秋のつるべ落としとはよく言ったもので、6時すぎだというのに真っ暗になっている窓の外に、JRの高架橋が見える由衣の部屋。
その小さな部屋で、由衣と希美は話していた。
「のの、子供の頃からトイレ近かったの?」
「んー・・いつごろからだろう?気になったのは中学生の頃かなあ?」
「小学生の頃は気にならなかったんだ!」
「うん、今から思うとさ、そんなでもなかったように思うよ。」
「じゃあ遠足とか修学旅行でも失敗とかなかったんだ!」
「うん、気にしてなかった・・・。」
「じゃあ・・中学では失敗とかあるの?」
「・・うん・・」
「授業中とか?」
「ううん・・」
「ん、じゃあ遊びに行った先とかで?」
「・・・っていうかさぁ・・」
希美が重い口を開く。
*※*・*※*・*※*・*※*・*※*・*※*・*※*
一人っ子の希美は、中学2年の秋まで函館に住んでいた。
希美も身長が伸びず、学年でもっとも背の低い143センチであったが、やや天然ボケの言い回しが受けていたのか、それなりに友達も多く、楽しい中学時代を送っていた。
北海道の短い秋が終わろうとする頃、父の転勤が急に決まって東京に行く事になり、希美はショックを受けた。
悲しくて友達に言うことが出来ず、沈んだ毎日を送っていたある日、HRの時間に担任から報告があり、皆を驚かせ、希美も泣き出してしまっていた。
最後の登校日の後、お別れ会を兼ねてクラス全員と担任の先生とで、学校帰りに函館山に登ることになった。
その中に、瀬野智史(さとし)もいた。
智史とは家が近所と言うこともあり、普段から仲良くしていたが、それを冷やかされるようになると、互いに意識してしまってか、面と向かって話をしづらくなっていた。
学校の行き帰りなどで一緒になると、うれしい気持ちとは裏腹に、離れて歩けだの近づくなだの、心にもない言葉を言ってしまい、智史も同じように、
「だれがお前みたいなチビと!」と、冷たく言ったりして、ギクシャクした日が続いていた。
それでも希美の中では、知らず知らずのうちに智史の存在を大きく感じるようになっていた。
展望室から眺めていた夕景は、あっという間に夜景に変わり、美しい函館の街の明かりを浮かび上がらせる。
「この景色を忘れないでね!」
「約束だよ、絶対に忘れないで!」
「冬休みは帰っておいでよ!」
などと皆から言われ、涙ぐんだ希美の見るそれは、光がにじんで帯状に伸び、更に美しい光景となっていた。
「希美、智史が表で待ってるよ。行ってやりな!」
友達がそう言って希美の腕を引っ張った。
「え・・」
少しどぎまぎしていると、
「もう、なにやってんのよ。今日でお別れなんだよ!」
「そうだよ希美、思いをぶちまけておいで!」
「あいつもそう思ってるんだから!」
と、皆に促され、少し恥ずかしい気持ちで担任を見ると、担任は何も言わずにこっくりとうなずいた。
追い出されるように展望室から出ると、山頂の強い風で小柄な希美は吹き飛ばされそうになった。
舞い上がるスカートを手で押さえ、セミロングの髪を押さえながら見ると、NHKの中継塔の脇で智史が手を振って待っていた。
「オレ、お前のこと忘れないから!」
右手を差し出した智史に歩み寄り、希美も手を出すと、智史はその手を引き寄せて希美を抱きしめた。
「!!」
胸に顔を埋めて智史の体温を感じると、希美の目からまた涙があふれ、スカートを気にすることも忘れて智史にしがみついた。
展望室からみんなが見ていることも、もう気にならない。
「東京に行っても手紙くれよ!」
「・・・」
「オレも手紙出すからな!」
「・・・」
「どうした?返事してくれよ!」
「行きたくない・・」
「え?」
「東京なんか行きたくないよぉぉ!」
「・・ああ!」
泣きじゃくる希美。
智史は希美の乱れる髪を直すかのようにして、優しく頭を撫でていた。
希美が初めて異性を「好き」と感じ、別れの寂しさを最大限に実感した瞬間であった。
帰りのロープウエイの中でも、電停まで歩いて行くときも、市電の中でも、みんなとお別れする寂しさで、希美の目からあふれる涙は止まらなかった。
堀川町の電停で降りる希美。
みんなと涙のお別れをしていると、
「家まで送るよ!」
智史が言ってくれた。
もう誰も冷やかさない。
担任ですら涙目で見送っている。
窓から手を振ってくれるみんなが乗った市電を見送った後、
「行こうか!」
と智史に促される希美。
希美はうれしさと恥ずかしさと、そしてみんなとの別れの悲しさを抱きしめながら、初めて手をつないで歩いた。
智史の手のぬくもりが伝わり、思春期の希美の心を熱くする。
(ずっとこのままでいたい!!)
そう思う希美であったが、実はこのとき、希美は激しい尿意と戦っていた。
寒い頂上にいたことで体は冷えてしまい、ロープウエイに乗る前から芽生えていた尿意は、智史と二人きりになった今、希美の小さな膀胱いっぱいにまでふくれあがってしまっていた。
放課後、函館山に向かう前にトイレに行ったきりである。
抱きしめられたことで智史に「異性」を感じ、下山前に他の女子がトイレに行っても、希美は智史の前から離れられずにいたのであった。
(もっと智史と話していたい。でも・・おしっこもしたい!)
(山でトイレに行っておけばよかった・・)
(智史のうちで借りようかなあ・・ううん、やっぱり恥ずかしい・・)
(でも・・家まで我慢できるかなあ・・・?)
すっかり暗くなった住宅街は人影もまばらで、冬の訪れを告げる冷たい風が吹き抜けていた。
智史の家の前まで来て立ち止まると、
「いいよ、送っていくから!」
智史はそう言って希美を促した。
(うれしい。だけどおしっこしたい!)
希美は智史と別れたら小走りで家まで帰ろうと思っていた。
それほどせっぱ詰まった状態にまで膀胱は膨らみきっていたが、送ると言われ、少しでも智史と一緒にいられるうれしさと、今にも吹き出してしまいそうにまで高まったおしっこの感覚が入り交じって、希美は困惑していた。
一緒に歩くことで、その歩調は遅い。
(どうしよう・・もう我慢できないっ!)
片方の手は智史とつないでいる。
もう片方は重いカバンを持っている。
前を押さえることも出来ず、希美は太ももをすりあわせるようにして歩いていた。
つないでいる手にも力が入る。
素足のスカートに風が入り、希美をいじめる。
(なにか話してよ!黙っているとおしっこもれちゃいそう!)
何も言わずに歩く智史に、希美はそう言いたかった。
智史を異性として意識していなかった頃は、平気でトイレに行けた。
しかし、思春期に入った希美は必要以上に意識してしまい、さらに別れの寂しさが加わって、どうしてもトイレに行きたいことを言えなくなっていた。
さらに、トイレを我慢していることも悟られたくない。
14歳になったばかりの幼い心は、別離の寂しさと膀胱の叫びの両方を、必死になって耐えていた。
無言で歩く二人。
希美の智史に引きずられるようにして歩いていた。
程なくして希美の家の玄関が目に入った。
(ああよかった!間に合う!!)
希美の気がゆるんだその瞬間、チョロ・・・とあふれ出すものがあった。
(あっ!)
叫び声を上げそうになった希美は、思わずカバンを持つ手で前を押さえた。
その手にまで熱いものを感じる希美。
(やーん、とまってーっ!さとしにバレちゃうぅっ!)
太ももを流れる感触が伝わり、希美はパニックになった。
「だめぇっ!」
「えっ!?」
思わず声を出してしまった希美に驚く智史。
「あ・・あ・・もうここでいい!!」
そう言って希美はつないでいる手をふりほどいた。
「どうした?」
突然変わった希美の態度に智史はとまどっていた。
「もう・・もう・・つらいの・・お願い、ここで帰ってっ!」
そう言って希美はその場にしゃがみ込んだ。
そしてクツのかかとで女の子の部分を押さえ、それ以上の流れを抑えようとした。
(止まってっ、お願い止まってえ!)
そう願いながらも、
(見ないで!、もう帰って!!)
智史に対してはそう思った。
涙声の希美の言葉に、智史はしばらく立ちつくしていたが、やがて、
「そうか・・オレも辛いよ・・」
「・・・」
「あした・・10時だったよな・・トラック・・」
「・・・うん」
「絶対、オレ絶対に見送りに来るからな!」
そう言って手を差し出した。
気配に気づいた希美も、おそるおそるしゃがんだままその手に握手し、
「ありがとう・・さとし・・」
力無く言った。
その間も、かかとで押さえているあたりからはおしっこが吹き出していき、アスファルトの地面を濡らしていた。
街頭だけの暗い路地であることと、北風が吹いていることが幸いし、智史は気づいていない。
「・・オレ・・」
智史は2〜3歩下がりながらクルリと向きを変え、
「オレ、おまえのこと好きだったーっ!」
そう叫びながら今来た道を駆け出した。
「・・・さとしぃ・・」
あふれる涙で智史の姿を追えない。
寂しさと悲しさで、思わず立ち上がった希美。
涙をぬぐうと、手を振りながら角を曲がる智史の後ろ姿が見えた。
「さとしぃ!!」
張り裂けそうな胸の痛みに耐えかねて、希美は大声で叫んでいた。
それと同時に、希美の両足を伝うおしっこの流れは強くなり、ソックスを濡らしながら足下に水たまりを広げていった。
「さとし・・」
今の自分が置かれている状況もわからなくなり、希美はその場に立ちつくして泣いた。
誰かがそばを通ったかもしれない。
おもらししている希美を見たかも知れない。
そんなことすら気にならず、希美はいつまでもその場に立ちつくし、母親が玄関を開け、希美に気づくまで泣き続けていた。
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聞いている由衣の目にもいっぱいに涙があふれている。
「のの・・」
それ以上の言葉が出なくなり、しばらくふたりで涙した。
部屋の前の廊下を、にぎやかに歩く数人の声がして、ようやく気持ちを落ち着かせた由衣は、
「のの・・そのあとぐらいからトイレが近くなったんじゃない?」
と、口を開いた。
「・・うん、そうかも知んない・・」
「・・・トラウマだよ・・」
「トラウマ?」
「うん・・よくわかんないけど・・そんな気がする・・。」
「・・・」
思春期の純真な希美が、異性への意識と別離を同時に体験し、そこへ押し寄せた激しい尿意。
それらの相乗作用がトラウマとなって、今の希美があるのではないかと由衣は思った。
「でさ、東京に来てからは・・そういった失敗・・あるの?」
まるでカウンセラーにでもなったかのように聞き出す由衣。
「ん・・人の前でしちゃったことはないけど・・・」
「ああ・・トイレの前でとかなら・・あるんだ!」
「うん・・」
「一番初めは・・どういった時?」
「・・転校したその日・・」
「え・・」
つづく