東京に越してきた希美は、都立の中学校に転校した。
母親に連れられて初登校したその日は、この秋一番の冷え込みと言われた朝であったが、函館にいた希美はさほど寒く感じなかった。
慣れない道を歩き、慣れない校門をくぐると、それだけで足がすくむ。
職員室も廊下も、教室も、何もかもが希美に違和感を与えてしまう。
教室で自己紹介する希美は震えていた。
いっせいに集まる視線が怖い。
とりあえず用意された希美の席は一番後ろで、小柄であるために黒板が全く見れない。
横の席の子に教科書を見せてもらい、なんとか勉強に集中しようとするが、教科書までが違うために、何をやっているのかさっぱりわからず、自分が場違いなところにいるような錯覚まで感じて涙ぐんでしまっていた。
休み時間になっても、だれひとり声を掛けてくるでもなく、遠巻きに見られているようで落ち着かず、希美はじっと席に座ったままであった。
制服はこれまで着ていたものとほとんど変わりなく、目立たないのが唯一の救いであった。
(函館に帰りたいよぉ・・寂しいよぉ・・)
一人っ子で寂しがり屋の甘えん坊に育った希美は、孤独感と疎外感に押しつぶされそうになり、席にうずくまったまま涙を流していた。
2時間目が終わった時、希美は尿意を感じた。
(トイレ行って・・どこだったかなあ?)
担任教師に連れられて歩いてきた廊下も、希美はずっとうつむいていたのでトイレの場所を確認していなかった。
(とにかく行ってみよう!)
おそるおそる教室を出ると、背中に好奇の視線を感じる。
(やだなあ・・もう帰りたい!)
希美の教室は建物の2階ほぼ中央付近にあった。
とりあえず教室を出て右に向かったが、端には階段があるだけでトイレはなく、引き返して教室を通り過ぎてみたが、反対側にもトイレは見あたらなかった。
(え、うそ、2階にはトイレないの!?)
階段を下りて1階に行ってみたが、それらしき表示は見えなかった。
(となりの校舎かなあ?)
希美がいる棟は数年前に新築された教室だけの校舎で、トイレやそのほかの設備はすべて隣の棟にあった。
渡り廊下でつながっている。
あまり方向感覚を持っていない希美は、ひとりで隣の校舎に行くことにためらいを持った。
(元の教室に帰れるかなあ・・?)
誰ひとりとして顔を知らない希美にはその心配があった。
行き交う女子にトイレの場所を聞くことも出来ず、チャイムに促されるようにして教室に戻る希美であった。
(次の休みまで・・我慢できるかなあ・・?)
窓際の席であったので、日差しがそれなりに体温を保ってくれ、それが救いとなっていた。
しかし授業も終わりに近づいた頃には、希美の膀胱はパンパンにふくれあがり、じっとしていることが出来なくなって、しきりに足を組み替えたり、太ももをつねったり、鉛筆を手のひらに刺したりして耐えていた。
まもなく授業は終わる。
しかし希美は、まずトイレを探す事から始めなければならない。
その不安がいっそう尿意を高め、貧乏ゆすりまで始めてしまっていた。
「トイレ行きたいの?」
隣の席の子が気づいて、希美にそっと聞いてきた。
「あ・・はい・・」
半泣きの顔で言う希美。
「もうすぐ終わるよ。我慢できる?」
「・・なんとか・・」
「場所・・知ってるよね?」
「あ・・いえ・・知らない・・」
「そっか。じゃあ一緒に行ってあげるよ。」
「す・・すみません・・」
その子の言葉で、もうすぐトイレに行けるという安堵感が希美を包み、こらえていた緊張が解けかかった。
(!!!)
思わず前を押さえてしまう希美。
「大丈夫?」
「あ・・なんとか・・」
そういいながら、希美は太ももの内側を強くつねっていた。
待ちわびたチャイムがなり、皆が一斉に席を立った。
「行こう!」
隣の子が希美を促す。
イスを引いて立ち上がろうとする希美だが、動くと漏らしてしまいそうな恐怖にかられ、思わず固まってしまった。
「大丈夫なの?」
のぞき込むように隣の子が言う。
「あ・・はい・・」
机に手をついて、かろうじて立ち上がった希美。
しかし思い切りふくれあがった膀胱の重圧に耐えられず、思わず前屈みになってしまった。
「そんなに我慢してたんだ。かわいそ・・」
周りから注目されているような気がするが、もうそれどころではない。
希美はおそるおそる教室を出た。
内心はあせっているが、走るという行為は破滅を意味することを知っている。
今は一歩一歩をかばうように歩いくしかない。
しかし階段を下りる時、それがとてつもなく辛いことだと思い知った。
一段下りるごとに、その衝撃が直接膀胱を刺激する。
手すりにつかまりながら、少しでも振動を抑えて降りきると、今度は渡り廊下に出る。
校舎の間を吹き抜ける風は強く、希美の素足にからみついてきて、思わず悲鳴を上げそうにまでなっていた。
舞い上がるスカートを押さえながら、そっと前も押さえていた。
「ここさ、旧校舎に行かないと何もないんだよね。」
「・・はあ・・」
「あ、わたし律子。よろしくね!」
「あ・・こちら・・こそ・・」
自己紹介されても、希美はそれどころではない。
前を押さえたまま歩きたいが、行き交う男女の目があって出来ない今、一刻も早くトイレにたどり着くことばかりを祈っていた。
「りっちゃん、今日の数学のノート見せてよ!」
旧校舎に入ったところで、律子の友達らしき女の子が声を掛けてきた。
「あ、いいよ、教室で待ってて!」
律子はそう言って、
「あ、この人ね、転校生なの!」
と、希美を紹介し始めた。
(いやーっ、あとにしてー!!)
希美はそう叫びたい気持ちを必死でこらえ、かろうじて挨拶をするが、その足はクネクネとし、あきらかに尿意を耐えている仕草そのものであった。
「あ、のぞみちゃんだっけ・・先に行って。私・・ちょと話があるから。」
律子はそう言って指さした。
その先に、希美がずっと行きたくてたまらなかった「女子」とかかれたトイレが目に入る。
「あ、はい・・」
やや不安になりながらも、希美は足を滑らすようにそこへ向かった。
3時間目が終わった休み時間のせいか、それとも女子トイレの数が少ないからか、かなりの人数が列を作って順番を待っている。
(え、やだーっ、もう我慢できないよぉ!)
個室は6カ所あるが、それぞれに3人ほどが待っている。
希美は仕方なくその後ろに並んだ。
水を流す音が聞こえると、自分自身のダムも決壊しそうになる。
(お願い!早く進んで!!)
足ふみをしながら希美は祈った。
もうこらえるのが精一杯で前屈みになり、手は前を押さえてしまう。
恥ずかしいなどと言っている余裕はなくなっていた。
(もれちゃうよぉ!もれちゃうよぉ!)
函館山からの帰りも、思いきり我慢していた。
今はあの時と同じぐらい、あるいはそれ以上我慢をしているかもしれない。
転校してきたばかりで、緊張していることが我慢を助けているのか、ほんのちょっとした衝撃でも加われば決壊しそうな膀胱が、脈を打ちながらもかろうじて持ちこたえている。
(はやくぅ!はやくぅ!)
希美は両足をすり合わせながら、強く前を押さえて耐えていた。
函館山の帰りのように、あたりが暗くて人通りがなければ、あの時のように漏らしているかもしれない。
今は何人かの人目がある。
それだけで希美は耐えることができていた。
(!!)
幾度も水を流す音は聞こえるが、それに混じって便器に当たるおしっこの音がはっきりと聞こえている。
それもすべての個室から聞こえている。
(やだ、みんな音消ししないんだ!!)
我慢に我慢を重ねている希美にも、それは耳に入るほどはっきりとした、女の子独特の音であった。
(東京の子って、音消ししないのかなあ?)
(私だけ音消ししたら・・まずいのかなあ・・?)
(でも・・我慢してるから・・勢いよく出ちゃうだろうし・・どうしよう?)
他に考えることも何も出来ない希美は、ただひたすら自分が思いきりおしっこをするときのことばかり考えていた。
「あは、混んでるね!」
いつのまにか律子が希美の後ろに並んでいた。
振り返った希美の顔は引きつっていて、涙目になっていた。
「大丈夫?もう次だからがんばりなよ!」
律子はそう言って希美を励ました。
そう言う律子も、足をすりあわせるようにしており、かなり我慢をしていることが伺える。
希美の前の子が水を流した。
(ああ・・やっと出来るぅ!)
希美の曇っていた顔に笑みがこぼれた。
交代するドアノブに手を掛け、勢いよく個室の中に入り込んだ希美は、
(え・・あ・・えっ!?)
便器をまたいだまま固まってしまった。
一般的な和式便器を想像していたが、水を流すノズルがあるべき所に見あたらない。
(え・・え!?)
そんな余裕がどこにあったのかと思うほど、希美は固まったままキョロキョロと狭い室内を見渡した。
(うそっ、どうやって水を流すのぉ!?)
そうこうしているうちに、個室に入れた安心から希美の膀胱が収縮を始めた。
「やんっ!」
我に返った希美は、大急ぎでスカートをたくし上げ、パンツのお尻に手をかけてしゃがもうとした。
しかしいったん収縮を始めた膀胱は、その希美の動作を待ってくれることもせずに、勢いよく出口をこじ開けるようにあふれ出し、下げかけたパンツをねらって飛び出してきた。
「やーっ!」
勢いよく膝までずり下げ、お尻を降ろす希美。
お腹が圧迫された事で更に勢いを増したおしっこは、激しく前の水たまりまで飛んでたたきつけ、ジョボジョボといやな音を立てた。
(やーん!)
表にいる人たちに恥ずかしい音を聞かれている。
そう思うと、希美は足をずらして位置を変えようとした。
しかし痛いほどに膨らんでいた膀胱が縮まっていく感覚で力が入らず、多少左右にずれるだけで、その勢いは変わらず何の効果も得られない。
(やだよ・・こんなの・・)
思春期まっただ中の希美は、開き直ることすら出来ず、しゃがんだままの状態で、ひざに顔をうずめてしまった。
少し濡らしてしまったパンツに何度もペーパーを押し当て、出来る限り水分を吸収させて立ち上がった希美は、ふと困った。
(水・・どうやって流すの・・?)
困っているとドアの外からノックがあり、
「のぞみちゃん、大丈夫!?」
律子の声がした。
彼女も相当我慢しているわけで、早く代わってあげたい。
そう思うが、水を流さずには出られない。
「のぞみちゃん!!」
ふたたびノックされた。
希美は仕方なくドアノブに手をかけた。
(やだっ、カギかけてなかった!!)
今更あわてても遅いが、希美はヒヤッとした。
そっとドアを半開きにして顔を出す希美。
「どうしたの。大丈夫!?」
律子の問いかけに、
「あの・・お水・・どうやって流すの?」
そこまで言うと、
「ああ、わからなかったんだ。いいよ、私が流すから!」
律子はそう言って、希美を引っ張り出すようにして交代した。
「え・・あの!!」
あっけにとられている希美は、そのドアが閉まった瞬間に、
(あっ!おしっこの跡を見られちゃうぅ!!)
そう思って青くなった。
それに、必要以上に使ったトイレットペーパーも見られてしまう。
(やだーっ、パンツ濡らしたことバレちゃうよー!)
そんなことを考えていると、律子の勢いよいおしっこの音が聞こえてきた。
水の上に溜まったペーパーに当たるのか、その音は希美のそれとは異なって聞こえてきた。
(やだー!)
しかし希美はその場を離れることができなかった。
ひとりで教室に帰るのは不安だし、律子を置いて帰るのも失礼だ。
律子の後には誰も並ばなかったので、希美はそこでドキドキしながら待つしかなかった。
やがて水を流した律子が顔を出し、
「いい!」
と希美を個室に呼んだ。
「これがレバーなの!」
指さす所は壁のペーパーホルダーの下。
ちょうどホルダーのすぐ横にパイプが上下に走っており、その床面スレスレにレバーらしき突起があった。
「足で践む方式だからさ、音消し出来ないんだよ!」
「あ・・」
「先に践んでからしゃがめば出来るけど、面倒だしね!」
「はあ・・」
「わかった!?」
「ん・・」
「じゃっ行こうか!」
「うん!」
手を洗って廊下に出ると、ちょうど始業のチャイムが鳴った。
急ぎ足で戻る途中、
「少し失敗しちゃったの?」
「え!?」
律子の問いかけに顔を赤める希美。
「前の時間から我慢してたんでしょう?」
「あ・・うん・・」
「ここのトイレ、わかりにくいからね。」
「うん・・」
「ごめんね、誰にも言わないから・・気にしなくていいよ!」
「あ・・ありがとう。」
転校してきたその日、寂しさと孤独感に押しつぶされそうになっていた希美は、優しく接してくれる律子によって、少し落ち着きを取り戻しかけていた。
しかし、転校してきたばかりの希美にとって、この日は長い1日となる。
つづく