちのすぐそばだよ。」
「・・・」
「奇遇だなあ。俺は昭和町なんだ。」
「・・そうなんですか。」
「ついでだから家まで送るよ。」
「あ、いえっ・・」
「いいっていいって。雨も降ってるし。」
「いえ、駅までで結構ですから。」
「大丈夫。襲ったりしないから。」
「あ・・そうじゃなくてぇ・・」

「電車だと座って帰れないだろう。」 「あ・・でもその・・」
「お詫びにどこかでメシでもおごらせてくれ。」
「あ、はぁ・・」
私は困った。
駅のトイレに駆け込むことばかり考えていて、まさか家まで送ると言われる事など想像していなかったので、どう言って断ればいいのかわからなかった。
その間に永井は、駅とは逆の南方向に走らせていた。
きっと名神の京都南インターに向かうのだろう。
(あちゃー・・これは困ったなあ・・)
私がおしっこを我慢している事など知らない永井は、とにかくよくしゃべる。
車内で反響するぐらいの大きな声だ。
私はというと、ワイパーの動きを目で追いながら、グっと脚に力を入れて膝小僧をさすっていた。
 雨が降ってきたせいなのか、道は混んでいる。
午後7時を少し回った頃だった。
空腹で胃は空っぽなのに、その下にある膀胱はパンパンに膨れている。
そういえば最後のチェックや準備に追われていて、私は3時過ぎからトイレに行っていなかった。
事務所の施錠の時もバタバタしていて、トイレのことなど忘れていた。
(はぁ・・久しぶりのおしがまだぁ・・・)
車内はすぐに蒸し暑くなり、永井はエアコンを入れた。
その吹き出し口が、私の膝のすぐ前だ。
(やめてよ。これ以上体を冷やさないで!)
叫びたくなるような気持を堪え、私はとにかくトイレ休憩をしてもらう事ばかり考えていた。
(名神に乗るまでにトイレに行かないと・・・)
もし名神が渋滞していたら・・・そう思って焦っていた。
 よくしゃべる永井の言葉も耳に入らず、キョロキョロとあたりを気にしていると、
(あっ、名神が見えてきた。どうしよう・・)
このままでは困ったことになる。
そう思ってあわてた私が声を出す前に、永井がインターすぐそばのファミレスに車を入れた。
「ここでメシにしよう。」
「あ、はい。」
私は助かったと思い、思わず胸をなで下ろしていた。
「トイレに行きたいんだろ?」
「え?」
「はは・・図星かな?」
「・・わかってたんですか?」
「あ、まあね。なんとなく。」
「やだ恥ずかしい・・もうお。」
「はは・・いやね、俺もけっこう催しているからさ。」
「ああ、そうですよね、お互い様ですよね。」
「そう言うことだ。」

 そのファミレスでけっこう話が弾み、私はコーヒーのお代わりをしたりして、いつの間にかこの、ガマガエルを踏みつぶしたような四角い顔の男の話に引き込まれていた。
外見からは想像もつかないナイーブな面があったり、変なところでシャイだったり、あるいは身勝手だったり、スマートだった英樹と違い、あらゆる面でがさつで不作法で、それでいて何か暖かいものを感じる、そんな不思議な男の魔力のようなものを感じていた。
「おいおい、もう9時半を回ったぞ。」
話しながら永井が言って私はビックリした。
もう2時間以上も話し込んでいたようだ。
私たちはあわてるように車に戻った。
「すまん。ちょっと調子に乗って・・また遅くなってしまったな。」
「あ、いいえ。楽しかったです。」
「そうかい。そう言ってもらえるとうれしいよ。」
四角い顔が笑うと、なぜかかわいく見えた私。
 本降りの雨の中を名神に入り、豊中インターから阪神高速に入った。
名神はそれなりだったのに、こちらでは事故の後処理とかで渋滞している。
ノロノロと流れていく中でも、永井のおしゃべりは続いていて、私は退屈しなかった。
そして、引き込まれていく何かを感じながら思っていた。
(おつきあいしていきたい・・・)
ハウジングセンターがオープンすると、私はもう別の仕事に回る。
永井と顔を合わせるのは明日とあさっての2日だけだ。
「永井さん・・いま彼女とかは?」
思い切って聞いてみた。
「はは・・この風体だからなあ・・イナイ歴3年!!」
「・・そうですか。」
「君は?」
「え、私は・・・私もイナイ歴2年です。」
「へーえ、君のようなかわいい娘が!?」
「もうかわいいって言われる年でもないですよ。」
「えっと・・何歳だっけ?」
「永井さんより4歳年下です。」
「そっか。ん・・じゃあちょっと・・」
「?」
「いない者同士のよしみでさ、俺の餌食になってみない?」
「エジキ?」
「うん。試しにノってみなよ。」
「おかしな誘い方ですね。」
「はは・・まあその・・」
永井はけっこうシャイだから、きっとこういう言い回ししかできないのであろう。
そこがまたかわいく感じられて、私はその話に
「じゃあ試用期間を決めてノってみる!」
と答えていた。
「試用期間?」
「あは・・3ヶ月の試用期間・・」
「3ヶ月かい?」
「はい。ダメだったら途中で解約します!」
「おいおい、厳しいなあ!」
 そうしてお互いのプライベートのことや、持っている恋愛観、将来の夢なんかを話しているうちに、10時半になっていた。
文の里出口で阪神高速を降りると
「俺の所はね、次の信号を右に曲がったところだよ。」
永井が言った。
「お一人で住んでるんですか?」
「ああ。気ままな独身貴族だよ。」
「そうなんですか・・・」
 それから15分ほどで私の住むアパート近所に到着した。
まだ住処を教える気分にはなれないので、近くで降ろしてもらい、お礼を言って彼を見送った。
(ふぅ・・よくしゃべる人だなあ・・・)

 翌日は朝から大忙しだった。
最終チェックが終わると、関係者や来賓の内覧会があり、イベントの予行練習まであって、夕方までテンテコ舞いだった。
それでも無事に事は進み、来賓の方を近くの祝賀会場まで案内すると、ようやく私たちの任務も終わり、開設事務所でささやかな打ち上げを行った。
と言っても、明日のオープンセレモニーの事もあるので、コップ1杯ちょっとのビールだけだった。
 帰り支度をしていると、F住建の前で永井が一人ポツンと立っているのに気づいた。
(あ、ひょっとして永井さん・・待ってくれているのかな!)
そう思った私は着替えを済ませると、他のスタッフに断って永井の元に走った。
「いよいよ明日だなあ!」
うれしそうに微笑む彼の顔はますます四角くなり、目は完全になくなっていた。
 昨日よりもうち解けて、私からも話題を出すことが出来、楽しく名神を走っていると、スタッフの乗った車を追い越すことになって、横に並んだそのときに思い切り冷やかされてしまった。
けれどそれはイヤな気がせず、むしろ優越感にも似た気分になれた私。
「今日はまだ早いから、家の近所でメシにしよう。」
彼の言う言葉にうなづいていた。
 金曜日の夜なのに、名神も阪神高速もスムーズに流れていて、けっこう早い時間に文の里出口までたどり着いた。
「ちょっと飲みたいから、車を置いてから行こう。」
彼はそう言って自宅マンションの方へ向かった。
ここから彼のマンションまで10分ぐらい。
それから歩いてどれぐらいでお店に着くのかわからない。
「お店って・・遠いんですか?」
私はちょっと不安げに聞いていた。
実は・・けっこうおしっこがしたくなっていたのだ。
打ち上げで飲んだコップ1杯のビールが、この頃になって押し寄せてきていた。
「ん。いや、歩いて2〜3分の所にね、割烹料理のいい店があるんだ。」
「そうですか・・」
トータルあと15分ほどでおしっこできる。
そう思って、私は我慢していた。

 2〜3分と言ったのに、その店までは5〜6分以上歩かされた。
(もうお、いい加減なんだからぁ!)
素足に紺のハイソックス。ややミニのセミタイトスカートの私は、ちょっと風が寒い。
 そのお店は15ほどのカウンター席と、その奥にお座敷席が3テーブルある小さな所だった。
ちょうどお座敷席に空きがあってそこへ案内されると、すぐそばにあるトイレが目に入って、
「ちょっとお手洗いに・・」
靴を脱ぐ前にそう言って、私はそそくさとトイレに向かった。
男女共用の和式トイレは、幸いな事に誰も使っていなくて、私は大急ぎでドアを閉め、スカートをたくし上げながら1段上がり、下着をおろしながらしゃがみ込んだ。
同時ぐらいに飛び出していたおしっこは、すぐに勢いをつけて太い線になり、前の方の水たまりにたたきつけて大きな音を響かせてしまった。
あわてて水洗レバーをひねった私。
(わ、外に聞こえたかなあ・・)
水洗の流れが終わっても、私のおしっこはまだ出続けていた。
 席に戻るとビールの中ジョッキが2杯置かれていた。
「明日のオープンを祝して!」
「お疲れ様でした。」
ふたりで乾杯をし、お任せメニューが次々と運ばれてきて、私の箸もけっこう進んだ。
彼は・・豪快に食べる。 先日まで、確かにそのガサツな食べ方が気に入らなかった私であったのに、今は不思議なことに男らしさを感じて・・。
 初めて食べる馬刺しの味が忘れられない。
途中から焼酎のお湯割りを勧められ、話が弾んで居心地がよくなっていた私は、料理に合うと言ってかなりの量を飲んでいた。
 10時を回った頃、そろそろお開きにしようと言うことになった。
途中で1度トイレを利用していたけれど、ビールや焼酎を飲んでいた私は、この時もかなり強い尿意があって、お店を出る前にもう一度トイレに行こうと思って、先に入った人が出てくるのを待っていた。
 そんなとき、お客同士のけんかが始まった。
仕事上での言い合いがエスカレートして、お酒の勢いで取っ組み合いになり、ビール瓶で殴りかかろうとした同僚を止めに入った人が、転んでテーブルの角で頭を打ち付けて店の中が騒然となった。
それでも収まりがつかない酔っぱらいがコップや皿を投げつけたりして、私たちの席にまで飛んできて、空の杯が私の背中に当たった。
幸い割れたりしなくてよかったけれど、彼が恐い顔をして立ち上がりかけたので、私はあわてて彼を制して、
「出ましょう!」
と言った。
それでもまだ恐い顔をしている彼の腕をつかむと、ようやく気を取り直してくれて、まだ取っ組み合いをしている連中から私を守るようにしてそばをすり抜けると、
「マスター、今度払うよ!」
仲裁に入っているマスターにそう言って店を出た。
「すみません。迷惑かけました。」
背中越しにマスターの声が聞こえていた。
 歩き出した彼の腕に手を回し、
「さっき・・永井さん恐い顔してた・・」
そう言うと、
「いや・・すまん。ちょっとムカっとしてね。」
「永井さんまでけんかに加わったらどうしようかと思った。」
「いやあ、君にケガがなくてよかったけど・・」
「うん・・」
「他人に迷惑をかける奴はね、許せなくてさ・・」
「でも・・恐かったよ。」
「いやあ・・わるかった。」
彼はそう言って私に謝ったが、私を守ろうとしてくれていたことが正直言ってうれしかった。
私たちはそのまま腕を組んで、表通りの方向へと歩いていった。
 気持ちが落ち着いてくると、私の尿意がよみがえってきた。
(やばっ、トイレ行くの忘れていた・・)
いったん気になり出すと、とてつもなく大きな尿意となって、また私に襲いかかってきて、私は彼の腕に回した手に力を入れて、しがみつくように歩いていた。
けれど彼の大股な歩調に合わせると、膀胱が刺激されて辛い。
「あの・・もう少しゆっくり歩いてください。」
私は甘えるように言った。
「ああすまん。ついつい普段のクセで・・・・」
けっこう優しい口調で、彼は早足で歩くようになったいきさつなどを話し出した。
けれど私の頭の中は(おしっこしたい!)だらけになっていて、全然聞いていなかった。
(やばいよ。どこかトイレないかなあ?)
あたりをうかがってみるものの、コンビニらしき店も見あたらない。
「さて・・タクシーで送ろうか?」
彼がそう聞いてきたとき、私は迷った。
仮にすぐにタクシーに乗ったとして、家まで15分少々・・・
だけど先程から見ていても空車が走っている様子がなく、少し待つとなると・・あと20分以上かかりそうだ。
だめだ、そんなに我慢できない!
私はそう判断した。
(だけど・・どこで・・?)
お酒の勢いで膨らんだ膀胱は、もうピークになりかけている。
歩いていると少しは持ちこたえられるけど、信号待ちなどで立ち止まると、一気にあふれ出てきそうになっていた。
(我慢できない!!)
そう思った私は、
「あの・・永井さんのおうちに・・寄ってもいいですか?」
と言っていた。
そう、もうすぐそこに彼のマンションが見えていたのだ。
「ん?、俺んちに!?」
「あ、はい。」
「いやあ・・だけど・・」
「あの・・ちょっと休ませて・・ほしいんです。」
「ん、酔ったかい?」
「・・はい・・ちょっと・・」
「気分が悪いかい?」
「あ・・いえ・・そうじゃないけど・・ちょっと・・」
「いいけど・・散らかってるぞ。」
「・・そんなのいいです・・から・・」
「うん、じゃあお披露目するよ。」
「すみません・・」
まだつきあいだしたとは言えない関係なのに、いきなり男性の部屋に行きたいと言った私を、ひょっとしたら彼は勘違いして捉えたかも知れない。
けれど、もうおしっこが我慢できなくなっていた私にとって、一番近いトイレはそこしかなかった。
仮にもし彼が勘違いして迫ってきたら・・そう考えもしたけれど、とにかくおしっこさえしてしまえば、後は泣き叫ぶか暴れるかして、その場をやり過ごそう。
もうそれぐらいしか考えられなかった。

 それから数分後、とてつもなく長い時間に感じた私だったが、どうにか我慢しながら彼の部屋にたどり着いた。
締め切った部屋はムっとした男臭さとたばこのにおいがが立ちこめていて、少し気分が悪くなった。
けれどもうそれどころではない私。
かといって、いきなりトイレに飛び込むのも・・やはり気が引けてしまって、とりあえずリビングのソファーに腰を下ろしてしまった。
「冷たいウーロン茶でも飲むかい?」
「あ、いえ・・今は・・」
そう答えたにもかかわらず、彼は大きなペットボトルのウーロン茶とグラスを2コ持って私の横に座った。
グラスに注がれるそれを見ていると、膀胱がキューンと縮まるような感覚が走って、ブルっと身震いをしてしまった私。
かなりずり上がっているスカートの裾を直しながら、軽く口を付け、さあトイレを借りよう!
そう思ったとき、私のケータイが鳴った。
営業主任からだった。
明日のセレモニーで急遽変更が生じて、その為の細かい指示が伝えられた。
(もうおぉ、こんな時にかけてこないでよぉ!!)
メモを取りながら足をふるわせていた私。
主任の話は結構長く続き、私はイライラして生返事を繰り返していた。
その間に彼がトイレに立った。
(ああ・・私も早くおしっこさせてよぉ!)
そうこうしているうちに、私の我慢も本当に限界を超えてしまい、ソファーからずり落ちるような恰好でフローリングの床に横座りになり、直にパンツの部分をかかと押さえしていた。
タイトスカートの前が、自分でもビックリするほど丸く膨らんでいて、無意識にそこを撫でながら話していた私は、大きく体を揺すっていた。
 彼が戻ってきても、まだ電話が終わらない。
私の恰好を見て、彼は少し驚いているようだった。
それもそのはず。
ソファーから落りたとき、タイトスカートがズリあがってパンツが見えていたようだ。
その時はそんなことも気になっていなくて、とにかくおしっこを堪えることばかりに集中していた私。
 まるで拷問のような長電話がようやく終わって、ケータイのスイッチを切ったときに最大級の波が私を襲ってきた。
「つぅ!」
そんな声を出して私は固まってしまった。
これまで幾度となくおしがま経験をしてきたけれど、今日のこの我慢は例を見ないほど辛く、苦しい。
正直に言うと、このとき少し漏らしてしまったようだ。
おしっこの出口あたりはもうしびれたようになっていて、その感覚はなかったけれど、押さえていたハイソックスのかかとが少し湿ってきたのを感じた私。
「トイレ・・貸して!」
私はもう恥ずかしい気持も吹き飛んで、そう言っていた。
でも・・立ちあがれない。
もう動いただけで、思い切り漏らしてしまいそうな感覚が私を包んでいた。
「あ・・だめ・・だ・・」
独り言を言うような感じでつぶやきながら、それでも波が治まるのを待って、私はテーブルに手をついて上体を起こしにかかった。
でも・・そうすると吹き出しそうになってしまう。
アルコールのせいで我慢が効きにくくなっているのかもしれない。
「ごめんなさい・・ちょっと・・」
私は彼に見られていることを承知で、左手をスカートの中に入れでお股を押さえていた。
そうしてやっとのこと立ち上がったものの、体を起こせない。
思い切り前屈みの姿勢でヨチヨチと歩き出すと、また激しい波が襲ってきた。
「あっ、やっ!!」
叫んだ私は、またその場に座り込んでしまった。
「大丈夫か!?」
彼が心配そうにそばに来たけれど、私は思わず顔を背けてしまった。
きっと相当ひきつった顔をしているに違いない。
そんな顔を見られたくなかった。
それと同時に、また少し漏らしてしまった。
押さえていた手に暖かい液体が広がってくる。
「ああ・・いやーん!」
たぶんそんな声を出したと思う。
そう叫びながら、思い切り下から突き上げるようにして手に力を込め、治まるのを待ってもう一度立ち上がろうとした。
すると・・彼が親切にも手を貸してくれ、私の右手を引き上げて立たせようとしてくれた。
でも・・それは結果的に惨事を招くことになってしまった。
引き上げられたことで、予期していない体の部分に力が入ってしまい、引き締めていたお股への集中がゆるんでしまったのだ。
「うそーっ!!」
そう叫んだ瞬間、シュルルル・・と言うような音が聞こえて、私の尿道口が一気に開いてしまった。
「あっあっあっ!」
彼に右手を持たれ、両膝立ち状態の恰好で、左手をお股に入れたまま、私はとうとう堪えていたおしっこを漏らしてしまった。
堰を切ったようにあふれ出すおしっこは、両方の太ももを伝って流れ出し、勢いがつき出すと、シューという音を出しながら左手の指の間を抜けて、ビチャビチャとフローリングの床にたたきつけだした。
「ああああ、ごめんなさいごめんなさい・・」
私はもうそう言うのが精一杯だった。
何とか手で押さえて止めようとしても、もうしびれてしまっているそこに力が入らなくて、どうしようもなくなっていた。
彼は黙ったまますぐそばにあったクッションを2コ、私の足の間に入れてくれて、おしっこが流れ出すのを防いでくれたようだ。
そのときにはもう、私は完全に脱力してしまっていて、そのクッションの上にへたり込むように座っていた。
それでもおしっこはまだ出続けていて、後から後からクッションへ染みこんでいった。
「ごめんなさい・・ごめんなさい・・」
私は涙声でそう繰り返していた。
 どれぐらいの時間が過ぎたのかわからない。
クッションをまたぐような恰好のまま泣いていた私だったが、
「さ、立って!」
彼にそう促されて、私は何も考えずにヨロヨロと立ち上がった。
パンツに残っていたおしっこがしたたり落ちる。
左手からもおしっこが流れ落ちた。
「さ、脱いで。シャワーを浴びるといい。」
そう言われても、私は動けない。
彼が怒りもせずに優しい声で言う。
それが少し辛くもあった。
 いつのまに用意したのか知らないが、彼はタオルを持っていて、それでまず私の左手を拭いてくれた。
幸いブラウスとジャケットは濡れていなかった。
つぎに右手を壁について体を支えるように言われ、その通りにすると、彼がハイソックスを脱がしにかかった。
されるままに片方ずつ足を上げる私。
さらに彼の手がスカートの中に入り込んできた。
パンツを脱がそうとしている。
けれど私は何の抵抗もせず、両手でスカートをたくし上げていた。
真っ正面からパンツを脱がしている彼。
そこをまじまじと見られているのに、私は恥ずかしさを通り超えて、申し訳なさと情けなさで泣いていた。
「ちょっと拭くよ。!」
パンツを脱がせた彼が、タオルで太ももあたりを拭きだした。
そのころになって、ようやく私は恥ずかしい気持がよみがえってきて、思わず腰を引く恰好になった。
「あ・・自分で拭きますから・・」
そう言いかけたとき、彼の手がお股に届いた。
「あ!」
タオルごしではなくて直だ。
「やん!」
思わず叫んだ私に、
「典子ちゃん、ヌルヌルになってる!」
彼がニヤリと笑いながらそう言った。
確かに私はこのとき・・・感じていた。
最悪の状況下で・・私は感じていた。
「・・・」
私は何も答えられなくて、ただただ彼の顔を涙目で見つめていた。
彼は・・それ以上刺激を加えることなく私を解放してくれて、バスルームへ案内してくれた。

 シャワーから出てバスタオルを巻いただけの私が戻ると、お部屋はきれいに後始末されていて、消臭剤も使われたのかにおいも消えていた。
彼はテレビを見ながらビールを飲んでいた。
洗濯機が動いている。
きっとパンツやハイソックスが洗われているのだろう。
スカートは、手で押さえていたために前の方が濡れてしまっていた。
(このままじゃあ帰れないよぉ・・)
どうしていいかわからず、私はそのまま彼の横に腰を下ろした。
「・・あの・・ごめんなさい・・」
かすれた声でそう言うのがやっとだった。
「いやあ、ちょとビックリしたけど・・かわいかったよ、典子ちゃん!!」
彼からは予想しない言葉が返ってきた。
「ずっとおしがましてたんだ!」
「おしがま・・?」
「そ、おしっこがまんの略!」
「・・・?」
「その姿もかわいかったなあ!」
「・・・」
「あれ、気を悪くしたかな?」
「あ・・あの・・」
「いやあ、ちょっと感動モノだったよ。」
「・・恥ずかしいです・・」
「ごめんごめん。君は恥ずかしいだろうけど、俺は興奮したよ!」
「え・・?」
「いやね、君のかわいらしさに!」
「・・・」
私が必死でおしっこを我慢していた姿や、恥ずかしいお漏らしを見て、この男は興奮したんだろうか?
私は違和感を感じながらも、なぜか懐かしいような気持ちもあって、彼の胸に顔を埋めていた。
「ほんとに恥ずかしかったんだからあ!」
そう言ってまた涙ぐんでいた。

 彼は私をベッドに横たえて、静かにバスタオルを開いていった。
この後のことはよく覚えていないけれど、私はこの夜、彼と結ばれた。
そして彼の性癖も聞かされた。
彼は・・・女の子がおしがまをしているのを見るのが好きな人だった。
だけど、決してお漏らしさせるのが目的ではないという。
私はというと・・・おしがまが好きな・・女。
この人とは相性が合うのかもしれない。
 そんな事があって、私と永井修との交際が始まった。


つづく

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