朋美の場合(3)




 昨年の12月20日の土曜日、この冬一番の寒波だと言われたその日は、木下朋美や由衣たちの会社の忘年会であった。
今回は規模が縮小され、朋美たちも去年のように、高校の制服を着て踊るといったイベントもなく、淡々として終わった。
 朋美と由衣は会場を後にし、それぞれの彼・村田俊幸と松本敦史を待って、新宿キャロ●ハウスに向かった。
60年代のライブを聴くのは、朋美も由衣も初めてであったが、それなりに知っている曲もあり、自然と体がリズムを刻み出すと、誘われるままに踊り出していた。
 超満員の会場は熱気に包まれていて暑く、踊ったせいもあってノドが渇き、朋美は水割りを何度もお代わりしていた。
村田はアルコールに弱い体質なので、ウーロン茶を飲んでいる。
朋美は飲めない村田をかわいそうに思っていた。
「さてそれではここで、今日がお誕生日の方を紹介しま〜す!」
ステージに立つ女性がマイクを握ってにこやかにしゃべっている。
「木下朋美さん、どうぞステージに!!」
その女性が朋美を指名した。
「えっ!?」
驚いている朋美に村田が
「さ、ステージに行って!」
と、肩を押した。
「え・・あ・・でもぉ・・」
朋美はとまどっている。
横にいる由衣もキョトンとしていた。
朋美の誕生日は9月である。
「さ、行った行った!」
村田に押しやられるようにして朋美はステージに立った。
「木下朋美さん、今日が22歳のお誕生日、おめでとうございます!」
生演奏で祝福され、記念にポラロイドまで撮られて、朋美は真っ赤になっていた。
どうやら村田がウソの申告をして、朋美を驚かそうとしていたようだ。
「もうお、ビックリするじゃないっ!」
汗をかきながら席に戻ってきた朋美。
村田は「お遊びだよ!」と言って笑っていた。

午前0時になろうとする頃、さすがに踊り疲れた4人は店を出た。
表は刺すような冷たい風が吹きつけていて、急激に体温を奪う。
「騒ぎすぎてノドがカラカラだよ。お茶してから帰るべ!」
村田が言った。
たしかに朋美もノドが乾いていた。
アルコールのせいもあるのかもしれない。
近くの喫茶店に入って、4人ともアイスコーヒーを頼んだ。
 朋美は新入職員の研修会で偶然村田と出会い、密かに交際していたが、そのことを由衣にも秘密にしていた。
しかし歩いていた繁華街で、由衣と敦史に遭遇し、「じつは・・・」と、交際していたことを告白した。
 村田は敦史の、仕事上の後輩に当たり、こうして飲んでいるときでも敦史に敬語を使っていた。
 朋美は喫茶店に入る前からトイレを我慢していた。
忘年会の会場を出て、村田を待っている時からトイレに行っていない。
ライブハウスで行こうかと思ったが、あまり親しくない由衣の彼氏と一緒だったことで気後れして行きそびれていた。
さらに満席状態で人が溢れかえっていたため、その人たちをかき分けてトイレに行く勇気もなかった。
(そういえば由衣もトイレ行ってないんじゃなかったっけ?)
朋美はそんなことを思いながら冷たいコーヒーを口にしていた。

クリスマス前の土曜日のせいか、喫茶店もかなり混み合っていて、あまり長居はできそうにない。
お開きにしようと言う雰囲気になってきて、朋美はお店のトイレを目で追った。
しかし、そこには何人かの人が順番待ちをしているようであった。
深夜に入り、かなり冷え込んでいるため、やってくる客がトイレに並んでいるのであろう。
(ここじゃあ行けないなあ・・でもどこかで行かないと・・・)
やや不安を感じながら、朋美は連れだって店を出た。
ダウンを着ていても寒いこの日。
タクシーを待つ間に、みるみる体が冷えてきて、朋美の膀胱は縮まってくる。
(やばっ、おしっこしたい!)
見ると由衣も敦史にくっついて、しきりに体をくねらせている。
(ふふ・・由衣も相当我慢してるみたいだ!)
いつの頃だったか由衣から言い出して始めた「トイレ我慢競争」は、ここ最近すれ違いの仕事が多くなってきたのでやっていない。
(まるで今日はその集大成みたいだ・・)
朋美はまだ、そんなのんきなことを考える余裕を持っていた。
 ちょうど2台のタクシーがやってきて、由衣は敦史と、朋美は村田と乗り込んで別れた。
(由衣ったら、おしっこ大丈夫なのかな?かなりきつそうだけど・・)
別れ際に手を振っていた由衣の顔が、少し引きつっていたように思え、朋美は心配になっていた。
それと同時に、
(寮の人はいいなあ、外泊が自由だし・・)
と、平然と敦史のマンションに行く由衣がうらやましかった。
両親と住んでいる朋美はこの日、「遅くなるから会社の人のうちに泊まる」
と外泊することを伝えていた。
あえて「女の人」とは言っていなかった。

「◎●町の角まで!」
村田が告げた行き先に朋美は驚いた。
「え・・そこって・・会社の・・?」
「うん、車を取りに行くんだ。」
「あ、そうなんだ!」
たしかに明日、車だけを取りに行くのも面倒だと、朋美は納得した。
しかし村田の借りているマンションまで行くのに、いったん会社に寄るとなると、ちょうど直角三角形の底辺と高さの2辺を行くようなコースになる。
(けっこう時間かかりそう・・・)
そう思うと、急に尿意が強くなってきて、朋美にも不安がよぎってきた。
(やばっ・・由衣の心配よりもこっちの方が心配だ!)
わずかに降った雪がシャーベット状になっていて、タイヤを少しスリップさせる。
膀胱が張ってきている朋美は、その振動がつらくなってきていた。
(あれ・・どっかで同じような体験したような・・・?)
朋美はジーンズの上からおなかをさすりながら、ぼんやりと考えていたが、それがいつのことだったかを思い出せなかった。

 タクシーを降り立つと、そこは新宿とは違って遙かに寒い風が吹き付けていて、朋美は震え上がった。
マフラーを巻き直し、ダウンのポケットに手を突っ込んで村田と歩くと、
「あ、やべえなあ、ロックされちまってる!」
村田が叫んだ。
ガレージがロックされているというのだ。
「えー,どうすんのよぉ!?」
寒さと尿意でいらだっている朋美は、少し怒ったような口調で言った。
「うーん、守衛室に行って開けてもらうしかないな。」
「うん・・そうだね・・」
怒っても仕方がない。
朋美は村田にくっついて、会社の裏口へと歩いた。
ホテル事業部が入っているこの会社には何度かお使いで来ている。
しかし深夜は全く様子が違い、人通りの全くない路地は少し不気味にも感じられる。
その不気味さが尿意を高める。
(やっぱりここでトイレ借りようかなあ・・・)
そう思った朋美だが、
「あれえ・・巡回中だよ!」
という村田の言葉に青くなった。
見ると守衛室の受付窓に「只今巡回中」と掲示が出されている。
「えー、やだあっ!」
朋美はまた怒ったような口調で言った。
「すぐに帰ってくるさ。」
村田はのんきにたばこに火をつけながら言った。
表通りと違い、この裏口はビルの谷間になるために風が強く吹き抜ける。
これ以上ないほどの寒さを感じて、朋美はあたりをピョンピョンと飛び跳ねていた。
そうでもしていないと寒くてたまらない。
いやそれ以上に、じっとしていると尿意がこみ上げてきてたまらなくなる。
(やばぁ、ほんとにおしっこしたいぃぃ!)
 村田がたばこを吸い終わっても、守衛さんは戻ってこなかった。
「ねえ、まだあ!?」
村田に聞いても仕方がないとわかっていても聞いてしまう朋美。
「うん・・遅いなあ・・」
村田も少しいらだってきたようで、守衛室の中をのぞき込んだりしていた。
「あれぇ・・」
その村田が笑いながら言った。
「なによぉ、どうしたの!?」
朋美の声は甲高くなっている。
「はは・・急用の方は以下に連絡をだってさ。携帯番号が載っている。」
「ええっ、もうお!早く電話してよぉ!!」
先ほどに増して尿意がきつくなってきた朋美は、ついつい声を大きくしてしまう。
「ああ、わかってるよ。」
村田はそういうと携帯電話を取り出し、守衛さんを呼び出した。
「すぐに行くから、ガレージの前で待ってろってさ。」
「えーっ、ガレージの前で待つのぉ!?」
トイレを借りたいと思っている朋美の期待が、また裏切られた。
村田に促されて歩く朋美は、
(つぅ・・ほんとにもうおしっこしたいのにぃ!)
そう思っていた。
 それから3分ほどで守衛さんがやってきた。
無理を言ってすみませんと頭を下げ、やっと車に乗り込んだが、ずっと放置されていた車内は寒く、座るのもおっくうなほどに冷えていた。
「さむ〜いぃぃ!!」
朋美は叫んで、貧乏ゆすりのように体を震わせていた。

少し走って、ようやくエアコンが効いてきた頃、また少し小雪がちらつきだした。
舞う雪がライトに反射して、幻想的な雰囲気を作っているが、朋美にはそれを見て楽しむ余裕がなくなってきていた。
ジーンズの上からでもわかるほどにふくらみきった膀胱。
今少しでもおなかを押さえたら、間違いなく決壊してしまいそうな、そんな危険水位まで膨らんだ膀胱が悲鳴を上げていた。
(やば・・部屋までもたないよ・・これじゃあ・・)
車の振動さえもが意地悪く感じる。
マンホールのフタを踏んだとき、その衝撃が強烈に響いてしまい、それを期に、強い排尿感の波が朋美をおそいだした。
(やばいよ、どうしよう・・・)
小刻みにふるえる朋美は焦っていた。
「ね・・ねえ、コンビニとか寄らなくていいの?」
出会ってから1年半。つきあいだして1年になる朋美だが、やはり自分から「トイレに行きたい」と言うことに抵抗を持っていた。
我慢できなくなってきた朋美は、コンビニに寄ることでその我慢を解放できたらと思ったが、
「いや、十分に買い込んであるから気にするな!」
村田からは気が利かない返事が返ってきた。
「そうなんだ・・・」
朋美は力無く答えていた。

午前1時になろうとしていた。
最後にトイレに行ってから4時間以上になる。
ライブハウスの中は汗ばむ熱気であったが、かなり水割りを飲んでいた。
それからアイスコーヒーも飲んだ。
いやそれ以前に、忘年会場で飲んでいたビールなどもある。
そして寒い中をウロウロし、今限界を超えようとしている朋美の膀胱には、いったいどれほどの量が溜め込まれているのだろう。
(はぁ・・もうだめかも・・)
今すぐにおしっこをしてしまいたい衝動に駆られる朋美。
しかし車の中という現状ではそれは許されない。
かといって車を降りたとしても、あたりは静かな住宅街で、トイレなど見あたらない。
公園すら目に入らない。
(もう少しよ。もうすぐだからがんばれっ!)
朋美は自分に言い聞かせ、暗いことを利用して、ダウンの下でずっと前を押さえていた。

やがて見覚えのある町並みが目に入ってきた。
ここまで来ると、村田のマンションまではすぐである。
少し脂汗がにじみかかっている朋美の顔に笑みがこぼれた。
(よかった、これなら間に合いそう!)
そう思った安堵感が災いし、これまでにない最大級の尿意の波が朋美をおそってきた。
「つぅぅ!!」
思わず声を出し、体を丸める朋美。
「どうした?、どこか痛むのか?」
前を見たまま村田が聞いた。
「う・・ううん・・そうじゃないんだけどさあ・・・」
「?」
「ねぇ・・」
「あん?」
「着いたらさあ、玄関で降りていい?」
「ん、なんで?」
「その・・先に部屋に行かせてよ!」
「そりゃあつれないぜぇ。駐車場までつきあえよぉ!」
「それがね・・もう・・だめなんだ!」
「はん?」
「ねっお願い!」
「なに言ってんだよ?」
「だからさ・・・もう限界なんだってばぁ!」
「なにが?」
「・・・ダム!」
「ダム!?」
「うん・・・タンクよ!」
「はん?ダムタンク?」
「もうお、この鈍感!」
「もっとわかりやすく言えよ!」
「私のタンクがいっぱいなのっ!」
「なんの話だよ?朋美のタンク?」
「だからぁ・・もうトイレ我慢できないの!!これでいい!?」
「なんだよ、我慢してたのか?」
「うん・・ずっと・・・」
「いつ頃から・・?」
「うん・・キャロ●ハウスにいる頃からずっと・・」
「おいおい、そんなにかよ!」
「だって・・行きにくかったんだよぉ、松本さんもいたし・・・」
「へえ、恥ずかしかったのか?」
「ん・・由衣もね、きっとそうだよ。あの子もトイレ行ってないよ。」
「へえ、俺を意識してか?」
「たぶんね・・」
「会社で行けばよかったのに。」
「よく言うよぉ、さっさとガレージに向かったくせにぃ!」
「言わないから気づかなかったよ。」
「そんなことより・・ああっもう限界!!早くぅ!」
「おいおい、ここで漏らすなよ!」
「だって・・もうほんとに!!」
「しょうがないなあ・・じゃあ!」
村田はそういうとハンドルを切り、マンションの駐車場とは違う方向に車を向けた。
「え・・どこ行くのぉ。もうほんとに我慢できないよぉ!」
「だから裏口に着けるんだよ。」
いつも駐車場からしか行き来していない朋美は、マンションの裏口の道を知らなかった。
 いくつかのゴミコンテナが置かれたその脇に裏口はあった。
そのそばに車を止めた村田が、
「ほれ部屋のカギ。荷物は持って行ってやるから、先に行ってな!」
そう言ってくれた。
朋美は助手席のドアを開けて降りようとしたが、今にも吹き出しそうになっているおしっこの感覚におびえ、動けない。
「おいおい・・大丈夫か?」
村田が降りてきて助手席のドアを開け、手をさしのべて朋美を引きずり出すようにしておろしてくれた。
くの字に曲げた体を揺らしながら、両手で前を押さえる朋美に、
「早くいけ!途中で漏らすなよ!」
村田はそう言って車を出した。

エレベーターホールまで歩き、ひょっとしたらエレベーターが下りてくるのを待ち、10階の村田の部屋まで行くことは、もう絶対に不可能であることを朋美は悟っていた。
もうすでに決壊が始まりかけている朋美の膀胱。
朋美はあたりをチラっと見渡して人影がないことを確認すると、ゴミコンテナのほうへにじり寄っていった。
ちょうど直角に置かれたふたつのコンテナの間に体を入れると、もう一度あたりを見渡し、大急ぎでジーンズのホックをはずしにかかった。
(まだよっ、まだだからねっ!)
独り言をつぶやきながらファスナーをおろし、下着とジーンズを一緒に下げながらしゃがみ込んだ。
その動作と同時か、あるいはそれよりも少し早いか、シュルルルルという音がして、朋美のおしっこが飛び出し、小雪で濡れているコンクリートにたたきつけ湯気を立て始めた。
その音はコンテナで反響し、雪上がりの静かなマンションの壁にまで響いているかのように、大きく感じられたが、
「かあぁ・・・」
4時間近くこらえていたものから解放されていく快感に、朋美はその音の大きさを気にすることもなく、そこが人目につくかもしれない外であることも忘れてうっとりとしていた。
(由衣はもう・・おしっこしたかなあ?)
そんなことまで思った朋美だが、近くを通る車の音で我に返り、そそくさと後始末をすませると、ティッシュをコンテナに投げ入れて、マンションに駆け込んだ。
そして急いでエレベーターに乗り込み、村田の部屋の鍵を開け、何食わぬ顔で彼が駐車場から戻ってくるのを待った。

その夜遅く、朋美は村田に愛された。
シャワーを浴び、軽く飲み直してから愛されたので、そのときの朋美はまた尿意を感じていたが、我慢したまま愛された。
しかしそれでもまだ朋美は「おしがまエッチ」の醍醐味に気づいていない。



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