のぞみちゃん5(旅立ち)




 希美が東京に来て数ヶ月が過ぎた。
携帯電話やメールが今ほど普及しておらず、まして中学生が持つ事などなかった当時、手紙だけが函館の友達とのコミュニケーションであったが、それも次第に途絶えだし、あれほど約束していた智史でさえ手紙の返事が全く来なくなったりして、寂しい思いをした日々もあった希美だが、いつしか東京の生活にも完全に馴染んでいき、仲良くなった律子とは3年生になっても同じクラスになるなど、希美の環境は変化していった。
 そのまま律子と一緒に都立高校に進学した希美。
たまに来る函館の友達からの手紙にも、智史のことについて触れられているものはなく、いつしか智史は「思い出の人」になっていき、希美はその存在すら忘れてしまうようになっていた。
 高校生になっても希美は身長が伸びず、クラスで一番背が低かった。
そのことと、もって生まれた天然さが受けて、男女問わずかわいがらる存在になっていき、何人かの男子からつきあってほしいと声をかけられたり、友達が男の子を紹介してきたりしたが、特別深いつきあいをすることもなく、女の子の友達といることの方に心地よさ感じていた希美であった。
 高校2年の春、北海道への修学旅行があった。
しかし札幌を中心とした道央方面が行き先であったので、希美は函館の友達に連絡して会おうとは思わなかった。

推薦入試で大学も決まり、特に大きな思い出も作らないうちに高校生活が終わろうとしていたある日、
「希美ちゃん、函館の○◎ちゃんから電話よ。」
母親に言われ、希美は久しぶりに耳にする旧友の名前に懐かしさを感じた。
その電話は、卒業式の後、4人が東京に遊びに来るというものであった。
話しているうちに、希美の脳裏に函館の情景が走馬燈のように浮かび上がり、懐かしくて涙ぐんでしまった。
会いたい、どんなことがあっても会おう!
そう約束し、希美はその日が来るのを楽しみにして過ごした。
律子とは大学が離ればなれになってしまう。
卒業後に一抹の寂しさがあった希美を救う出来事であった。

寝台特急「北斗星」でやってきた旧友4人。
上野駅まで出迎えに行った希美は、うれしくて抱き合って喜んだ。
皆が行きたがっていた原宿の街を得意げに案内する希美。
楽しい時を過ごし、思い出話に花を咲かせ、あっという間に1日が終わろうとしていた。
 渋谷で夕食を一緒にしたあと、宿泊先の東急インまで送っていくと、そこで希美は「会わせたい人がいる!」と言われ、ロビーで待つように言われた。
友達の一人が携帯電話でなにやら連絡を取っている。
やがて一人の男性が現れた。
「さとしくんっ!」
あのころよりもぐんと大きくなり、茶髪になってすっかり感じが変わっていたが、希美はすぐにその男が智史だとわかった。
「やっ!」
少し照れ笑いをしながら智史が差し出した手に、希美も躊躇することなく手を出した。
智史もこのホテルに、昨日から友達と宿泊しているという。
「ひさしぶりだね。」「そうだな・・」と、会話にならない会話を繰り返すふたりに、せっかく再会したのだから、ふたりでゆっくり話したらと勧められ、智史は、
「ちょっと歩かないか?」
と切り出した。
皆に見送られてホテルのロビーを出る二人。
並んで歩くと、二人の身長差は30センチほどあるようだ。
 夜になって気温が下がり、3月下旬にしては冷たい風がミニスカーtの希美の足にまとわりついてきた。
(こまったなあ、おしっこしたくなってきた・・)
希美は急に尿意を感じだした。
(あのときと一緒だよぉ!)
転校する前の日、お別れで行った函館山から帰るときの、死にそうなほどの辛かった我慢を思い出し、希美は身震いした。
 特に決めたわけでもないが、二人は明治通りを原宿方面に歩き出した。
「わるかったな・・・」
ポツリと智史が言い出した。
「え?」
見上げる希美。
「いや・・手紙・・出さなくなってさ・・」
「うん・・」
「怒ったか?」
「うん・・あのころは・・寂しかったよ。」
「そうだよな・・・」
「でも・・もう慣れちゃった。」
「うん、もう4年も過ぎたもんな。」
「だれか・・好きな人できた?」
「あ・・まあ・・な。」
「だから・・手紙くれなくなったんだ!」
「あ・・いや・・そう言う訳じゃなかったんだけど・・・」
「いいよ。私だってさ、男の子とつきあったこと・・あるし・・」
「ああ・・・」
4年の歳月は、あれほど好きだと思っていた心まで冷めさせていた。
 アテもなく歩いていた二人は、どちらが言い出すでもなく宮下公園に入る階段を上っていた。
薄暗い照明があるものの、木々の中はそれなりに暗い。
ベンチでカップルが寒そうに寄り添っている。
そのそばを通るとき、希美は来てはいけないところに来てしまったような感覚になり緊張した。
同時に尿意がますます大きくなっていく。
「寒いね・・どこかで休もうよ。」
尿意のこともあって、早くここから立ち去りたい希美が言うと、
「はは・・すっかり東京人になったな!」
智史は見下ろすように希美に言った。
「え、どうして?」
「だって、函館ならこれぐらいで寒いって言わなかったぞ!」
「・・そうだったかなあ・・・」
確かに寒さに対する感覚は違ってきている。
4年の間に、少し寒がりになったのかもしれない。
しかし今はそんなことよりも、迫ってきた尿意を解決したい。
「あそこで・・少し休もうぜ。」
智史が指さす所に、空いている木のベンチがあった。
「え・・だって・・高校生がこんなところで・・・」
「おいおい、俺たちもう高校生じゃないぜ!」
「だって・・」
希美は困った。
薄暗いベンチに座る事も気味悪いが、カップルたちが寄り添っている周囲の環境の中、智史が男性である事からして、なにかされるのではと言う疑念がわき、さらに尿意に悩まされている現実があっては、落ち着いて座ることなどできない。
「さっ!」
智史はさっさと空いているベンチに腰を下ろした。
希美はそばまで行ったものの、突っ立ったままでいた。
「どうした?、座れよ!」
智史が言う。
「だって・・・」
希美はそれ以上の言葉が出ない。
まだ精神的に幼い希美は、この公園の環境が受け入れられていない。
やはり場違いなところに来てしまっていると思っていた。
尿意のこともあって早くここから出たいが、うまく言葉が見つからない。
「立ってられたら落ち着かないぜ!」
智史がそう言って希美の手を引っ張った。
「あっ、ちょっとぉ!」
抵抗しながらも、軽い希美の体はクルリと回転し、ペタンとベンチに腰を下ろすことになってしまった。
ストッキングをはいていないミニスカートであるため、ほぼお尻あたりまで冷たい木の感触が伝わり、膀胱に刺激が走った。
勢いよく座ったために、スカートはギリギリまでずり上がっている。
(つぅう・・)
スカートの裾を直す希美のからだが小刻みにふるえ出した。
(どうしよう・・やだなあ・・トイレ行きたい・・怖い・・・)
どうしていいかわからない希美は、ひたすら膝小僧の上あたりをさすって、
頭の中を整理しようとしていた。

しばらくの間、二人は何もしゃべらずにいた。
時折カップルたちが二人の前を通り過ぎる。
頭の中の整理ができない希美の尿意は、ますます膨らんできて、じっとしていることが辛くなってきた。
(ああ・・もうおしっこしたいっ!)
(早くトイレ行かないと、またあのときみたいに漏らしちゃう!)
函館での悲しい体験が思い起こされ、希美のふるえは更に大きくなってきた。
智史と歩き出してからまだ数分だというのに、尿意は爆発的に大きくなっていた。
(えっと・・最後にトイレ行ったのは・・・)
友達たちと夕食する前だから、まだ1時間ほど前のことであった。
(えーん、なんでこんなにおしっこ近いんだろう・・・)
(もうだめっ、トイレ行こう!)
希美はそう思い、
「あ、あのね・・わたし・・」
と言って立ち上がりかけた。
それと同時に智史の手が希美の腕をとらえ、
「なあ・・俺さ・・」
と、うつむき加減で言う。
「え・・?」
腕を捕まれた希美は、立ち上がることもできずに智史の顔を見た。
「俺、4月から○大行くんだ。」
「う・・うん、そうだってね・・」
「荻窪の方でさ、もうアパートも見つけてるんだ。」
「・・・」
「俺さ・・」
「・・・」
「俺たち、もう一度・・」
「え?」
「もう一度やり直せないか!?」
そう言いながら、智史は力強く希美の腕を引き寄せた。
「ひっ!」
勢いよく引き寄せられた希美は、智史の胸に顔を埋めるような格好で倒れかかった。
その衝撃で、緊張させていた水門の一部にゆるみができ、ビュルッと熱いものが吹き出すのを希美は感じた。
「!!」
あわてた希美は智史の腕を思い切りふりほどき立ち上がった。
そしてきつく足をとじ合わせ、それ以上の放流を食い止めた。
みるみる下着が冷たくなっていくのを感じる。
幸いわずかな吹き出しであったのか、下着の中だけに収まってくれたようで、足を伝う感触はない。
しかしそれが呼び水となったのか、立ち上がった希美の体に新たな排尿感の波が襲いかかってきた。
「あ・・」
小さく叫んで前屈みになりかけた希美の目の前に、智史の胸が迫っていた。
智史も立ち上がり、希美の両肩に手を置いた。
小刻みに両足をすりあわせて波に耐えている希美は、半ばパニックに陥っている。
智史はその手に力を入れ、希美の体を抱き寄せて背中に手を回した。
希美の小さな体は、大きな智史の胸の中にスッポリと包まれてしまった。
完全に体が密着し、膀胱が圧迫されている。
「あ・・」
希美はまた小さく叫んだ。
背中に回した腕に、更に力を入れる智史。
抱きしめられ、小さな胸まで押さえつけられた希美の体の奥の方に、ジーンとするような初めて経験する感覚がわき起こってきた。
「は・・」
吐息ともため息ともとれる声が希美の口からこぼれた。
そのとき智史の右手が希美のあごを持ち上げて顔を上げさせ、自分自信も少しかがんで希美と目線を合わせた。
「え・・」
半泣き状態の希美の唇に智史の唇が重なってきた。
「ん・・ん・・」
希美のファーストキス・・・
厳密にはファーストキスではないが、幼稚園の頃に大人のマネをしてキスしたその相手も智史であった。
強く抱きしめられ、唇を合わせていることで、希美は完全にパニック状態になってしまった。
体の奧でうずくような、しびれるような感覚と、もうあふれ出そうとしているおしっこの感覚が希美を包んでしまい、どうすることもできなくなってしまった。
「ん・・ん!」
逃れようとして少し体を揺すってみたが、大きな智史に包まれてしまった希美の体は動かない。
やがて唇を話した智史は、
「やっぱり俺、希美が好きだっ!」
そう叫んで、更にきつく抱きしめた。
「あ・・ん!」
息ができないほど強く抱きしめられ、意識が半分遠のきかかった希美であったが、次の瞬間、
「あっ!!」
現実に戻された。
(だめだめだめぇ!!!おしっこが出ちゃうぅ!!)
圧迫されているせいもあるのか、これまでにない最大級の波がおそってきた。
希美の両腕は智史の腕に挟まれていて自由がきかない。
両肩を揺するようにしてもがき、何とか智史と離れようとしている希美の足に、ツー・・・と伝うものがあった。
(やだーっ、出ちゃってるぅーっ!!)
希美は最大限にもがいて、
「やーっ、もういやーっ!」
と叫んでいた。
さすがに智史も驚いて体を離し、
「・・そんなに・・俺じゃだめなのか・・?」
と、頭を振っている希美をのぞき込んだ。
「もうだめぇっ!!」
希美はもうどうすることもできない。
そんなに多くはないが、すでに流れ出しているおしっこを、これ以上止めることはできない。
頭の中でいくら我慢しようとしても、体は待ってくれない。
叫んだ希美は、智史の腕を振り払って駆け出した。
本能的なものなのか、それともこの公園を歩いているときに見ていたのか、初めて入った公園にもかかわらず、希美の走っていくその先に、はでな落書きがされたトイレの建物があった。
周辺にホームレスの人のものか、テントらしきものも見える。
手洗い場には男性の人影もあった。
普段なら絶対に利用しないであろう公園のトイレ。
しかし今の希美には、選り好みをしている余裕は全くない。
「あぁあ・・・」
なにやらそんな声を出しながら、その建物に飛び込んでいった。
個室のドアを開けるとき、すでに片方の手はスカートをたくし上げ、ドアを閉めた瞬間に下着を下ろそうとしていたが、かなり濡れてしまった下着は肌にくっついてしまって、スムーズに下ろせない。
「ああああ!」
またそんな声を出しながら、希美は下着を下ろすことをあきらめ、そのまましゃがみ込んだ。
すでに流れ出していたおしっこは、ようやく本流の許しを得て勢いづき、下着の中で渦を巻きながら幾筋にも分かれて落ちていった。
「もう・・やだよぉ・・」

生理が近かった希美はこの日、たまたま替えの下着を持っていた。
ポケットティッシュを全部使い切り、足まで伝ったしずくもきれいにした。
ソックスがそれほど染みてはいないのが幸いであった。
濡れてしまった下着を丸めてビニールでくるみ、バッグにしまい込んでトイレを出ると、周辺には誰もおらず、智史も遠くの方で待っていてくれた。
苦笑いをしながら駆け寄った希美は、
「ごめんね!」
と言って智史を見上げた。
「あ・・いや・・」
智史も返事に困っているようだ。
どちらが言うでもなく歩き出す二人。
無言で階段を下り、また明治通りを戻っていく途中、
「私ね・・」
希美が切り出した。
「私・・今でも智史のこと好きだよ。」
まっすぐ前を見て話す希美。
「でも・・」
「え・・」
「でもね、もう昔の智史と私じゃないと思うんだ・・」
「・・・」
「きっとね、二人ともなにか思い出だけで好きなんじゃないのかなあ・・?」
「・・・」
「だからさ、これから先のことはわからないけど・・・」
「・・・」
「今の私はね、智史のこと、いい思い出として大事にしたいの。」
「・・・」
「近い将来、またつき合うことがあるかもしれないけど・・・今は・・・」
そう言いながら、希美の目は涙ぐんでいた。
いや、言われている智史の目にも涙があった。
「のぞみ、ごめんっ!」
いきなり智史が希美の前に回り込んで言った。
「え?」
「俺・・おまえをだましていた!」
「?」
「俺・・東京に出てきて・・寂しいから・・・」
「・・・」
「それだけの理由で・・おまえとつきあいたいって言った!」
「!」
「それだけの理由だったんだ!」
「・・・」
人通りの中で立ち止まって見つめ合う二人。
「ありがとう、さとし!」
「え!」
突然お礼を言われて智史はとまどった。
「ほんとのことを言ってくれてありがとう!」
[あ・・いや・・おまえがはっきり言ってくれたからこそ・・]
「ううん、智史はね、やっぱりいい人だよ!」
「・・・」
「たぶんさ、仮につきあったとしても、途中で言ってくれたかもね!?」
「あ・ああ・・」
幼さが残る希美は、このときばかりは凄く成長した大人のような感じが見え、智史は改めて希美に惹かれるものを感じだしていた。
一方希美も、自分で言っている言葉が、まるで何かに言わされているような錯覚を覚えるほど大人びていることに驚いていた。
(やだ、私ったら・・なに言ってるんだろう・・?)

東急インの前まで戻ってくると、希美は智史と握手した。
「友達に会わずに帰るのか?」
「いいよ、明日また会うから。」
「そうか・・俺が振られたこと、先にあいつらに言っておくよ。」
「その方が智史もカッコつくもんね!」
「はは・・つらいよ・・俺・・」
そして
「これからは、いいお友達でいてね!」
希美はそう言って手を振り、智史に別れを告げた。
 渋谷駅に向かう希美の目には涙がいっぱいあふれていたが、振り返ることもせず、希美は人混みの中に消えていった。

この日が希美の、大人への旅立ちの日となった。


                     

つづく

目次へ